「親には待っていてほしかった」高1から不登校した女性が心から望んでいたこと

 「明日から学校へ行きません」と両親に宣言し、高校1年生の春から不登校になったという山本優美(ゆうみ)さん(仮名)。その後、母親のある変化をきっかけに親子関係が少しずつ好転していったと言います。現在はライターとして活躍する優美さんに、当時の思いや経緯を書いていただきました。

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 私は高校に入学して1カ月ちょっと経ったころ、親に「明日から学校行かない」と告げて不登校になりました。もともと小学校のころから学校へ行くのがイヤでした。「先生の言うことが絶対」という空気感や、クラス内の競い合う雰囲気が苦痛だったのです。毎日、先生の顔色や同級生の目を気にしながらすごしており、息苦しい思いをしていました。

 それでも私は「学校は行くものだ」と思っていました。誰に何を言われたわけでもなかったですが、大人になるにはこのつらい環境を通過しないといけないのだと思い込んでいたんです。でもやっぱり疲れてしまうので、年に10日ぐらいは親に「カゼひいたかも」と言って学校を休んでいました。

 そうやって中学まではなんとか学校生活を乗り切ってきました。しかし高校でついに限界に達したのです。心の糸が切れたきっかけは高校受験でした。中2の夏、母からある私立高校を目指さないかと切り出されました。めちゃくちゃ偏差値の高い学校で、かなり努力しないと受からないようなところでした。でも母の話を受けて私はがんばってみようと思いました。学校生活が楽しくなるかもしれないという期待があったからです。小学校も中学校も学区制で決められた学校に通わされ、「なんで自分に合った学校を選べないんだ」という怒りが募っていました。だから高校は環境のいいところに行きたいと強く思っていたのです。その後、私は母が見つけてきた受験塾に通うようになります。

入ってしまったスパルタ塾

 私が入ったのはスパルタ塾でした。課題の量がとても多く、平日も休日も夜遅くまで塾で勉強していました。それでも終わらず、新しい課題も次々に出されるので、家に帰ってからも睡眠時間を削ってひたすら机にかじりついていました。そうした詰め込み学習で学力は上がったのかというと、最初だけでした。疲労と睡眠不足で集中力が落ち、途中からは停滞。受験直前になってもとうとう志望校の合格ラインには達しなかったのです。

 「このままでは落ちる」と私は感じていました。でも志望校を変えたいとは誰にも言えませんでした。きびしい現実から逃げるのはいけないことだ、という認識をどうしても拭えなかったのです。そのまま誰にも相談せず突き進み、受験は失敗しました。

 結局、私が入学したのは、受験日の3日前に知った高校でした。しかし私はまだがんばろうとしていました。「思いもよらなかった学校に入ったけれど、ここでまた勉強をがんばって、成績上位者になろう!」と高い目標を設定し、また机にかじりつく日々を送ったのです。逆境には立ち向かうものだと思っていたんですね。そして迎えた高校初の中間テスト。そこで、ばっちりテスト対策をしたはずの地理で40点台を取ってしまいました。がらがらと壁が崩れたような気がしました。

「がんばらなきゃいけない」という呪い

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