「みんなちがっていい世界はどこに?」不登校当事者が聞くロバートキャンベル取材

 ロバート キャンベルさんは、大学生時代、アジアの人々と交流するなかで文化や習慣のちがいに関心を抱き、以来、日本文学を研究する道を歩き続けている。いわば「ちがい」に魅せられた人だ。一方、不登校当事者は好むと好まざるにかかわらず、「人とちがう自分」を背負って生きている。「ちがい」をテーマに当事者がキャンベルさんにお話をうかがった。

――金子みすゞさんの詩で「みんなちがって、みんないい」という一節は有名ですが、「みんなちがっていい世界」なんて私は見たことがありません。不登校をしたら、「みんなとはちがう」と差別をされ、私もずっと、ずっと大人から「みんなといっしょに」と注意されてきました。「ちがう人」は差別されるのではないでしょうか?(13歳・女性)

 今の社会では、たしかに「ふつう」はおよそ一つしかなく、人との「ちがい」が明確に見えるかもしれません。しかし私が研究している江戸時代には「それぞれのふつう」がありました。江戸時代には「士農工商」という明確な身分があり、身分によって、衣服、言語、住居のつくり、それに持っている本の大きさまでちがっていました。身分だけでなく男女でもちがいます。それぞれの「ふつう」をみんなが生きていたのです。

 それに私が好きな文学は、いつも「ふつう」から出ていった人の話です。

向こう側の“ふつう”があった

 たとえば『雨月物語』を書いた上田秋成は、商家を継ぐために養子になった人ですが、商人になるのがどうしてもイヤで飛び出しています。平賀源内もそうです。

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