記事 実業家・都知事選出馬 家入一真さんに聞く

 今回のインタビューは不登校・ひきこもり経験者の家入一真さん。現在は実業家としてだけでなく、2014年の都知事選にも出馬するなど、活動の幅を多方面に広げている。家入さんに「原点」をうかがった。

”ひきこもり、超いいじゃん”

――まずは不登校のきっかけから教えてください。
 中学2年生のころの出来事がきっかけになっています。いきなりこんな話でなんですが、当時、すごく仲の良かった子から「オレ、ちん毛が生えた」って相談されたんですね。で、「誰にも言わないでほしい」と。だけど、その5分後かな、みんなに僕が言いふらしてしまったんですね(笑)。いまでこそ、笑い話ですが、この日を境に一人ぼっちになりました。まわりから「信用できない」と思われたんでしょう。誰とも話せず、どうやって笑えばいいのか笑い方もわからなくなりました。そういう場には行きたくなくて家の近くの納屋に一日中隠れていたこともあります。もちろん、すぐにばれて親には叱られました。

 親は不登校を知って何度も行かせようとしましたが、中学3年生の後半からは、ほとんど家から出られなくなっていました。

 この件は10年ぐらい僕のなかでは引きずってました。「あれが分岐点になって、悪いほうの人生を歩んでしまった」と。

運動会を裸足で逃げ出して

――高校には?
 行きました。クラスのメンバーはちがうし、ふつうの子になりたかったし、親には心配をかけたくなかったからです。いわゆる高校デビューですよ、高校ならやり直せると思っていました。

 でも、実際に行ってみると、やっぱり人の目は見られないし笑い方もわからない。すぐに行かなくなりましたが、親は何度も無理に連れて行こうとし、先生も迎えに来てくれたことがありました。決定的になったのは高校1年生の運動会です。親は「どうしても運動会だけは」と思っていました。僕も親を喜ばせたかったし「運動会だけはちゃんと行くよ」と。父も母もすごく喜んでくれてね。一家総出でお弁当をつくって見送ってくれました。運動会当日、学校に着き、トイレに入るとなぜかまったく外に出られなくなったんです。先生もトイレにまで来てくれましたが出られない。どうしようもなくなって窓から裸足で逃げ出しました。体操着のまま電車に乗り、さびれた駅に降りてひたすら歩いたのをよく覚えています。歩いている途中、なぜか鼻血も出てくるし、涙は止まらないし、情けない気持ちでいっぱいで……、どうすることもできずに家に帰ると母が泣いていました。その日から、家から出られなくなりました。

――その後、会社を立ち上げるまでの経緯は?
 絵が好きだったので最初の希望は美大でした。でもお金がなかったので、「新聞奨学生」という制度をつかって美大予備校に行きながら住み込みで新聞配達を始めたんです。結果的にそれが少しリハビリになったんですよ。他人と会話する必要もないし、自分の作業だけしたらそれで終わりなので、気が楽だったんですね。

 新聞配達を続けながら、1浪して、2浪して、「また来年も目指そう」と思ったときに父が交通事故にあって働けなくなりました。借金もたくさんありました。もう学生をしているゆとりがなく、働こうと思ったのが20歳のときです。

 最初に入ったのはデザイン会社だったかな。あとがない状況での就職でしたが、やっぱりあわなかったですね。すぐに行けなくなり、クビになって、再就職して、クビになって……。無断欠勤すると会社から電話がくるでしょ、あれが今でも怖くてね(笑)。そうこうしているうちに結婚したんです。そのとき、ふつうに働くことができないんだから起業しちゃおう、と。

――でも、起業はリスクが大きいですよね?
 失うものなんてなにもないですから(笑)。それに飽きたり、イヤな目にあったら「やめればいいや」と思ってました。「ちゃんとしなきゃ」と思ったら、今やらなきゃいけない一歩も踏み出せなくなってしまう。あんまり将来のことなんて考えないほうがいいと思うんです。

 この前も中学校から「夢について語ってください」と講演依頼を受けたので、話してきました。「夢なんて持たなくていい、学校なんて行かなくていい、逃げたっていいんだよ」って。めっちゃ校長先生から怒られましたけど(笑)。ただ、聞いてくれた中学生からは「親も先生も『立ち向かえ』『がんばれ』としか言わないけど、初めて『逃げる』という選択肢を持つことができました」という感想をもらいました。

 いま思い返せば、学生のころは学校が世界のすべてになってしまっていたなと思うんです。だからいじめられても「もうここはいいや」と思えず、いじめを受け続け、最終的には心が折れて自ら死を選んでしまうなど、悲しい出来事も起きてしまいます。学生だけじゃなくて会社に務めていてもそうです。「会社以外に居場所はない、生活する術はない」と思ってしまうと、会社にしがみついてしまう。結果、こきつかわれたり、パワハラを受けてしまったり、心が折れてしまったり、それはあまりに悲しいことだなって思うんです。

 いま、僕の立場から言えるのは、どんな場所だって苦しかったら逃げていいというのは大原則だ、ということです。

僕のメンタルはめっちゃ弱い

――ただ、逃げた先で起業できたのは、家入さんの精神力が強かったからじゃないでしょうか?
 僕のメンタルはめっちゃ弱いですよ(笑)。いまでも、ある日突然、朝、起きられなくなっちゃうんです。気持ちに波があるというか、落ち込むと、誰とも会えないし、仕事もできない。以前は、気持ちの波をどうにかして防ごうとか、コントロールしようと思っていましたがもうダメですね。波はやってくるものだから、しょうがない。どう付き合うかだけを考えるようになりました。

――しかし、さまざまな会社を立ち上げ、最近では都知事選にも出馬しました。家入さんの原動力は?
 根本はコンプレックスだと思います。ひきこもっていたこと、家が貧しかったこと、学歴がないこと、本当は絵を描いていたかったこと、一生、払しょくできないんだと思うんです。だから、「もっと認められたい、もっと褒められたい」って強く思う。思えば思うほどコンプレックスになっていく。最近「自己承認欲求」という言葉が流行ってきてますが、僕こそまさに自己承認欲求の塊ですよ(笑)。

 20代で会社を立ち上げて、幸いにも収益をあげることができました。日本のなかで0・01%しか上場できないジャスダックにも上場しました。派手な暮らしもしました。月に2000万円ぐらい、キャバクラに使ったこともあります。キャバクラってお金を使えば使うほどちやほやされますから、もう、どハマリ(笑)。いま考えると、あれが社会に対する復讐だったのかもしれない。とにかく、そんな暮らしをしているもんだから、最終的にはスッカラカン。家も追い出され、家族も離れ、支えてくれた人はみんないなくなっちゃいました。完全にゼロになったとき、「むなしいだけだったな」って。一番のどん底がこのときです。

 それから、やや月日が経ち、30歳を超えた最近、ようやっと自分のことを肯定できるようになってきました。僕のやっていることは、自分の物語の延長線上でしかない。ひきこもっていたこと、不登校だったこと、これがみんな自分のエッセンスになっています。起きたことは受けいれるしかないんだ、と。「あのまま学校へ行き続けたら」と考えるのは無意味ですが、きっとなにもなかったよりも、よっぽどおもしろい人生が歩めていると思っています。


・家入さんら解放集団「liverty」が手がけたシェアハウス。コンセプトは「さまざまなコンプレックスや価値観、経験を持った人々が住んでいる現代の駆け込み寺的シェアハウス」。取材場所となった「六本木リバ邸」を皮切りに宮城、福岡など10数カ所でオープンされている。リバ邸Blog

逃げていい だから、その先を

 不登校、ひきこもりをしている本人や親御さんに僕が言いたいのは「ひきこもり、超いいじゃん」ってことなんです。すごく苦しいんでいる人からすれば「ふざけんな」「信じられるか」って思うでしょう。でも、ホントです。だます気もないです。苦しくて命を落とした人もいるので、僕はたしかにラッキーだったかもしれません。すぐに信じてもらえるとも思っていません。でもそれでも言いたいのは「マジで学校なんて行かなくていいんだよ」ってことです。いい学校、いい大学、いい会社なんていうルートは完全に破たんしました。これからの時代、従来勝ち組とされるような人たちは逆に孤独を感じてさみしくて、心が折れてしまったりするかもしれない。けれども、紆余曲折を経て、そのときの気持ちを共有できて、おたがいを優しく支え合えるようなつながりがつくれれば、それこそ代えがたい価値を持つと思うんです。だから、『不登校新聞』や「子ども若者編集部」がいいなと思うのは、同じような思いや経験をした人たちのハブになれるからです。僕の場合も「リバ邸」という居場所をつくりました。ここのコンセプトの一つは「みんなで生活して生活費を抑えよう」というもの、そして学校や会社ではない場で、おたがいを受けいれられるような場になることです。「逃げたあとの場」、それを僕なりにつくりたくて、「リバ邸」を始めたんです。

出会いが先

 『不登校新聞』や「リバ邸」など、多くの場で、思いが共有できる出会いが大事だと思っています。どうしても「働く」「学校に行く」ということを先行して考えてしまいがちです。でも、本当は、そういう「場」で同じ経験者と出会うことから、初めて「働く」などの生き方を考えられるようになるんだと思っています。

――ありがとうございました。(聞き手・茂手木涼岳/子ども若者編集部)

(いえいり・かずま)1978年福岡県生まれ。起業家・活動家。中学、高校で不登校・ひきこもりをしたあと、01年にWEBサービス会社を起業。29歳のときにジャスダック市場へ最年少で上場。その後もカフェやシェアハウスなど、さまざまな事業を立ち上げている。2014年東京都知事選に出馬。若者を中心に約9万票を集めた。
公式HP https://twitter.com/hbkr

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