元ひきこもりの問い「生きることはなぜ苦しいの?」小島慶子の答えは
タレント、エッセイストとして活動する小島慶子さんのインタビューを掲載する。小島さんは、幼いころから母親との葛藤に苦しんできたことを著書『解縛(げばく) 母の苦しみ、女の痛み』で書いている。どのような苦しみがあったのだろうか。聞き手は、ひきこもり経験者で、自身も親との関係に苦しむ、子ども若者編集部員・飯塚友理さん。
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――飯塚友理と申します。現在25歳で、ひきこもり経験者です。今も生きづらさを抱えながら暮らしています。とりわけつらいのが、母親との関係です。自身の価値観で私をしばろうとしてくる過干渉の母に悩みながらも、私自身、家族から独立できるような収入も自信もない、ということを思うと本当に今、苦しいです。小島さんはご著書『解縛』のなかで、幼少期から家族、とくに母親との関係に苦しんだ経験についてたくさん言葉にされています。どんなことがつらかったのでしょうか。
母は自分が見たいものを見たいように見て、自分が聞きたいように聞く人でした。入ってきた情報をすべて、自分の都合のよいように書き換えてしまうんです。
だから、私が母に伝えたいことを何時間も説明しても、こっちの思いが届かないんです。
しかも、私の家族のなかで、「母とうまくいかない原因は私にある」ということになっていました。私の性格が悪くて、ひねくれ者だから、家のなかがこんなにたいへんなんだ、というストーリーになっていたんです。
だから、大人になってからカウンセリングを受け、「私がいけなかったんだ」という記憶を、そうではないストーリーに編み直すまで、すごく時間がかかりました。
カウンセリングによって、家庭内の不和は、私が悪いのではなく母の子育てに問題があったんだと気づき、最初は「ママはこんなにひどかった」と、母への怒りがバーンと噴き出しました。
しかし、しだいに「彼女も完全な人間ではないんだよな」と思えるようになりました。
彼女は生い立ちも過酷だし、偏りのある物の考え方をする人なので、人間関係で苦労しただろうな、だから自分の娘に思い入れが強くなってしまったのもしょうがないのかな、と。
ただ、それを受けた私はたまらなかったから、距離を取ることにしたんですけどね。
偏見がひどくて
――現在、母親との関係はいかがですか?
相変わらず、難しいですよ。「年老いた母を大事にしなきゃ」と思う気持ちはあるんですが、やっぱり直接会うと、しんどいです。
このあいだ、どうしても会って受け渡しをしなくちゃいけない書類があったんです。その日はたまたま母の日でした。せっかくだからと、お花を持って母の家に行って、2人きりで1時間半くらいすごしました。
母は私のことが大好きだから、私の出ているテレビ番組を全部見ているし、私の書いてる本はもちろん、出ているインタビューも全部読むんです。
私は40歳をすぎてから発達障害と診断されたので、母は勉強しようと思ったんでしょうね。表紙に「発達障害」と書かれた新書を握りしめて、「読んでるのよ」と。
私は、「私のことをわかろうとしてくれて、ありがとうね」と言ったんですが、ちゃんと理解できているのかな、と不安がよぎったんです。
その不安は的中しました。母の話は発達障害についての偏見がひどく、聞いていておかしくなってしまいそうなくらいでした。
母には「やめて。それは障害に対する偏見なんだよ」と言ったけど、理解してもらえませんでした。こちらの思いは昔から通じない人なんです。
でも、たぶん彼女自身も、なんで自分が言った言葉が人をこんなに怒らせるのか、わからないんだと思います。
「大好きな娘のことを知ろうと努力しているだけなのに、何がいけないの?」と思ったんじゃないでしょうか。
帰り際、「どうやら娘に長年キツイ思いをさせてきたようだ」と理解したのか、母から「私に育てられてたいへんだったわね、ごめんね」と言われました。
私は「いいんだよ、誰だって完璧な人はいないんだから。おたがいにツライ思いをしたけれど、いいじゃないの」と言ってお別れしました。
でもやっぱりしんどかったです。適度な距離って大事なんだな、と思いました。
――私は自分の考えや価値観に自信を持てません。ですが小島さんはたくさんのエッセイを書いたり、発言をされています。私は小島さんが書いたり話される言葉には「強さ」が宿っていると感じます。自分の考えを表明する自信を持つにはどうすればよいでしょうか。
難しい質問ですが、ふたつのことを考えました。ひとつは、私が頭のなかで考えたり、実際に体験したことは世界中で私にしかわからないんだ、ということ。
「あの問題は、こうするべきだ」と客観的に評論すると、「それは見方が偏っている」「論拠が足りない」といろいろ言われるかもしれない。
けれど、私が今朝何を食べたか、私が夕べ何を考えたかは誰も知らないから、100%私しか語れない。だから、そういうことを言ったり書いたりすればいいんじゃないか、と思うようにしているんです。
主語は「私」。私はこう思う、私はこうしたい、私はこれをおかしいと思う、私はこれをよいと思う、というふうに一人称でしゃべるようになったら、あまり人からどう言われるか怖くなくなりました。
客観視してみる
もうひとつは、自分の意見を、たくさんの意見があるうちの、たった1個にすぎないと客観視してみる、ということ。
「こんなこと言ったらどうなるだろう」と気に病むほど、自分の意見はそこまで人に影響を及ぼせるものではない、と思っているんです。
以前は自分の意見がみんなの承認を得なければいけない、という不安が強かったんです。
けれど実際は、私が何かを言ったところで、まず聞き流す人がほとんど。そして聞いたんだけど、それを勘ちがいして解釈してしまう人が残りのほとんど。
最後に残ったほんのちょっとの人だけが、「共感した」と言ってくれたり、私と同じように理解してくれる。そんなもんなんです。
だから全員の承認はいらない。1000人の内たった1人かもしれないけれど、「私もそう思う。私は1人じゃないんだ」と思ってくれる人がいればそれでいいんです。
そのふたつのことが経験を通じてわかってからは、以前より、ものを言うことに思い悩まなくなりました。
――最後に、どうしても小島さんにうかがいたいことがあります。小島さんの口から小島さんの言葉で、お聞きしたいと思っていました。生きることは、なぜこんなに苦しいのでしょうか。
そうだねえ、なんでなんだろうね。生きていると、つらいことは本当にたくさんありますよね。はるか昔にブッダさんが言ったように、生きていることの苦しさはデフォルトなのかもしれません。
生きることと「苦しい」ってことが、どうしてもセットでついてきてしまうんです。つらいですよね。
でも私は最近になってやっと、生きていることはすごく苦しいんだけど、「苦しいけど豊か」ってこともあるんだと思うようになったんです。
「苦しいな」「孤独だな」と思うから、人は誰かに会いたくなったり、この世界がいいものだって思えるような何かとの出会いを探さずにはいられない。
その結果、すばらしい文学や音楽が生まれることだってあるんだと思います。あなたも、苦しさがあったから、私に会いに来てくれたんでしょう?
私はあなたに会えてすごくうれしいんですよ。今日のステキな出会いも、苦しさが連れてきてくれたものなんです。
スポ根じゃないよ
誤解しないでほしいんですが、「苦しいけど豊か」は「苦しくないと豊かになれないんだ。血を流してがんばれ」みたいなスポ根ものとはちがいます。
自分ではどうにもならない、コントロールできない「なんでこんなに苦しんだろう」という感情がある。だから人はもがくんです。
でも、もがいた先に、「生きていることって捨てたもんじゃないな」「人間っていいもんだな」「世界ってきれいだな」と思わせてくれる何かに出会うことだってある。それが人生なのかなと思っています。
それに、そんなふうに苦しんで生きている私が、偶然、ほかの誰かにとって力になることだってあるんです。
自分のふとした一言や、あるとき誰かの隣にいてあげたことや、いっしょに景色を見たこと。
そんな、自分でも忘れているようなことが、その誰かさんにとっては「あの思い出があるから、世の中、捨てたもんじゃない」「またいつかあんな景色を誰かといっしょに見られたらな」とすごく大事なものになることだってあるんです。
この歳まで生きて、そんなことが少しずつわかってきました。だから「人生は苦しいけれど、ムダではないな」「生きることの苦しさも含めて、豊かなことなんだな」と思えるようになってきたんです。
――ありがとうございました。(聞き手・飯塚友理/編集・茂手木涼岳/撮影・矢部朱希子)
【プロフィール】
(こじま・けいこ)1972年、オーストラリア生まれ。1995年にアナウンサーとしてTBS入社。2010年に退社後は、タレント、エッセイストとして、ラジオ、テレビ、雑誌など多様なメディアで活躍中。著書に『解縛 母の苦しみ、女の痛み』(新潮文庫)、『さよなら! ハラスメント』(晶文社)など多数。
(初出:不登校新聞511号(2019年8月1日発行)。掲載内容は初出当時のものであり、法律・制度・データなどは最新ではない場合があります)