「この人はウォルト・ディズニーだ」はやみねかおるインタビュー体験記【全文公開】
今号でインタビューを掲載した児童文学作家・はやみねかおるさん。その取材に同行した「不登校ラボ」のなすとうまさんが、取材体験記を書いてくれました。はやみねさんに会って、「泣きそうになった」という、なすとうまさん。初めての取材は、どのような時間だったのでしょうか。
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「最期の時も『今が一番楽しい』と言いたい」とおっしゃったのをよく覚えている。「今『一番楽しい時はいつでしたか?』と聞いてもらえば『今です』と答えますよ」とも。これはすごくうれしい。講談社新館26階、シェラトンのスイートルームのような部屋で1時間。たっぷりなようであっという間、素敵な大人に導かれて今に向き合った時間だった。
はやみねかおるさん、ものすごく失礼なことに、実は取材に行くことが決まるまでまったくのノータッチだった。事前打ち合わせ後に慌てて図書館であとがきを読み漁る。取材まであと3日、さすがに遅すぎるだろう。でもこの短時間に人となりを掴むならそれが最適だと思った。数冊貸し出されてとびとびの『都会のトム&ソーヤ』を含め20冊ほど、17時から閉館まで児童コーナーで本に沈む。
18時ごろ、この人はウォルト・ディズニーなんだと思った。人を喜ばせることが好きで、それ以上に自分が楽しくて楽しくてしょうがない。読者の喜ぶ顔を陰でにやにや眺めている。喜ぶのが好きなのは本当だけど、舐められたらもっと力が入る感じ。とても誠実な方だ。児童文学だからなのか、大人向けの方便はまったく感じない。
2時間くらいあとがきを読んだ。それだけで、はやみねさんのことを好きになってしまった。なんてちょろいんだ。聞きたいことは浮かばなくても、その空間にいられることがとても楽しみになった。
あっという間に時間は迫って当日の取材直前、なんとなんと待ち合わせ時間になっても同行者のライターさんがお見えにならない。電車に乗ったとき、気分が悪くなってしまったとのこと。不謹慎だがこれにはドキドキした。不安20%、楽しみ80%くらいの感じで浮かれてしまう。もし間に合わなかったらプロの編集者不在のまま、不登校ラボのかんたさんと私、2人で取材するわけで、これはこれでわくわくする。編集長の茂手木さんに一報入れるべきか悩んでいたころ、ライターさんから到着した旨の連絡があった。うーん、ほっとした反面ちょっと残念。でもどうしよう、と思えた分は確実に楽しかった。ライターさんナイスです。
講談社に入る。受付でゲスト用の入館シールをもらって左胸に掲げる。
ぎゃぼーー!!
入館シールには講談社の作品から一言、引用されているらしい。「ぎゃぼーー!!」は『のだめカンタービレ』だった。先日かんたさんに「かんたーびれ」で名前をもじったブログとかを立ち上げてほしいと言ったばかり。すごく運命的だ。のだめを受け取ったのは私だけだったけど。
エレベーターで上がって部屋に通されると、はやみねさんが出迎えてくださっていた。なんだろう、この時点でかなり素敵だ。簡単に挨拶して荷物を置く。担当の方が荷物用にと椅子をご用意してくださると、はやみねさんも椅子を運び始める。ああやっぱり、こういう方なんだ。
担当の方は少し離れた別の机で作業され、はやみねさん1人を3人で迎え撃つような体制になる。こちらは右からかんたさん、ライターさん、私の順に座って、いつもよりすこしぎこちないかんたさんが、不登校新聞の説明から始める。
15分くらい経ったころだろうか。思い切り琴線に触れた。「『嘘は良くない』ではなく『下手な嘘は良くない』、子どもにはそれを伝える必要がある」と。それを受けてかんたさんが「嘘がつけなかったから学校に行けなくなってしまった」と話すから、そのときのはやみねさんがすべてを受け取るような表情を浮かべているから、私も話したくなってしまった。取材時間はきっと長くはない。質問以外はなるべくせずにいよう。そう思っていたのにどこか救われてしまったから、どうしても伝えたくなるのだ。あなたからのボールをきちんと受け取ったことを、私の気持ちを言葉に乗せて返したい。
泣くかと思った。たいしたことは話していないのに。思えば、大人にただ受け取ってもらうのは久しぶりだった。私にも大人であるという自負がある。いつもはなんとなく、相手を感心させたい気持ちが乗っているのだ。舐められたくない。すごいやつだと思われたい。そういう単純な理由のはずだ。相手も、完全にボールを受けてくれることはほとんどない。いつも何か引っかかった顔をしている。今はそれを感じない。ただ受け取って、受け取ったよと合図をくれたような気がした。もうそれ以上は話す必要も質問する必要も無かった。
15:50、本当に発言することなく取材が終わろうとしている。質問は思い浮かばなかったけど、伝えたいことはある。はやみねさんが私の言葉を受け取ってくれたように、もう一度私が受け取った合図を送る番だと思った。「次の世代のことを考えるのが大人」なら、「前の世代の思いを受け取るのが元こども」のできることだ。だからすこしだけ、きっと取材としては必要ないけれど時間をもらった。
「あとがきに出てくる『冒険』は取材中に出てきた『苦労して欲しい』を伝える言葉だと思っている」ということを伝えた。本当に思っていることを言っただけ。知識を繋ぎ合わせる知恵が大事だし楽しい、それを磨く場面は苦労しないとなかなか出会えない。取材中にそういうことをおっしゃっていた。それはたぶん、考えることを放棄しないで欲しいというメッセージだ。
今を楽しむために、便利すぎるものに惑わされず考えて欲しい。好きなものがなんなのか、自分の人生をもっと豊かにするものは何か見つけて欲しい。だから取材中も私たちに疑問を投げかける。冒険という言葉には、苦労して自分の好きを、人生を手に入れて欲しいという思いが詰まっているんじゃないか。
最後に、お手製の小さな瓶を見せてくれた。口から棒が刺さっていて、中で木を貫通したナットがしまっている。棒単体ならば抜けるが、ナットのおかげで蓋されている状態。「これどうやってつくるかわかりますか?」私たちが悩んでいると、悪戯っぽく笑う。
「答えは教えません。つくってみたらわかりますよ。」
ああ、たぶんこの時間もはやみねさんが1番楽しんでいる。
少し前、安楽死の是非を問うような映画を観た。その時に感じたのだ。このまま40代になったらきっと退屈で生きる意志を失うだろうと。まるでそんな考えを鼻で笑うような笑いと輝き。きっとほとんど本音なんだろうけど、人生の苦しみにも退屈にも触れずに、今が一番楽しいと上手に嘘をついている。大人ってずるい。あなたの視界で光っていたいと思ってしまった。願わくばもう一度、大人として手土産の一つも持ってお会いしたい。そのときこそ私の方が楽しんでみせるから。
(初出:不登校新聞617号(2024年1月1日発行)。掲載内容は初出当時のものであり、法律・制度・データなどは最新ではない場合があります)