「学校とのつながりが切れるのが怖かった」教室に入れない息子と廊下ですごした母の思いを断ち切った夫の一言
「学校や会社とつながることに必死だった」。今回は、不登校の子どもと親の会「Switch」代表の小澤妙子さんにインタビュー。息子さんが小1で突然不登校になり、「真っ暗な穴に落とされた気分だった」と語る小澤さん。息子さんとの怒涛の日々や自身に訪れた変化、「Switch」での活動について、お話しをうかがいました。
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――まずは息子さんの不登校についてお聞かせください。
息子が不登校になったのは、小学1年生のときです。まず、プールなどの習い事に全部行きたくないと言い出して。何かおかしいなとは思っていたんですが、3学期が始まってから「学校へ行きたくない」と言うようになりました。息子は保育園時代に発達障害のグレーゾーンだと言われていて、かなり敏感な子でした。なので、先生たちの怒鳴り声を聞いたり、怒られている子を見たりすると不安になるし、疲れてしまう。学校生活でいろいろ我慢をしてきて、溜め込んだものが爆発したのだと思います。きっと息子にとって、学校は安心してすごせる場所ではなかったんですよね。
暴れる息子 無理やり学校へ
でも、不登校になったばかりのころ、私は息子を無理やり学校へ連れて行っていました。当時は働いていて、出勤時間までに仕事へ行かないといけなかったからです。家に1人では置いておけないので、暴れる息子を無理やり車に乗せ、先生に引き渡していました。一度学校へ行ってしまえば先生からは「ふつうにすごしています」と言われるので、「とにかく行かせてさえしまえば」という思いで私は息子に接していたんです。学校へ行かない選択肢は私のなかにありませんでした。
しかし、そんなふうに学校へ無理やり連れていくうちに、息子はご飯を食べられなくなりました。「食べたいのに、口のなかにいれても飲み込めない」と言って泣き出すようになったんです。