【論文紹介】不登校はテレビでどう描かれてきた? 1960年代から調べてみたら
不登校の方のための完全個別指導塾・キズキ共育塾の半村進がお送りする、シリーズ「不登校の最新研究」。
第2回は、テレビ番組で描かれる不登校について分析した研究をご紹介します。
目次
ドラマとドキュメンタリーに描かれる不登校
今回は「テレビ・ドキュメンタリーにおける不登校の描かれかた―定義・原因・対策をめぐる映像戦略」(原賀諒)という論文をご紹介します。
2023年に『日本文化論年報』に掲載された比較的新しい論文です。この論文はタイトルの通り、テレビ番組、とくにドラマとドキュメンタリーにおける不登校の描かれ方を調べたものです。
この論文ではテレビ番組の話題に入る前に、「不登校を表す言葉がどう変化してきたか」、そして「不登校の原因として挙げられるものがどう変化してきたか」についても、わかりやすく整理されています。
そして特筆すべきは、1960年代からの日本のテレビドラマで、不登校を扱ったものを集めた表が付属していることです。このような視点で日本のテレビドラマを集めた例は少ないので、貴重な論文と言えるでしょう。
論文の後半は、2019年5月30日にNHK総合で放映された『NHKスペシャル シリーズ子どもの“声なき声” 第2回「“不登校” 44万人の衝撃」』についての分析がメインとなります。
このドキュメンタリー番組の分析を通じて、「不登校という現象を扱ったドキュメンタリー番組のなかで、どういう映像が使われがちか」「人物描写や、対策として挙げられる手段が偏っていないか」といった論点を考えさせる内容です。
学校に通っていない子どもたちを表す言葉の変遷
この論文では海外の研究も参照し、「学校に通っていない子どもたち」を表す言葉がどう移り変わってきたかをまとめています。
「怠学」から「学校恐怖症」へ
古くは1930年代のイギリスで、すでに「怠学(truancy)」という言葉が使われていたことがわかります。ただしこの用語は、単純に「怠けている」という意味だけで使われていたのではなく、「神経症的な不登校現象の存在」も含む形で使われていました。
1940年代になると、アメリカで「神経症的症状を持つ不登校現象」への注目がより高まり、「単に怠けている」というニュアンスで受け止められがちな「怠学」に代わり、「学校恐怖症(school phobia)」という言葉が生まれます。
日本への「学校恐怖症」の輸入
この「学校恐怖症」という言葉は、日本語にも輸入されました。日本の不登校研究は、アメリカの影響を受けて進められた面があるからです。
1950年代後半から60年代前半にかけて、日本でもよく使われた「学校恐怖症」という言葉ですが、当時は「学校が恐怖の源になっている」という意味ではなく、どちらかというと「母親と分離して学校に行くことが恐怖になっている」という意味で使われていました。
つまり、「子どもが感じる母子分離に対する恐怖」に焦点が当てられていたのです。
「登校拒否」の時代
1960年代後半になると、低年齢児だけでなく、さまざまな年齢で学校に通わない子どもたちがいるということが、よりクローズアップされます。そうなると「母子分離への不安が学校に通えなくなる原因」とは言えないのではないか、という意見も増えてきました。
そこで出現した言葉が「登校拒否」です。1970年ごろから、「登校拒否」という言葉が一気に使われるようになりました。
「不登校」の定着
1980年代になると、「不登校」という言葉が使われるようになってきます。
「登校拒否」という言葉では、「子どもの側が学校に通うことを拒否している」と見えます。しかし、実際はそうではない例も多いということが訴えられるようになりました。
学校を拒否しているのではなく、「学校に行きたいという気持ちがあっても通えなくなっている」という状態も含めて表現できる言葉が求められたのです。
以来、「不登校」という用語が現在まで使われ続けることになりました。
不登校の原因論の移り変わり
この論文では、「不登校の原因について、どのようなものが考えられていたのか」についての変化も追っています。
母子分離不安説への問題提起
まず1960年前後の日本では、前述の「学校恐怖症」でも見たように、不登校現象の問題の本質は母親との分離不安にあるという説が主流でした。不登校現象の原因は母子関係にあるという考え方です。
ただ1963年ごろになると、「不登校生徒はむしろ高学年児に多い」「学区内近隣への外出は拒むが、遠方の親戚宅などへはひとりで出かける」「母に連れ添ってもらっても登校できない」といった点に注目し、母子分離不安が不登校の原因とは言えないという考え方が出てきます。
子どもの性格特性や家族の関係性が原因ではないか、と言われるようになりました。
不登校は「誰にでも起こりうる」という認識へ
1980年代になると、学校に通っていない子どものさらなる増加が見られました。それに伴い、子どもの性格特性や家族の関係性に問題があるとする論調を見直す必要が生じます。
その結果、学校や社会の状況に原因を見出すという考えが広まりました。1992年になると、文部省(当時)も「不登校現象は特定の子供に特有の問題があることによって起こるものではなく、どの児童生徒にも起こりうるものである」という認識を明言するようになりました。
過去のテレビドラマの中の不登校の描かれ方
この論文では、テレビドラマに関する日本最大のウェブサイト『テレビドラマデータベース』を利用し、1960年代からのテレビドラマについて分析しています。さらに、それらのドラマを一覧にした表を作成し、付録として掲載しています。
ここからわかるのは、「学校恐怖症」という言葉が使われていた時代には、まだテレビドラマで不登校現象が扱われることは、ほとんどなかったということです。
「ノイローゼ」と「登校拒否」
1970年代になると、テレビドラマでは「ノイローゼ」と「登校拒否」という言葉が使われるようになります。
このころ、受験競争の激化に伴い、「詰め込み教育に苦しむ子どもたち」というイメージが広がりました。「ノイローゼ」という言葉が出てきたのは、この時期に「受験ノイローゼ」「テストノイローゼ」といった用語が一般的になったのと連動しています。
勉強面も含めて、学校で子どもたちにかかる厳しいプレッシャーが、不登校の要因になっているという考えが出てきたのです。
原因の描かれ方が多様に
1980年代になると、テレビドラマから「ノイローゼ」という言葉はほぼ姿を消し、「登校拒否」という言葉が圧倒的に使われるようになります。
その後、1990年代になると「不登校」という言葉が主流になり、現在まで続くことになるのです。
このように、テレビドラマの世界でも、現実の言葉の移り変わりと連動した変化が起きていることが分かります。そして、不登校の原因の描かれ方も、1980年代後半ごろから多様になったという経緯があります。
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この論文の後半は、特定のドキュメンタリー番組の分析に割かれていますが、筆者としては、前半で行われている分析が、不登校関連の用語や挙げられる原因の変遷を把握するのに、大いに役に立つと感じました。
この記事では主に、論文の前半部分を紹介しましたが、興味を持たれた方は、以下のリンクから後半部分も読んでみてください。付録の「不登校を描いたテレビドラマ」の表も、たいへん貴重なものです。
〈論文情報〉
原賀諒「テレビ・ドキュメンタリーにおける不登校の描か れかた―定義・原因・対策をめぐる映像戦略」