俳優・田口トモロヲさん聞く「オレの10代は、ど暗かったな~」

 今回、子ども若者編集部が取材したのは俳優・田口トモロヲさん。田口さんには10代のころの話などをお聞きした。というところまでは、いつも通りだが、1時間のインタビューが終わってから、数日後、田口さん本人から「もうすこし、ちゃんと話したい」と、新聞社に連絡が入り、再度取材。5時間にも及ぶインタビュー&雑談となった。掲載されたインタビュー記事は2日間のインタビューから抜粋したものである。

――田口さんはどんな10代をすごされていましたか?
 え~っと、みなさんといっしょで、ほぼ不登校(笑)。父親の仕事の関係で引っ越したのをきっかけにいじめられはじめて……、あれっ? あれは三鷹の中学校だったかな。あの時代は、自分のなかの暗黒期だから、心理的に記憶を封印したいのか、よく覚えてないんです。とにかく中学・高校は学校と家に居場所がなくて、映画館の暗闇に逃げ込んでなんとかやりすごしていた時代です。それが高じて映画を好きになったんですが、好きで映画を見始めたわけじゃありませんでした。

 ただ、その当時、ちょうど映画が変革期を迎えていて、それまでの美男美女のヒーロー・ヒロインが活躍する映画が廃れ、もっと現実路線のアメリカ映画が増えてきたころです。ああいう映画を見られたこと、それとパンクに僕は救われたんです。だから、大げさに言えば、僕は映画に恩返しをしたいんです。
 
――印象的だった映画は?
 ダスティン・ホフマン主演の「真夜中のカウボーイ」(1969年作)とか「わらの犬」(71年作)、それからサムペキンパー監督の「ワイルドパンチ」(69年作)は、本当に好きな映画で、いまでも見返します。ダスティン・ホフマンやアルパチーノって外国人のなかにいたら小さく見えるでしょ。僕もチビだったからすごく自己投影できたんです。

あきらめると肯定は同じ

 当時は現実路線を目指して暗いストーリーの映画が増えてきたんだけど、僕が救われた映画はそのなかでもとくに暗い話(笑)。ドロップアウトした人間たちが、現実に翻弄されながら、仕方なく争いに巻きこまれて戦っていく。けれども大きな力には勝てずに、最後は押しつぶされて、ぶざまに死んでいく。そういうまったく希望のないストーリーに僕は救われたんです。「ああ、これでもいいんだ」「負けてもいいんだ」「人生は何でもありだ」って思えた。「大事なのは結果じゃなくて過程なんだ」と。それは正論しか言わない映画、ましてや学校では教わらなかったことです。

 だから、誤解を生む言い方ですし、言っちゃいけないことかもしれませんが、私は「死んでもいいじゃない」と思えて救われたんです。それまで本当に地獄だった。学校にも家にも居場所がなくてつらくて、死にたかったけど、その勇気もなかった。映画を見て、生きていること自体が地獄にいることなんだと思ったら楽になれた。ざっくり言えば、いまの状況や自分自身に対して、あきらめることができたんです。

 あきらめると言うと、ネガティブに聞こえますが、肯定することと同じことだと思うんです。僕は自虐的な人間だから「自分を肯定する」っていう言い方より「ダメなんだから仕方がない」っていう言い方のほうが安心するんで(笑)。
 
 
――私は「死ねない」という屈辱感をいまも感じていますが、どうしたらいいんですか?
 いやあ~、相談されると、そんなことに自分が答えられる権利があるのかなって思うんですよ……。

 だって、僕はいまでも仕事や日常的なことで悩んでいるし、50歳をすぎたのに雲行きはいつでも怪しい。だから、むしろこっちが相談する側(笑)。この仕事をしていると「好きなことをできていいですね」って言われるけど、俳優は注文がなければ、失業者(笑)。それなのに仕事はいつもうまくいくわけじゃないし、まわりの共演者は才能もあれば協調性もある。大手事務所の所属ならば、ある程度、仕事はあるかもしれないけど、うちは町工場みたいな個人事務所だから(笑)。

 それに映画づくりってゴールがないから正解も決着もないんです。ある程度、世間から求められることや技術的なことは見えてきたんだけど……、自分が求めていたことって、こういうことじゃないなあって気がついたんです。だから、いま、すっごいわかんない。

 ちょっと、みんなで今後の生き方をどうするかってことを、プレゼンをしあうっていうのは、どうかな?

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