元宝塚・真野すがたさんインタビュー①不登校の子育て|「あ、やっぱり来たな」台湾の小学校での不登校(行き渋り)
宝塚歌劇団・花組の元男役スター、真野すがたさん。
ご結婚と息子さんのご出産の後、息子さんが1歳のときに、夫(日台ハーフ)の仕事の関係で台湾の台北に引っ越し、10年を過ごしました(台湾生活の中で、娘さんもご出産されています)。
台湾生活の中で、息子さんは小学校3年生のときに「学校に行きたくない」と言い始めます。
幼稚園の頃から「お利口さんの仮面」をかぶって集団生活にストレスを感じていた息子さんの行き渋りと、軍隊的な学校文化。
不登校オンラインでは、不登校(行き渋り)を「あ、やっぱり来たな」と受け止めた真野さんの子育てについて、全3回でお聞きしました。
第1回となる今回は、台湾の小学校で始まった行き渋りと、インターナショナルスクールへの転校、そして「学校が合うか合わないかは、ほぼ運」と感じるまでのお話をお伝えします。
目次
幼稚園で「お利口さんの仮面」をかぶっていた息子が、小学校で「学校に行きたくない」と言った日
――息子さんが「学校に行きたくない」となり始めたのは、お子さんが何歳のときのことでしょうか。
真野すがた(敬称略、以下「真野」):
前提として、息子が1歳のときに、私たち家族は夫(日台ハーフ)の仕事の関係で台湾の台北に引っ越しています。だから、息子の不登校(行き渋り)も台湾での出来事です。今は日本に帰国して、東京都に住んでいます。
息子が実際に「もう学校に行きたくない、つらい」と言い始めたのは、小学校3年生になってからでした。でも、兆候は幼稚園のときから感じていましたね。
息子は、「幼稚園に行きたくない」と、言葉にはしませんでした。ただ、幼稚園を終えて私がお迎えに行ったら、帰りの車の中や、帰ってからの家で、癇癪(かんしゃく)を起こしていたんです。
なので、「この子は、小学校に入ったら不登校になるかもしれないな」とは、そのときから思っていました。
幼稚園の中では何にも起こさないんですよ。むしろすごくいい子で、ニコニコして、お利口さんにしていて、先生とも笑顔で手を繋いでいるんです。
「幼稚園児なりに、お利口さんの仮面をかぶって、いい子を演じていた」んですよね。過剰適応(※)でそうしていたのかもしれません。
※編注:過剰適応とは…人間には、困難な状況やストレスのある環境に、ある程度適応する力があります。ただ、極めて過酷な環境においても「何の問題もないよ」「大丈夫だよ」と適応しすぎることを指すのが、過剰適応です。過剰適応については、こちらの記事もご覧ください。
息子が通っていた幼稚園は、日本人向けの幼稚園ではなく、いわゆる現地の幼稚園です。
息子は1歳のときから台湾生活です。幼稚園に入ったときには、幼稚園レベルの中国語(台湾の公用語)は普通に話せるようになっていました。
なので、「言葉のストレスで幼稚園がイヤ」というものではなかったですね。元々持って生まれた彼の個性として、集団生活にストレスを感じるタイプなんだと思います。
そんな経緯があったので、小学校3年生で「学校に行きたくない」と言い始めたときは、「あ、やっぱり来たな」と自然に受けとめられました。
――「いつか不登校になるかも」と思われていたんですね。
真野:
そうですね。だから、すごくヘコんだということはありませんでした。
当時の私は週末だけ仕事をしていたので、息子の面倒を見る時間的な余裕がありました。
そこで、「じゃあまずは、学校は週1回2回お休みしつつ通おうか」という感じで対応しました。本格的な不登校というよりは、行き渋りという感じでしょうか。
私がすごく気をつけたのは、「学校に行けなくなるまで頑張らせたら、本当に精神的に弱って何もできなくなる」ということでした。
なので、「家で、遊ぶ時間も設けつつ、学校のこともちょびっとはやろうね」というようにしました。
――行き渋りの時期、勉強についての心配はされていましたか?
真野:
勉強のことは、あまり重視していませんでしたね。これには、2つの観点があります。
1つ目として、私の両親は、教育熱心だったんです。私自身は中学受験もしています。「高校卒業後は宝塚に行きたい」と言ったときは、すごく反対されました。
そんな両親に育てられた私ですが、宝塚を経験したことで、「大事なことは、(学校の教科の)勉強だけではない」と思っていたんです。
2つ目として、「不登校が何年間も続いて、その間全く勉強していない」ということでしたら結構大変かもしれません。
ですが息子は完全な不登校ではありませんし、勉強に遅れがあったとしても小学校内容の数か月程度です。それくらいなら、大したことはありません。
その上で、子どもが何かを本気でやりたいとなったときの力はすごいから、「もう1回勉強し直したい」となったときにはすぐに取り戻すだろうなと思ってました。
「軍隊的な雰囲気」が残る台湾の学校文化への、息子の反発
真野:
今思い返すと、息子が小学校になじめなかった理由には、「台湾の学校文化」もあるのかなと。小学校も中学校も高校も、割とこう…軍隊的な雰囲気がまだ残っているんです。
先生に絶対的な権力があって、宿題を忘れたら「休み時間なしで、この漢字を何百回書きなさい」とか。
息子はそういうのにすごく反発を覚えるタイプです。「僕がしたことと漢字の書き取りにはなんの関係もない」「口答えを絶対にしちゃいけないのはおかしい」などと言っていました。
日本の小学校で息子の体験入学をしたことがあるんですが、日本の先生はめちゃくちゃ優しいんですよ。きめ細やかで優しくて、なんかもう感動しちゃうぐらい。
そういう日本的なよさにあふれた先生と比べると、台湾の先生は、すごくはっきりビシバシ言いますね。台湾のドラマを見ている方には伝わるかもしれません。
不登校を忘れて、親子で“普通”に過ごせた夏休み
――不登校(行き渋り)の状況に、変化のきっかけはありましたか?
真野:
行き渋りになった小学校3年生の夏休み(※)は、大きな契機でした。うちの子だけじゃなくて、他の子もみんな休んでいるから、気が紛れました。
※編注:台湾の学校の新年度は、9月から始まります。夏休みは「その学年が終わる時期の(新学年が始まる前の)長期休暇」です。
親も子も、不登校(行き渋り)が頭から抜けて、普通に過ごせたのがよかったんですよね。
だから、親が「子ども」や「不登校」にフォーカスしすぎない、見つめすぎないことが大事なのかなと思います。
インターナショナルスクールに転校。ハグしてくれるような感覚の中、スッキリ通えるように
真野:
その夏休みを挟んで、息子はインターナショナルスクールに移りました。
郊外の山の上にあるこじんまりとした学校で、家から車で往復1時間以上。送迎の負担は増えましたね。でも、移ったらスッキリ通るようになりました。
――転校したということは、「学校には、行けたら行けた方がいいよね」とお考えだったのでしょうか。
真野:
息子は人間関係があまり得意じゃないんです。学校は、人間関係を学べる場所だと思うんですよね。そのため、行けるなら行ってほしいと思っていました。
ただ、本当に行けなくなったとしたら、今の時代はオンラインスクールとかもあるので、全然それでもいいとは思っていました。
――そのインターナショナルスクールは、どうやって見つけたのですか?
真野:
選択肢として、「台湾の普通の学校」だと、どこも先生が厳しくて宿題が多くて軍隊的である以上、移っても通えないなと。ならば、インターナショナルスクールか実験学校(オルタナティブスクール※)だなと思っていました。
※編注:台湾の実験学校(オルタナティブスクール)については、第2回でお伝えします。
台北から通えるインターナショナルスクールは数が限られています。いわゆる伝統校だと、途中から入るのが難しいところもあります。なので、「ここなら行けるかな」というところを見つけて、申請して、OKが出ました。
その学校は、アメリカのプロテスタントであるアドベンチストの系列でした。割と宗教色が強い学校で、先生たちも学校の敷地内に住んでたりするんです。
でも、キリスト教系だからこそなのか、うちの息子みたいにちょっと難しいタイプの子を受け入れてくれました。ハグしてくれるみたいな感覚があって、すごく合ってましたね。
キリスト教系の学校には、規律が厳しいところももちろんあるんですが、その学校は、割と緩い感じでした。
帰国してからもインターナショナルスクール。学校が合うか合わないかは「運」
――その後、日本に帰国されています。日本では、息子さんの様子はいかがでしょうか。
真野:
日本に戻ってからも、インターナショナルスクールを選択しました。
ただ、その学校でも、最初の数か月は全然お友達ができなかったんです。やっぱり、人間関係が得意じゃないんだと思います。
息子は、台北のインターナショナルスクールでとても仲のいい友達グループができて、毎日楽しく過ごしていたんです。日本に戻ったことでそれがなくなったので、最初の頃は「あんなに僕を理解してくれる子にはもう出会えないのに、別れちゃった。あれ以上の子は今の学校にはいない」と悲しんでいました。
そんな感じのまま夏休みに突入して、でも夏休み明けからは仲のいい子もちょっとずつできてきました。
それですごく思うんですけど、子どもにとって「学校に行く理由やきっかけ」は、ある1人のお友達だったりとかして、でもそれって親が用意してあげられるものじゃないですよね。
だから、親が「この学校にどうしても入れたい」と思って頑張って受験が成功しても、その学校が合うか合わないかは、ほぼ運ですよね。
なので、「(学校に行けない状況になっても)しょうがないんだな、達観するしかないな」って思いました。
インターナショナルスクールの後のことは、未知数です。中学受験をして別の学校に行く生徒もいます。でも、誰にとっても未来は読めませんからね。
「鬼ババア」な私は日々、猛反省。子育ては難しい…
――(第2回目・第3回目の内容も含めて、)要所要所で息子さんに的確・適切なご対応をされているなと思います。
真野:
お話ししていることには、「いつも必ずできているとは限らず、でも、心がけとしては」というものもあります。
インタビューだからカッコよく見えるかもしれませんが、本当にふだんは鬼ババアでやっていますので(笑)。
怒るときには「男役」が出ちゃうから、声もお腹からの発声になって、すんごい声で怒ってました。
――役者さん、しかも男役の役者さんに怒られるのは、お子さんにとっては結構怖いですよね。貴重な経験かもしれませんが。
真野:
夫も「怒ったら本当に怖いよね」って言ってます(笑)。そこは日々反省してます。反省することはいっぱいあります。子育ては難しいですよ。
(この記事は、全3回の第1回です。第2回に続きます。)
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