あなたの知らない、学校の不登校支援の実情とは?【第3回:高校のベテラン先生に聞く】
不登校について、公立の小・中・高等学校の先生に、キズキがインタビューを行いました。キズキは、不登校・ひきこもり・中退などの挫折を経験した方々のための個別指導塾・キズキ共育塾の運営などを行っています。
今回のインタビューは、主に不登校のお子さんを持つ保護者の方が、学校の不登校支援の取り組みの利点や限界を理解し、必要に応じて様々な手段を利用できるようになることを目指しています。
学校内外の支援を活用し、不登校からの「次のステップ」を歩むきっかけとなれば幸いです。
また、学校教員として働くことを視野に入れている方も、実務的な視点から学校運営の様子を覗くことができますので、ぜひご一読ください。
全3回でお届けします。
第3回(最終回)となる今回は、「あなたの知らない、学校の不登校支援の実情とは?~高校のベテラン先生に聞く~」です。
東京都の公立高校で進路部の主幹教諭を務め、定年退職した現在も時間講師として教えられている野口倫太郎先生(仮名/60代)にお話を伺いました。
インタビュアー:キズキ 亀山裕樹
【目次】
- 昔は不登校という「選択肢」がなかった
- 不登校という選択肢がなかったから、高校を中退した子もいた
- 昼夜逆転で不登校になった生徒の担任になった
- 担任の先生は、不登校の生徒に対して、電話連絡や保護者との面談をする
- いろいろな生徒がいる学校では、不登校の生徒の別室登校が難しいこともある
- 学年ごとの担任団で、不登校の子どもをサポートしている
- 生徒の様子や保護者からの要望は、学年の先生で共有している
- 高校では、不登校の生徒の卒業条件を緩めることはしない
- 就職を目指す高校生も、不登校になったら進学を考えるのも一つの手段
- 公立高校では、不登校の生徒の支援は難しい部分もある
- 学校外の団体にも、独自のよさがある
昔は不登校という「選択肢」がなかった
亀山:ご自身が学生だった1960〜1970年代、小学校から高校までの「学校」に対してどういう印象を持たれていましたか。
野口:特に田舎の出身ということもあって、僕も周りも「学校には行くのが当たり前」という感じでしたね。
町には小学校も中学校も1つだけで、みんなそこに行っていました。
亀山:行かないお子さんは目立っていたでしょうね。
野口:その時代のその地域には、学校に行かないっていう選択肢がなかったですね。
だから、不登校っていう言葉そのものもない時代でした。
亀山:例えばいじめられている子どもや、学校にいくのが大変な子どももいたと思うんですけど、そういう子はどうしていたんですか。
野口:いじめはあったらしいんですが、申しわけないけど当時は気づきませんでした。
卒業してだいぶ経って、いじめられていた知人の兄弟から、
「うちの妹は相当大変だった」
「同窓会に行きたくないって言ってる」
ということを後になって聞いて知ったんです。
でも学校には来ていましたね。
亀山:それから先生は大学を出て、1980年くらいから神奈川の高校で教員をされたんですよね。
そのころだと、不登校を取り巻く学生や学校の状況はどういう感じでしたか。
野口:日本全体ではなく個人的な話になりますが、私が最初に教員をした学校は工業高校で、当時は「問題」を起こす生徒が闊歩していました。
『ビー・バップ・ハイスクール』【編注:1983年から2003年にかけて連載された、不良高校生の日常を描いた作品】って、ご存知ですか。ああいう雰囲気でしたね。
逆に、不登校の生徒は、記憶にある限りいませんでした。
そういう状況ですので、「暴れて騒ぎを起こす生徒」をどうしようかっていうことで頭がいっぱいでしたね。
亀山:そういう「暴れる生徒」も学校には来るんですか。
野口:来ていましたね。やっぱり楽しいんですかね。
亀山:じゃあ、いじめられているような子は学校に来ていましたか。
野口:いじめられている子もいたんですけど、来ていました。
不登校という選択肢がなかったから、高校を中退した子もいた
亀山:嫌なことがある生徒も、我慢して学校に行っていたということでしょうか。
野口:そういう生徒もいたでしょう。
ですが、不登校ではなく、いきなり中退する生徒はいました。
私の赴任当時、その工業高校では、クラスによっては半数ぐらいが中退することもありました。
で、その中に、今の時代なら「いきなり中退」ではなく「まずは不登校」になっただろうなと思う生徒もいます。
とは言え、中退する生徒があまりに多くて個々の事情は把握できておらず、当時と今を単純に比べることができないのが正直なところです。
昼夜逆転で不登校になった生徒の担任になった
亀山:では、「いきなり中退」ではなく「まずは不登校」の生徒はいつごろから見られるようになりましたか。
野口:これも全国の傾向ではなく個人的な話ですが、不登校の子を初めて担当したのは、神奈川から異動して、東京の高校で教員をやっていたときです。2000年ごろですね。
その学校はクラスが3年間持ち上がる体制で、私とその生徒は3年間ずっと一緒でした。
その生徒は2年生ごろから学校を休みがちで、出席日数ギリギリで卒業していきました。
亀山:その生徒は、なぜ不登校になったんでしょうか。
野口:後から知ったことですが、その生徒は母子家庭で、お金の問題で親から「お前働け」と言われたらしいんです。
それで高校に通いながら、いわゆるスナックのようなところで夜中の3時、4時まで働いて、次第に朝起きられなくなって、学校に来れなくなった、ということです。
高校生(未成年)がそういう店で働くのは、校則どころか法律や条例にも違反しているんですが、「これも現実」ということなんでしょうね。
担任の先生は、不登校の生徒に対して、電話連絡や保護者との面談をする
亀山:その子の担任をされていたときは、どんなふうに対応していたんですか。
野口:その子は、単位的には全教科で問題なかったのですが、出席日数がギリギリで、後1、2回欠席したら進級できないというところまでになりました。
ほぼ毎日、「出席するように」と私が電話していましたよ。当時はもう携帯電話があったので、連絡が取れてよかったです。
亀山:電話連絡以外に、家庭訪問や保護者との面談などはしましたか。
野口:「東京の公立高校」の場合ですけど、そのころは家庭訪問はできなくなっていました。
それもあって、詳しい事情を聞けずに「対症療法的に、なんとか進級・卒業させるための対応」しかできなかった、ということはあります。
私が最初と2回目に赴任した学校は、家庭訪問をやっていました。
生活指導を受けて謹慎した生徒の家には、必ず行っていましたね。
昔は、親に「仕事を休んで家にいてください」と言える時代で、親もそれを受け入れていたんです。
でもそのうち、「うちは共働きで、家に誰もいません」「うちの家に入らないでください」というようなことが多くなりました。
で、2000年ぐらいからかな、親の立場が強くなって、「学校側は生徒の家に行っちゃいけない」みたいになったんです。
それでも最初は近くの喫茶店とかでやっていたこともあったんですけど、やがてそれもできなくなったので、面談のときは保護者に学校へ来てもらう形になりました。
高校の場合は学校から遠くに住んでいる家もありますから、なおさら家庭訪問はしないですね。
亀山:それじゃ、先生も生徒や家庭の事情を把握するのが大変ですね。
野口:逆に、今考えると、教師も家庭も、昔はよくやっていたなと思います。
家庭訪問のときに保護者のどちらかが仕事を休んで家にいてくれるのが当たり前の時代でしたから。
今は親に「休めません」「家にいません」と言われたら、それ以上の指導はできないです。
いろいろな生徒がいる学校では、不登校の生徒の別室登校が難しいこともある
亀山:学校としては、不登校の生徒や保護者を対象に、どういうサポートをしていますか。例えば、保健室登校の制度などがあると思いますが……。
野口:私が今勤めている学校の保健室は、「学校には来れるけど、クラスに馴染めない生徒」と「授業が嫌なやんちゃな生徒」ですでにいっぱいなんですよ。
亀山:やっぱり保健室やカウンセリング室にはたくさんの生徒が来るんですね。すでに現場で起こっていることで精いっぱいなんでしょうか。
野口:そうですね。保健室は学校の駆け込み寺みたいな感じです。
「問題」を起こす生徒が少ない学校は、保健室で不登校対応を行う体制もつくれると思います。
ですがうちのように「やんちゃな生徒」が多い学校は、大勢の生徒が保健室に訪れます。
怪我や病気の治療ではなく、「先生、この話を聞いて」などといったカウンセリング的な目的のためです。
不登校の生徒が保健室に登校したとして、「普通の対応」はもちろんしますが、「不登校ならではのケア」はできないでしょうね。
学年ごとの担任団で、不登校の子どもをサポートしている
亀山:では、学校に来なくなった生徒に対しては、どうされているんでしょうか。
野口:まず、担任が毎日電話しています。
亀山:担任以外が何か対応することはありますか。
野口:一つのクラスに不登校の生徒が集中すると担任から一人ひとりへのケアが分散しますし、担任も大変になるので、クラス替えのときに各クラスで不登校生徒の人数を平均するように配慮はしています。
また、同学年の担任同士では「A君が最近こうで、Bさんは最近こうで…、」という話は全部共有して、みんなで支援方法などを考えています。
「クラス単位ではなく学年単位で生徒を見る」っていうのは、今はどこの高校でもやっているんじゃないでしょうか。
亀山:その情報共有は、世間話のような感じでしょうか、それとも正式な会議でしょうか。
野口:どちらもやっていますよ。学校の先生って、話をすると結局生徒のことばっかりなんですよ。
生徒の様子や保護者からの要望は、学年の先生で共有している
亀山:クラス替えのときに、保護者から「うちの子をあの子と一緒にしないでください」などの要望があったら、受け入れているんですか。
野口:まず、実際にそういう要望はありますね。
ですが、保護者に言われたから配慮するというよりも、すでにわかっている、という感じです。
うちの学校では、基本的に教科担当はなるべく同じ学年を引き続き受け持つようにしているんですよ。
つまり、「1年生の英語を担当して、その生徒たちが2年生になったら引き続き英語を担当する」という形で、ずっと同じ子どもたちを見る。
すると、一つの学年を長くまんべんなく見られるんで、誰と誰が仲がよくて仲が悪いとかは大体分かります。
他の教科の先生とも「あの子とあの子は離したほうがいいよ」とか、「あの子とあの子はくっつけたほうがいい」と情報共有しています。
亀山:それ以外に、保護者から何か言われたときにはどう対応されていますか。
野口:それも全部、まずは学年で全部共有・把握してから対応しています。
高校では、不登校の生徒の卒業条件を緩めることはしない
亀山:ところで、最初に担任した不登校の生徒はギリギリで卒業されたんですよね。
高校の卒業条件が、不登校という理由で緩和されることはあるんですか。
野口:「よほどのいじめや暴力事件」などがあれば別ですが、原則としては緩和されません。
前述の生徒はいじめも暴力もなかったので、「学校としては進級・卒業の条件を特別扱いできないよ」と伝えた上でずっと指導しました。
亀山:以前インタビューした中学校の先生からは、中学校では学校に来なくても、希望すればほぼ卒業できると聞きました。
高校ではそうじゃないんですね。それは、義務教育じゃないからでしょうか。
野口:それもあると思います。
なお、条件は緩和できませんが、保護者には学期ごとに「○○日欠席しているので、後××日欠席したら進級・卒業できませんよ」というお手紙を送っています。
亀山:口頭ではなく、手紙で通知するようにしているんですね。
野口:口頭での連絡だと「そんなの聞いてないよ、卒業させて」って言われる可能性があります。
そう言われても卒業させることはできなくて、それは生徒のためになりませんので、形に残すようにしています。
就職を目指す高校生も、不登校になったら進学を考えるのも一つの手段
亀山:野口先生は担任のほか、進路指導や職場体験なども担当されたと伺っています。不登校の生徒でも、職場体験に行くんですか。
野口:もちろん人によりますが、「不登校の生徒は職場体験に行かない」ということはありません。
亀山:そういう子って、コミュニケーションが苦手だったりするイメージがありますが……。
野口:それでも、「なんとかその生徒の将来につなげられないか」と祈るような気持ちで行かせますよ(笑)。
とは言え、職業体験を受け入れる企業の方は、「そういう生徒もいる」ということをわかってくれていて、それも踏まえた上で、学校では教えられないこともいろいろ教えてくれています。
そんな企業にはとても助けられていますね。
亀山:就職の指導の場合はどうですか。特に工業高校や商業高校だと、卒業後に就職する生徒も多いかと思いますが、不登校の場合だと、就職先が見つからないケースもある気がします。
野口:企業に不登校の生徒を紹介したり、生徒に「こんな会社があるよ」と紹介したりしても、遅刻や欠席がめちゃくちゃ多いと、書類選考でだいたい弾かれます。
企業って、「いかに真面目に会社に来てくれるか」を重視しますから、現実として、欠席が多いと難しいんですよね。
特に普通科高校で欠席だらけの場合は、面接まで行けたとしても「何やってたの?」と言われることもよくあります。
亀山:高校不登校から就職を目指すには、どうしたらいいでしょうか。
野口:私の場合、会社を紹介するのではなく、「まずは自分で就職先を探すための指導」をしています。
お金があるようなら、「大学か専門学校に行きなさい」とも指導しています。
亀山:逆に言うと、自分で探したり、大学や専門学校を経由したりすれば就職できるということですね。
大学・専門学校の入学金や授業料は…家庭になければ奨学金などを借りる、ということになるでしょうね。
公立高校では、不登校の生徒の支援は難しい部分もある
亀山:公立高校として、不登校や中退していく人にこれからどのような支援をしていこうと考えていますか。
野口:「今現在の現実」としては、諸々の制度的に「普通の公立高校」にできることには限度があります。
一例として、教師は、昔は何年でも同じ学校に勤められたんですけど、今は一つの学校での在籍期間が定められています。
不登校支援に限らず、教員個人が「長期的な視野を持って、自分はこの学校でこういうことやりたい」ってことを貫くのは難しくなりました。
さらに、学校としても予算が限られています。
他にも時代の変化があって、学校に足が向かない子をケアする余裕は昔の方があったんじゃないかな、って感じがしますね。
また、中学校だったら不登校でも卒業できますし、不登校でも進学できる高校はたくさんありますよね。
でも高校は、卒業しなければ中退するしかありませんし、中退後の進路は、「中学から高校進学」に比べると大変です。
「この高校は合っていないけど、あの高校なら合いそうだな」と思う生徒がいても、転校するためには今の高校を中退しなくちゃいけません。
中退後を保証できない以上、「中退してあの高校に行った方がいいんじゃない?」とも言いづらいんですよね。
学校外の団体にも、独自のよさがある
亀山:私たちキズキのような、不登校や中退を経験した若者を支援する団体について、どういう印象をお持ちですか。
野口:今まで、不登校の人は行く先がなかったじゃないですか。なので、非常にいいと思いますよ。
不登校の理由とかを学校以外の人に聞いてもらうだけでも彼らはホッとするし、「不登校の先輩」の話を聞ければ先が見えてくると思うんです。
「不登校でも、こういう道があるんだ」
「じゃあ高卒認定の合格を目指してがんばろう」
とかね。
学校外の支援の道がやっと出てきて、そういう意味では昔より今の生徒の方が幅広い選択肢を取れる環境にいるのかなと感じます。
学校もできる限りのことはしていますが、学校は、第一義的には「不登校支援のための組織」ではありません。
だから、「不登校・中退を経験した人たちを支援するための団体」があることは、非常にいいことだと思いますよ。
不登校について知っていて支援を引き受けるということは、モチベーションや専門性があるでしょうし。
あともう1つ思うのは、私が見てきた限り、学校に足が向かない子って、集団行動がいやだっていう子が多いです。
でも学校外の場所って、集団行動にそんなに力を入れてないじゃないですか。
そういう部分も、学校に足が向かない子には合っているかもしれません。
体育も演劇大会も行事もないような、勉強に集中できる場所があってもいいと思います。
亀山:学校行事が負担になって、通うのが大変になることもあるかもしれませんね。僕も、修学旅行に一人ぼっちで参加してつらかった記憶があります……。
行事を減らしたり、参加しなくてもいいようにしたりするのは、やっぱり難しいですかね。
野口:行事が好きな先生・生徒も多いから、減らそうとしても難しいんですよね。
あとは、「他の学校がやっているからうちもやろう」という理由で、どんどん活動が増えていきます。
例えば「○○部大会優勝!」みたいな垂れ幕があるじゃないですか。
あれって、最初の1校が始めてから、どんどん他の学校がまねして広がったんですけど、あれを出していると部活動を止められないんですよ。
最初にやった学校はいいかもしれないですけど、皆でやったら、効果は出ないのに仕事が増えてあっぷあっぷするばかりです。
そういう意味でも、学校以外に勉強を中心に教えるような場所があって、私はいいと思うんです。
先生も忙しくなりすぎないから、一人ひとりの生徒としっかり向き合えますよね。
亀山:ありがとうございました。お子さんが不登校になったときも、様々な選択肢を知って、お子さんの特色に合ったものを選べるといいですね。
長年の経験から、不登校に対する認識の変化や、高校で不登校になった場合のその後について語っていただきました。
以上、学校の先生へのインタビューでした。
あまり知られていない学校の不登校支援の実情は、とりわけ不登校のお子さんがいる保護者の方や、教員志望の学生にとって、示唆に富んだものでした。
「担任の先生でもスクールカウンセラーでも、いろいろ相談して大丈夫」
「学校外の支援団体など、自分でいろいろな選択肢を調べてみるといい」
「不登校になったとしても、ゆっくり見守ることが大事」
など、キズキの理念や事業に共通することを多くおっしゃっていたのが印象的でした。
あなたやお子さんが不登校からの「次の一歩」に進めるよう、願っています。