「不登校の理解が広がると同時に分断も深まる」説
状態に呼び名がついてそれが定着すると、理解や支援が広まると同時に分断や差別も深まることがあるのではないかと考えています。
学校へ行けていない状態がいつからか「不登校」と呼ばれ、そして呼び名としての「不登校」が増えていきました。家や部屋から出られない状態がいつからか「ひきこもり」と呼ばれ、そして呼び名としての「ひきこもり」が増えていきました。
分断線になる定義
それらはあるときから定義されるようになりました。「病気や経済的な理由なく年間30日以上欠席した者が不登校」、「6カ月以上続けて自宅にひきこもっている状態がひきこもり」。支援体制を整えるために必要だった定義が、「不登校」や「ひきこもり」と、そうでない人とを分かつ線となり、定義のために必要だった呼び名が、あたかもその状態(や症状)にある個人を表している言語のように定着していきました。
「不登校」支援が広まると、学校へは行っているが苦しんでいる、いわゆる「苦登校」の人もいるという声を耳にするようになりました。今まで「不登校」と「そうでない人」で分かれていたものが、「不登校」と「苦登校」と「そうでない人」という3者に分けられるようになるのでしょうか。なんのために?誰のために?
【連載】仮説なんですが
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