
自信をくれたのはハイパーヨーヨー!高校不登校から慶應法学部へ進んだ僕の軌跡
不登校を経験したのち、自分らしい道を見つけて、前向きに頑張っている人はたくさんいます。その人たちを支えてきたものはなんだったのでしょうか。
今回紹介するのは、慶應義塾大学法学部の学生でもあり、キズキ共育塾(※)の講師でもある浜野大希さん(仮名)。
※キズキ共育塾:不登校オンラインと同じく株式会社キズキが運営する「不登校の子どもたちの完全個別指導塾」。
彼は不登校を経て、いまは法律家としての未来に向けて歩みを進めています。彼が見出した道と「支え」について聞きました。現在に至るまでには、ご両親の「適度な距離感での見守り」と、ハイパーヨーヨーを通じて身についた自信がありました。
目次
不登校の時期〜役に立ちそうにないことを学ぶ意味がわからなかった〜
不登校になったのは高校時代のことです。単位制の学校だったので、最低限の条件を満たして卒業しましたが、学校にはほとんど通いませんでした。
理由は、モチベーションを保てなかったから。単位のために、これからの自分の人生において必要なさそうな、役に立ちそうもない科目を学ぶことに時間を使う意味がわからなかったんです。
いまとなっては、高校は中退してもよかったのかなと思っています。そう思うほど、学校は楽しくありませんでした。ただ卒業のためだけにノルマをこなしていた感じです。
単位のために学校にいた時間には、いまも意味は見出せないままです。
高校を卒業したのは、親を安心させたかったから
でも、親を安心させるために、やっぱり卒業だけはしようと考えていました。親に、そう言われたわけではないんですけど。
親は時々「学校に行かないの?」と聞くくらいで、学校に行かないことについてあれこれ言われた記憶はないです。当時は「興味ないのかな?」と思えるほど、サッパリとしていました。でも今思うと、あの態度は「適度な距離感での見守り」だったんですね。
僕には姉がいて、彼女の僕への対応も、親と同じような感じでした。姉は同じ高校の卒業生で、姉の同級生にも僕と同じように学校にほとんど来なかった人もいたようですから「ああ、あっちの方に行ったのね」という感じで受けとめられていたんだと思います。
学校に行かなくても仲間とはつながっていた
不登校で家にいるときは、よく友人と電話をしていました。僕は小学生の頃からハイパーヨーヨーをやっていて、大会に出場してチャンピオンになったこともあります。その頃からの仲間たちと、ハイパーヨーヨーの新しい技などについて話すことが多かったですね。
ハイパーヨーヨーが自信になった
ハイパーヨーヨーはかつて一大ブームを起こした競技用ヨーヨーで、僕は小学1年生から始めました。最初は、全然できなかったです。でも、簡単な技を身につけることから始め、少しずつ難しい技ができるようになりました。
そのうち、周りから「すごい」と言われる技もできるようになり、努力の成果が目に見えて楽しかったですね。そうして夢中で取り組んでいるうちに、小学5年生のときに日本で1番になれました。中学生校の頃には、アジアのチャンピオンにまで届きました。
ハイパーヨーヨーで結果を出したという経験は、僕の中で「自分は頑張れば結果を出せる人間だ」という自信になっています。
大学受験は自分なりの成功法則で乗り越えた
高校を卒業してからは、ハイパーヨーヨーで身につけた成功法則を使い、大学受験につなげていきました。
まず、英検準1級合格を目標に定め、全力で取り組みました。英検準1級に合格したら、次は英検1級へ。
このように向き合う目標を少しずつレベルアップさせ、最終的に慶應義塾大学の合格を手にしました。
周囲への引け目で、大学中退を考えたことも
でも、大学に入ったからといって、順調にはいかなかったんです。
大学では高校と同じように、僕の苦手な「単位のために勉強する」一般教養が待っていました。僕はみんなと同じように、こなせなかった。
周囲の同級生が自然にできていることが自分にはとても難しく感じられ、引け目を感じました。
やる気が出ないので、親に退学しようかと相談したこともあります。親は「お前が好きなようにすればいい」と言ってくれました。
結局、悩んでいるうちに一般教養の科目は終わり、退学を選ばずに法律を学ぶ道に入ることができました。
やっぱり、僕は、いわゆる「普通の人」のように、決められたことをちゃんとこなすのは難しいです。いまでもそうです。
でも、自分は自分として生きていくしかない、できることをすればいいんだと割り切れるようになりました。
法学は自分に合っている
法律の学びは、とても難しいものです。しかし、これまでの成功体験同様に、「知識を積み上げてステップアップしていける世界」だから、僕には合っているように思います。
法律を学ぶようになってから、学校という場を初めて肯定的に捉えられるようになりましたね。
いまは学校のことを、「システム化したカリキュラムによって段階的に学びを進められる、効率的で便利な勉強の場」だと思っています。
これからも自分の信じるやり方で進んでいきたい
法学部といえば、有名なのは司法試験ではないでしょうか。でも、司法試験は難関で、いまの自分には高すぎる目標だと思います。
だから、まずは同じ法律関連の資格である行政書士試験合格に向けて、全力で学んでいます。
そして、行政書士の資格を取得してから、少しずつ高い目標を設定できればいいなと思っています。これが僕のやり方です。
もし、僕が法律の仕事に携わるようになったら、いままで自分が「普通」に負い目を持って試行錯誤してきたことも、顧客と関わるときには役に立つのではないでしょうか。
皆が考えるような「普通」になれずに苦しんでいる人に手を差し伸べること、それが自分の役割かなと思います。
親を安心させたい気持ちも学ぶ動機に
親はずっと、僕のすることを受け入れ、特に反対することもありませんでした。けれど、いまでもやはり心配はしているのかなとも思います。
法律の勉強に取り組む動機の中には、しっかり働いている自分の姿を見せて、親を安心させられればという思いもあります。
最後に〜親御さんの「適度な距離感での見守り」で、次の道を見つけた
浜野さんは、親御さんが適度な距離感で見守る中で、不登校の「次の道」を自分で見つけることができました。
ハイパーヨーヨーを通じた「やればできる」という自分への信頼や、経験から得た成功法則が大学受験、そして法律の学びへとつながり、いまもその道を歩み続けています。
現在は、自分に合っていると感じられる法律の学びを進めながら、行政書士を目指し努力を続けている浜野さん。「小さな目標を積み重ねることで、いつか大きな目標も達成できる」という成功法則は、きっとこれからも浜野さんを支え、未来を切り開いていくでしょう。