「不登校をしていたときの自分が現在の核になっている」。そう話すのは、ロックバンド「ザ・ブルーハーツ」の元ドラマー、梶原徹也さん。現在もプロのドラマーとして第一線で活躍する梶原さんに、自身の不登校経験の経緯や現在の思いなどをうかがった。
――不登校の経験があるとうかがいましたが?
高校2年生のとき、1年くらい学校に行ったり行かなかったりをくり返していて。その間のほとんどを家で過ごしてたんだ。地元でも有名な進学校に通っていた当時の僕は、学級委員長などをすぐ引き受けてしまうような優等生タイプでね。ただ、器用なわけじゃないから、一つこなすのに時間がかかってしまうことも多くて。そのうち、勉強にもついていけなくなって何事も完璧にこなそうとする自分と、学校に行けない自分とのあいだの葛藤がしだいに大きくなってきてしまったんだよね。それで、体調も崩してしまって「もうダメだー」と、学校に行くことを投げ出してしまったんだ。
――周囲の反応は?
父親は銀行員をしていて、「まじめにコツコツが人生の美徳」が信条だった人でね。しょっちゅう「学校に行かないなんて、人間のクズだー」って怒鳴られてたよ(笑)。