「不登校から文科省職員に」異色の経歴を持つ藤井健人さんが目指すのは「不登校という格差」の是正
小学5年から中学卒業まで不登校、その後東京大学大学院へ進み、現在は文部科学省職員という異色の経歴を持つ藤井健人さん(30歳)に取材しました。家庭環境や自身の不登校から「ふつうになりたい」という強い思いがあったと言います。夜間定時制高校から猛勉強のすえ早稲田大学に合格後も「ふつうとの格差」に思い悩んだ藤井さん。「安易に不登校を肯定するだけでは格差の是正につながらない」と訴えます。(※写真・藤井健人さん、撮影・矢部朱希子)
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――藤井さんの不登校について教えてください。
私は両親と祖父母の5人家族で暮らしていたのですが、私以外の家族全員に持病があって、それが原因で家庭環境が不安定でした。幼稚園や小学校低学年までは楽しく学校に通えていたのですが、小学校入学後に家族の入退院が頻繁になってしまいました。
当時、父親は仕事を続けられなくなり、昼夜逆転して1日中家にひきこもるような生活。「僕の家はふつうじゃないんだ」と子どもながらに気づいていました。生活リズムがふつうの家庭とはちがうため、朝の集団登校さえも、生活サイクルを合わせることが難しい。だんだん、まわりの子との環境のちがいを意識してしまうようになって、学校に通うことが難しくなっていきました。小4から休みがちになり、小5からは完全に行かなくなりました。
不登校になってから、親は不登校系のシンポジウムに参加するなど知識を深めようとし、私も何度か連れて行かれました。「学校へ行きなさい」とは言いませんでしたが、親自身も病気で家にひきこもっていたので、おそらく子どもに対しても強く言えなかったんじゃないか、と思います。
ふつうの家庭のように、親が昼間働いて子どもだけが不登校、という家庭だったら私立の通信制やフリースクールという選択肢もあると思います。
しかし私の場合は、親が働けない状態だったので、経済的にそういったものを検討することはできず、そもそも学校に復帰するとしたら元々通っていた学校に戻りたいという気持ちがあり、転校は念頭にありませんでした。収入は祖父母の年金と両親の障害年金のみで、高校2年のときに家を売ることになるほど、経済的にきびしい状況でした。
家庭の問題 知られたくない
ただ、私が学校へ行けなかった直接の理由は、貧困ではなく「人に会うのが怖い」と感じていたからです。