不登校は選んだ行為か 選択の議論よりも大事なこと

「不登校は選んだ行為なのか?」不登校について考えるとき、よく議論されるテーマです。ですが、両者には大きな共通点があると「不登校という問題」に長くかかわった中島浩籌(ひろかず)さんは言います。(連載「今『不登校』を問うために」第6回)※中島浩籌さん

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 今回は、「『不登校』は選んだ行為なのか?」というテーマについて書きます。これまで、社会・学校への問い、「ふつう」の人間関係への問い、自分自身への問いなどについて書いてきましたが、それを読んで、「『不登校』経験者は社会・学校教育を批判し、『不登校』を選んだのだ」と理解された方もいらっしゃるかもしれません。

 もちろん、選んだ人もいます。でも私が出会った多くの人は、理由がはっきりとわからないまま、とにかく学校がイヤになり通わなくなっています。では、選択することと、よくわからないまま「不登校」になることのちがいはどこにあるのでしょうか。

【連載】今「不登校」を問うために
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