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不登校の高校時代に唯一ハマった「最初で最後の趣味」がもたらした「あの夏の決断」

「今いる場所を抜け出す手段も、その意志もなかった」。不登校だった高校時代、限られた行動範囲をあてもなくさまよっていた古川寛太さん。唯一ハマった趣味は、プロ野球観戦でした。そんな古川さんに、母親がある提案をします。高校3年生の夏、通信制高校への転校の決断を迫られる中で、古川さんがとった行動とは。(連載「前略、トンネルの底から」第15回・写真は古川寛太さん)

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古川寛太

古川寛太(ふるかわ・かんた)

2000年生まれ。高校3年間不登校を経験した。不登校を経由した人間の現在地に興味がありnoteにて「あれこれありましたが、」を主宰している。

不登校当時、一度だけひとり旅をしたことがある。高校3年生の夏だった。

卒業の危うい全日制で踏ん張るか、通信制に移ってとりあえず高卒を取るか、そんな狭間の時期だった。相変わらず心は不穏なままだったし、今いる場所で踏ん張りたくともやっぱり空回りして下を向く日々。

結果的に俺は通信高校に編入することになるのだが、旅はその少し前——夏本番に入りかけた七夕の翌日の出来事である。

あのころの旅

学校に行かず、自転車で街をふらついていた「あれ」も、ひとり旅と言えるのかもしれない。感覚としては近いと思う。

とはいえ、精神的にも身体的にも参っている高校生なんて大した距離を移動できない。同級生には会いたくなかったので、小学校の学区から少し外れた低層の建物が並ぶ繁華街を放浪する。

できることなんてそれくらいだった。

バスにも乗らないし電車にも乗らない。もちろん車やバイクもない。今いる場所を抜け出す手段もなければ、そもそもその意志もなかった。

だから、旅をすることになった発端は自分ではない。

きっかけは、母親の一言だった。

【連載】前略、トンネルの底から
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