離縁するつもりで生きてきた私が15年ぶりに親と食事をした理由
#不登校#行き渋り
今回の執筆者、喜久井ヤシンさんは「15年ぶりに両親と食事をした」という。食事に至るまでの経緯や葛藤など、心のうちを書いていただいた。
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私は、親と離縁するつもりで生きてきた。8歳で学校へ行かなくなったことを契機として、両親は大切な存在だったはずの私に手をあげ、子供の私を丸ごと否定するかのようなふるまいをした。
両親を含め周囲の大人たちは、私が学校へ行くか行かないかによって、態度が豹変したのだ。私という人間は同じであるのに、社会的な判断基準によって、人との関係が断絶される経験だった。
この経験は私に、どれほど優しい相手であっても人を信頼してはならないという、生涯の戒めを残した。私は同世代とほとんど交流のない10代を経て、20代には実家を出て一人暮らしを始めた。30代になった現在は自身の収入のみで生活している。
一人暮らしを始めてからは、両親とは年に2度~3度、事務的なメールをやりとりする程度だった。幼少期から抱え続けた両親に対する私の怨恨は根深く、まともに顔を合わせることなどできなかった。