大量の課題、突然始まったいじめ。今だから話せる一斉休校の影響【全文公開】
コロナ禍で突然に始まった全国一斉休校。大人も揺れるなかで不登校になったいちごさん(13歳)。学校で受けたいじめと、その後、自分の夢に向かって中学受験をすることになったきっかけを話してくれました(冒頭の写真はイメージ写真です)。
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小学校低学年のころは、友だちと騒いだり、男子と鬼ごっこをして走りまわったりして遊ぶような、どちらかといえば私は活発なタイプでした。4年生~5年生からは、友だちの影響で韓国アイドルにもハマりました。
学校生活が大きく変わったのは5年生の2学期から。新型コロナウイルスの感染が広がってからです。教室内ではペアでくっつけていた席を床板10枚分は離す、友だちと話すときもソーシャルディスタンスを取る、体育の授業では接触しないようにするなどといった感染対策が行なわれました。一方で、咳やくしゃみをしたり、熱を出して休んだだけでも、「コロナじゃないか」と、ささやき合うようにもなりました。私が残念だったのは、密を避けるために、遊びの内容までも制限されてしまったことです。
休校中の宿題 夏休みのような
そして昨年の春には約1カ月間、休校になりました。当初、不安の種は、勉強の進み具合でした。「5年生で習ったぶんをできるところまで全部、復習して」という感じで、学校からプリントやドリルが休校開始の前日に一気にドバッと渡されたんです。春休みの宿題と合わせてだったので、夏休みの宿題くらいの量になっていました。量の多さにはとまどいながらも、提出物を全部出してから提出不要のプリントもこなすなどして、自分なりに段取りをつけて勉強を進めていました。ただ、ずっと休みが続いたのでなかなか集中もできず、ダラダラしている時間を省くと、1日30分程度、長くても2時間程度しか勉強できませんでした。
そうして、6年生に進級。 「はたしてこんな状態で、卒業するまでに勉強が終わるのか」という不安がわいてきました。そもそも休校になった時点で、5年生で教わる算数と国語は全部を教わらないまま中断され、その続きは6年生に入ってから教わったんです。「6年生のうちにまた休校があると終わらないのでは」「わからないまま中学校へ行くことになるのか」などと、次々にいろんな不安が襲い掛かってきました。
一方、友だち関係は、休校中はとくだん変化を感じていませんでした。休校期間中は思うように友だちと会えませんでしたが、習い事で友だちと顔を合わせることもありましたし、少人数で遊ぶこともありました。
理由もわからずエスカレート
変化があったのは、休校が明けた5月からです。
私とAさんとBさんは、なかよし3人組だったはずなんです。ところが5月から、2人が、急にいやな行動をとり始めてきたんです。無視、陰で悪口を言う、暴言を吐く……。それがくり返し続き、内容もだんだんひどくなってきました。
自分としては何もした覚えがないのに急に態度が変わったんです。きっかけもわかりません。それがすごくいやでストレスで、学校もいやになっていきました。「私がいやなことをしていたのかな」とも思いましたし、そうであるならば謝りたいです。でも、なぜなのか、まったくわかりませんでした。3人のLINEのグループもありましたが、休校中は、私をのぞく2人だけでしょっちゅう連絡を取り合っていたり、いっしょに遊んでいたりしていたようなんです。「2人でいたいからこうしているのかな」とも思いましたが、いずれにせよ、急に態度が変わったことが不思議でしかたなく、どうしても腑に落ちませんでした。
いじめが始まったときは、私の気持ちを2人に話すと「さらに嫌われそう」と怖くて、いやな気持ちやイライラを抑えていました。2人に自分の気持ちを言えない自分もいやだったし、こんな気持ちにさせる2人のこともいやでした。今だからこそ整理して気持ちを話すこともできますが、いじめが続いていた当時は自分自身の気持ちもわからなくなり、情緒不安定になっていきました。自分が今イライラしているのか、悲しいのか、それが全然わからなくなることもありました。ある日、こんなことがありました。給食の時間中は、手が空いている人が友だちのぶんも準備をすることがあります。そこで私は、2人の机に配膳されていなかったことに気づいて、給食を準備しました。そうしたら、こんな言葉が返ってきたんです。
「誰、これ準備したの。無理なんだけど」。
こうした言葉に傷つけられたり、無視が続いたりして、その積み重ねでどんどんストレスが増えて、学校へ行くのがつらくなりました。そして、夏休みが始まるすこし前の7月ごろ、ついに行けなくなったんです。行かないほうが気持ちはラクでした。いじめてくる人たちと顔を合わせなくてもよくなるので、そのぶん、自分のペースで生活ができる。学校のことを忘れようとして、ゲームをしたり、お気に入りのユーチューバーさんの動画を観たり、好きなことをしていました。そうすることで、気持ちも軽くなっていったんです。
ただ一方で、モノに当たることもありました。勉強机の棚の下に置いてある、布や厚紙の箱を思いっきり蹴ったり、鉛筆をバキバキ折ったり。学校へ行けないこと自体が、とても悔しかったんです。まず、学校へ行けない自分がイヤ。その原因をつくったのはAさん、Bさんから精神的に追い詰められて、負けているということが一番悔しいという思いもありました。
教室のなかでは 笑顔になるより
不登校をした最初のころは「すこしだけでも行っておいで。いやになったら保健室へ行ったら」と両親から言われ、なんとか保健室へは行ってました。保健室で図工の課題やプリントを進めているうちにすこしずつ教室にも行くようになったんです。でも教室でみんなから声をかけられるだけでも泣いてしまったり、席に着いたとたんに涙が出たりもしました。友だちと話すときも、言葉を1つでも出そうとすると声が震えて泣いてしまう。AさんとBさんが教室にいないときでも、笑顔になるより泣いてしまうほうが多かったんです。
そんななか、心のよりどころとなったのはフリースクールでした。週に2回ほどフリースクールで勉強をさせてもらいつつ、話も聞いてもらいました。私としては、ただ聞いてくれるだけでなく、寄り添ってくれたことがうれしかったです。それまで家族や先生にしか感情を出せるところがなかったので、抑えていた気持ちをすこし緩められたのだと思います。
また、まわりからは「すこしでもいいから学校へ行っておいで」と言われるなか、フリースクールの先生だけは「イヤなら行くな」と言ってくれました。そう言われて「あ、行かなくていいんだな」と初めて気持ちがラクになったんですね。そうして、自分の気持ちに沿って学校には1時間目だけ通ったり、フリースクールには週2日ほど通ったりする日が続きました。
転機となったのは中学受験でした。いじめられていたときに、今住んでいる秋田県内にある中高一貫校のパンフレットを見る機会があったんです。それを見て、先生に「受けてみたい」と相談したら、市内にあるほかの県立中学も教えてくれて、夏休みが始まった8月ごろから受験勉強を始めました。
心機一転を
動機は、「医師になりたい」という夢につながる学校だったのと、環境を変えられること。県立中学には入れば、Aさん、Bさんとも離れられて心機一転、新しい友だちもつくることができる。もしも、2人と同じ中学校へ行ってしまったら、同じ校内に2人がいると思うだけで生活もしづらく、顔を合わせることも憂うつになると思います。そうしたモヤモヤがなく、何も気にしないでいられるには受験しかない、と考えたんです。
受験勉強を進めるうちに、AさんとBさんからは離れることができました。それまでは、また何をされるかわからなかったから、いやでもくっついていたんです。でも、中学受験をすることで、「無理していっしょにいなくもいい」「別にひとりでもいいや」と思えるようになり、自分から離れることができました。やがて苦しさも薄れていきました。
いじめって、大げさに言えば犯罪のようなもの。被害を受けた側はその日々も気持ちもずっと忘れられない。今でこそ語れるようになりましたが、まっただなかにいたときは、初めての体験だったこともあり、気持ちの整理がつきませんでした。
一方、加害側はいじめられている側の気持ちを知りません。だから続いてしまうのでしょう。ただ、1つの言葉だけで人を傷つけてしまうし、もしかしたら相手を追い詰めて殺してしまう可能性もあることを知っておいてほしい。いじめを軽く見ないでほしいと、切に願っています。(聞き手・石井志昂、編集・桜田容子)
(初出:不登校新聞558号(2021年7月15日発行)。掲載内容は初出当時のものであり、法律・制度・データなどは最新ではない場合があります)