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不登校を「自己責任」から切り離せ。30年の時を経て、不登校経験者が心の底から願うこと

「私は『不登校した』のではない」。「不登校」を意図的な行為とする捉え方に、異議を唱え続ける詩人・フリーライターの喜久井伸哉さん。「登校拒否」の元になった英語表現「スクール・リフューザル」のもう一つの意味を読み解き、「不登校」の新たな捉え方を提言します。(連載「『不登校』30年目の結論」第7回・写真は喜久井伸哉さん)

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喜久井伸哉

喜久井伸哉(きくい・しんや)

1987年東京都生まれ。詩人・フリーライター。喜久井ヤシン名義での著書に『ぼくはまなざしで自分を研いだ』。ほか共著に『いまこそ語ろう、それぞれのひきこもり』がある。

「私の『不登校の原因』は、スクール・リフューザルだ」。
もしも、こんなふうに一言で説明することができたなら、どれほど楽だっただろう。

「不登校」は、かつて「登校拒否」と呼ばれていた。その語源となった言葉は、英語の「school refusal(スクール・リフューザル)」だ。「リフューザル」の直訳が、「拒否」にあたる。英語圏の論文が研究されていくなかで、「登校拒否」という訳語が広まっていった。

しかし、臨床心理学者の藤岡孝志によると、「リフューザル」には「障害物を前に立ちすくむ」という意味も含まれている。それをふまえれば、「スクール・リフューザル」は「登校拒否」ではなく、「登校すくみ」と訳せるという。

「登校すくみ」だと、「身体が勝手に動かなくなる」という意味合いになる。自ら意図的に「『する』動き」でなく、体が勝手に「『なる』動き」だ。「登校拒否」によって「行かない」のではなく、身体的に「行けない」というニュアンスが強くなる。

もしも、「スクール・リフューザル」=「登校すくみ」という認識が広まっていたら、「不登校」の歴史は、今とはまったく違うものになっていただろう。「学校に行けない原因は何か」という質問にも、この言葉がそのまま回答として使えたはずだ。「私が学校へ行かない原因は、『スクール・リフューザル(登校すくみ)』だ」と、意図的な行為ではないことを伝えられた。

 私の不登校は「行為」ではなく「出来事」だった

自ら「する」のではなく、身体が「なる」動きという点では、吃音やイップスと共通している。どうしても「どもり」が起きてしまう人は、「私がどもる原因は、吃音だ」と言える。暴投してしまうピッチャーは、「私がうまくボールを投げられない原因は、イップスだ」と言える。

問題の「原因」が、行為(随意運動)ではなく、出来事(不随意運動)だということを、簡単に説明できる。重要なのは、「私は〇〇をした」という行為の表現ではなく、「私に〇〇が起きた」という出来事の表現になっていることだ。

「不登校」の場合、「私に不登校が起きた」ではなく、「私は不登校した」という表現がよく使われる。

【連載】『不登校』30年目の結論
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