森達也監督に聞く 主演・佐村河内守氏の『FAKE』を撮り終えて
今回はドキュメンタリー作家の森達也さんにお話をうかがった。森さんは最新作『FAKE』で、ゴーストライター問題で話題となった作曲家・佐村河内守さんを被写体にしたことで注目が集まっている。
――なぜ作曲家・佐村河内守さんをテーマにドキュメンタリー映画を撮ろうと思ったのですか?
初めて会ったときに、「この人、絵になるな」と思ったからです。それと同時に、彼と奥さんとの関係を撮りたいと思いました。佐村河内さんがいま、なにをよすがに生きているのか。それを撮りたいと思ったし、そのためには奥さんとの関係を撮る必要がありました。
怒りは個別的 悲しみは根源的
――映画の冒頭、森さんが「僕が撮りたいのは、佐村河内さんの怒りではなく、悲しみです」とおっしゃったのが印象的でした。
怒りでは映画にならないと思います。怒りは個別的な感情で、人それぞれでちがいます。僕自身、佐村河内さんの怒りについては、強くシンパシーを持てなかった。でも悲しみというのは、根源的な感情で、多くの人がシンパシーを持てると思いました。――僕は『FAKE』を、自分の仕事とリンクさせながら観ました。森さんは自然のままの佐村河内さんを撮るのではなく、彼に介入していきますね。僕が新聞をつくるうえでいつも悩むのは、「当事者への介入」なんです。当事者の原稿に手を加えることがあるのですが、そうすることで、書き手のリアルな思いが失われてしまうのではないか、とよく考えます。森さんは対象に介入するときに気をつけていることはなんですか。
自分自身の「加害性」ですね。それを覚悟して作品をつくるということです。
たとえばこの新聞にしても、読んで傷つく人が絶対いない、とはだれも保証できないです。情報にはつねに加害性があります。それを恐れていては表現や報道ができなくなる。だから傷つけることはしかたがない。ただしその覚悟をすべきです。覚悟のないままに傷つけるのだったら、それはちがうだろうと思います。
――覚悟があればいいんですか?
覚悟があれば抑制します。なにかを表現するときに、「これは人を傷つけるかもしれないけれど、それでも伝えなきゃいけないことなんだ」といった葛藤が生まれるでしょう。