「家ではしゃべれるのに、学校ではしゃべれない」 場面緘黙(かんもく)症を経験した19歳が、今思うこと

家族とは話せるのに、幼稚園や学校など特定の場面では言葉が出なくなる「場面緘黙症」。5歳未満での発症が多く、現在、日本では約500人に1人(※)の子どもたちにこの症状が見られると言われています。必要なことが伝えられなかったり、学校で孤立したりと、当事者でなければ想像しづらい状況も少なくありません。かつて、「場面緘黙症」だった中嶋美咲さん(19歳・仮名)はその渦中に何を考え、何がきっかけで話せるようになったのでしょうか? 当時をふり返っていただきました。(聞き手・編=棚澤明子)

※園山繁樹『幼稚園や学校で話せない子どものための場面緘黙症支援入門』(学苑社、2022年)から

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家ではしゃべれるのに……

――中嶋さんは、幼稚園のころから小学5〜6年生まで、家ではしゃべれるのに幼稚園や学校ではしゃべれない「場面緘黙症」だったそうですね。当時のことを教えてください。

自分では記憶にないのですが、母いわく、私は3〜4歳のころに「幼稚園にいるときだけしゃべれない」という状態になっていました。何か直接的なきっかけがあったわけではなくて、気づいたら……という感じだったようですね。

それ以来、小学5年生までの6年間ほど、学校ではまったくしゃべっていません。困ることはたくさんあったと思うのですが、私にとってはしゃべれないことがふつうの状態だったので、あまり細かいことは覚えていなくて……。学校生活を「すごく楽しい」と思ったことはなかったけれど、不登校になることもなく、なんとなく通っていたような気がします。

私は1人でいることがけっこう好きだったので、友だちの輪から離れてすごすことも多かったのですが、友だちといるときは筆談でコミュニケーションをとっていました。みんなの会話を聞きながら、「もし、私がここでこういうこと言ったらどうなるかな」なんて考えることもありましたね。

1人ずつ前に出てリコーダーを吹くテストができなくて、つらかったことはよく覚えています。しゃべることだけでなく、自分が発する“音”に注目されるのもいやだったのでしょう。

でも、注目を浴びるのが絶対的にいやだというわけではなくて、授業中、ほかの人が思いつかなかったことを思いつくと、「先生が見つけてほめてくれたらいいのにな」と心のなかでつぶやくこともありました。

「病気」でも「個性」でもなく

学校でしゃべれるようになったきっかけは、小5のときに転校したことです。自分のことを知らない人たちの中に入ることで、気持ちが少し楽になったのでしょうね。

そのとき、「今度住むところはコミュニティが狭いから、このタイミングを逃したら、私はみんなから“しゃべれない人”として認識されてしまう。そうしたら、今後しゃべれるようになることはもうないだろう」と思ったことを覚えています。

高学年になったころから、単にしゃべれないということだけでなく、「しゃべっているところを、今さら人に見られたくない」という感覚も強くあったので、このタイミングで思い切ってみよう、と心に決めました。

ちなみに、この「しゃべっているところ見られたくない」という感覚はほんとうに強くて、家族と出かけた先でおしゃべりをしていても、そこに学校の子が通りかかった瞬間にしゃべれなくなってしまう、ということもありました。

自分が場面緘黙症だと理解するようになったのは、この時期からです。「ああ、ふつうの人はこういうときにしゃべるんだ」と気づいて、逆に自分がしゃべっていなかったことをはっきりと認識するようになりました。

ただ、場面緘黙症のことを“病気”だとは思ったことはありません。では“個性”なのかというと、それもしっくりこなくて。強いて言えば、「しゃべれないという “症状”がある状態」でしょうか。私にとっては、吃音症の位置づけに近いイメージです。

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――友だち関係はどのように築いていたのでしょうか。配慮が足りなかったり、逆に配慮されすぎたりして悩むことなどはありませんでしたか?

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