「構造を変えるよりも明るく逃げよう」絵本作家・五味太郎が語る歪んだ社会から逃げることの大切さ【全文公開】
「この歪んだ社会では『逃げること』以外に貫ける正義はないよ」。『みんなうんち』、『きんぎょがにげた』などの絵本で有名な絵本作家・五味太郎さんはそう語ります。五味さんの言う「社会」、「逃げる」とはどういうものなのか。不登校経験者がお話をうかがいました(※写真は五味太郎さん)。
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――よろしくお願いします。今日は不登校について、お話をうかがいたいと……。
俺ね、今は基本的に、こういうインタビューを受けなくなったんだ。相手に悪いから無下に断るわけにもいかないけどね。20年~30年前の、娘が高校生くらいまでの時期は、学校についてよく考えていたよ。すごく興味が湧いて、『大人問題』や、『じょうぶな頭とかしこい体になるために』などの本にも書いた。いろいろなところに呼ばれて、講演会もずいぶんやったんだ。
「学校ってヘンだよね」という話をすると、みんなが盛り上がってくれて、その場では賛同してくれる。だから「こんなに反響があるなら、学校のシステムも変わっていくのかな」と期待していたんだ。だけど何十年か経っても、基本構造はなんにも変わっていない(笑)。
システムそのものを解体してしまったら、困る人が出てくるからだろうね。学校業界がなくなったら、雇われている先生たちとか、教科書をつくっている出版社の人とかが、食べていけなくなるわけだろう。
物事を深く考えられない人は、「誰かが悪意を持って、悪さをしている」と発想する。だけどひとつひとつの問題で犯人探しをしても、意味がないんだ。結果として「悪」ではあっても、悪意はない。歪んだ社会構造そのものが変わらないかぎり、学校業界の歪みも解決できないよ。
学校は子どものニーズに応えて
――学校のどのようなところが、歪んでいるのでしょうか?
「やっていれば儲かる」という業界の構造が、もう歪んでいるよね。学校って、子どもに対するサービス業的な観点がまるでないだろう。仮に、「週5日通わないといけない定食屋」なんてものがあったら、いくらでも儲かるじゃないか。店を開けているだけで、かならず客がやって来る。来ない客がいたら、「客のほうがおかしい」なんてな(笑)。学校は「来ないと卒業させないぞ」と言って、子どもを脅しているわけだろう。商売だったらありえないよね。
町なかで経営している塾は、子どもにちゃんとサービスをしている。授業に出られない日があったら、その日の授業内容を子どもにメールしているんだ。学校だって、子どものニーズに応えないといけないよ。
――学校の構造が歪んでいても、子どもはガマンして通うしかないのでしょうか?
構造をドライに理解して、合わせていくしかないだろう。それがほとんど結論だよ。俺の友だちには優秀な奴が多くて、役人をやっていたり、大きな会社で出世していたりする。そういう奴は、やっぱり社会の構造をよく理解していると思うね。
組織に「使われる」のではなくて、自分が組織を「使う」ことを考えている。「好きな車をつくりたい」と思っても、自分1人でつくるのはたいへんだ。だけど自動車会社に入って、整備工場やデザインの部署を利用すれば、車づくりができる。子どもも、構造を理解して学校を「使う」べきだよ。
制度を利用する という気持ちで
「学校がまともだ」という前提に立っているから、「学校へ行っていない自分はおかしい」なんて悩み方をするんだ。おかしな社会のなかで、大人たちだっておかしくなっている。学校制度を否定して、別の生き方をしようとする人もいるけど、それだと面倒くさいことが増えてしまう。
何かしたいことが出てきたときに、中学卒業の学歴が必要なこともあるだろう。そういう仕組みになっているわけだから、「だったらまあ、卒業しておくか」でいいんじゃないか。
――私は不登校だったので、中学校も「卒業できないかもしれない」と思い、不安でした。
いや、「卒業できないかも」なんて悩む必要はないんだ。義務教育は、卒業したければできるんだよ。俺の娘が小学校へ行かなくなったときは、校長が理解のある人だった。
娘に向かって、「私にはあなたの成長を見守る義務がある。だからときどきはちゃんと報告してね」と言われた。毎日学校に通う必要はないんだ。勉強は家で俺や母ちゃんが教えるし、たまに「元気でやっています」と学校に伝えた。中学に入ってからも同じやり方だ。教育委員会にも伝えて、ちゃんと承諾の文章ももらった。それでいいんだよ。
「学校に来ないと落第させるぞ」なんていうのは、子どもを管理するための脅しにすぎない。公立の中学校が子どもを卒業させなかったとしたら、それは完全に憲法違反なんだ。
憲法26条には、すべての国民が、「ひとしく教育を受ける権利を有する」と書かれている。子どもが学校へ行かないことは、単に権利を放棄しているだけであって、義務の不履行ではない。教育を仕事にしている人でさえ、26条を知らないよね。さらに言うと、子どもの側も「自分にどんな権利があるか」を調べていない。26条を読んでごらんよ。
俺の絵本は全部が「今」
――たしかに権利については、あまり考えていませんでした。まわりの人とちがう生き方をしていると、将来のことが不安になって、冷静に考ることができなくなってしまうんですよね。
そういえば若い友だちから「五味さんの絵本は、つねに『今』なんです」と言われたことがある。言われてみれば、たしかに俺は「将来どうするか」を考えていない。過去もどうでもいい。興味の対象が、全部「今」なんだ。
描いているときは、「前のページはこうだったから、次のページではこうしよう」なんていう、因果関係で捉えていない。描いている途中で、ふっと思いついたアイデアが、そのときそのときでかたちになっていく。
子どもも、興味がずっと「今」に向かっているだろう。外を走りまわっていて、ふと地面を見たらアリがいた。そうしたらしゃがみ込んで、そのアリを見る。アリが葉っぱを運んでいるとか、穴のなかに入ったとか、すぐに関心が移っていく。ずっと「今」に興味があるんだ。
「今」に夢中の子どもを、学校は社会化させて「将来」を考えさせている。中学生がなぜあれほど退屈な勉強を毎日しているかといったら、「いい高校に入るため」だろう。それで高校に入ったら、次は「いい大学に入るため」の勉強だ。それでいい大学に入ったら、今度は「いい会社に入るため」にがんばって、就職したら「老後のため」に備える。「将来のため」の生き方を、学校によって指導されているんだ。子どもたちは、どこまでいっても「今」を生きることができない。
――学校へ行くことで、大切なことを見失ってしまうのでしょうか。
文科省がしている初等教育のカリキュラムって、本当にムダだと思う。科目の設定が不思議だし、今の時代にも合っていない。からだの話とか食べ物の話とか、大事なことを教えていないだろう。
大事なことは 学校で学ばない
そもそも必要なことは、学校で学んでいないよな。たとえば「絵本を読む力」は、どうやって学んだのかな? 絵本を本質的に読めているのは、じつは大人ではなくて、ガキのほうなんだよ。
『きんぎょがにげた』という絵本でいえば、「実際の金魚と、五味太郎が描いた金魚がちがう」ということを、ガキはちゃんとわかっている。水のなかにいる金魚が、水槽から逃げるのはヘンだろう。だけど大人たちは、それが読めていないんだ。家で飼っている金魚も、五味太郎が描いた金魚も、全部同じ「金魚」だと混同する。大人に「絵本を読む力」がないわけ。
だから俺は、講演会か何かで話したときに、「読み聞かせをやめてくれ」と言ったんだ。そうしたら、その会場は読み聞かせをする大人たちが集まっていた場所だったから、シーンとなってしまった(笑)。
――『きんぎょがにげた』はとても有名ですが、五味さんにとって、「逃げる」とはどのような意味なのでしょうか?
俺は「逃げる」ことを、かなり意識的に考えている。社会的に「逃げる」という意味でいうなら、「非国民」という非難を、甘んじて受けいれちゃうこと。歴史的に見て、国が「戦争です」と言ったら、戦争へ行く人がいっぱいいたわけでしょう。「お国のために」と行って、お母さんたちも子どもを兵隊に送り出していた。歪んだ社会の、歪んだ構造のなかで、みんなが選択してやっていたわけ。
俺はその仕組みをどうにもできない。ただしそのときに、俺は、戦争へ行かない。それが社会的に「逃げる」という意味。今はウクライナやイスラエルのことが、盛んに報道されているよね。だけどベトナムのボートピープルや、ロヒンギャのことはどうだろう。
毎日殺し合いが起きているのに、報道されていないことが世界中にある。自分がそれらを知ってしまったときに、いったい何ができるのか。「寄り添う」なんて言うけど、それってどうすればいいんだ。問題を解決しようにも、歪んだ世界にあっては、その解決方法も歪んでしまう。寄付をするにしても、自己満足でしかないかもしれない。
だから戦争反対のデモ行進にしても、社会運動にしても、俺はやらない。運動が正義だという人もいるけど、俺は「逃げる」以外に、貫ける正義はないと思う。不登校新聞も、社会的な発信をしているよね。こんなことを言うともうしわけないけど、不毛なんじゃないかな。社会に訴えていくよりも、不登校を明るく報道したらいいんだ。
「非国民」だったとしても、「あの非国民は魅力的だ」なんて言われるようにさ(笑)。国や学校の構造を変えようとするよりも、一人ひとりが明るく逃げようよ。
――ありがとうございました。(聞き手・古川寛太、茂手木りょうが/編集・喜久井伸哉/撮影・矢部朱希子)
【プロフィール】五味太郎(ごみ・たろう)
1945年、東京生まれ。絵本作家。『みんなうんち』、『きんぎょがにげた』、『さる・るるる』など450冊を超える作品を発表。世界中で翻訳出版され、子どもから大人まで幅広いファンに愛されている。サンケイ児童出版文化賞、ボローニャ国際絵本原画展賞、路傍の石文学賞など受賞多数。
(初出:不登校新聞621号(2024年3月1日発行)。掲載内容は初出当時のものであり、法律・制度・データなどは最新ではない場合があります)