不登校の子どものために休職した私がフルタイム復帰できた理由【全文公開】
「小1の息子を家に置いておけない」。フルタイムで仕事をしていたななみさんは、小学1年生から不登校になった息子のことで悩みました。仕事に穴をあけたくない。でも息子は「お願い、休ませて」と懇願してくる。一体どうすれば――。葛藤しながら息子さんとどう向き合ってきたのか、お話しいただきました。
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――息子さんの不登校のいきさつからお聞かせください。
息子は、小学校入学前の1月から「学校へ行きたくない」と言っていました。保育園のころから人がたくさんいる環境が苦手で、学校も集団生活の場ですから、行く前から不安があったようです。また、3歳上の姉が学校の勉強のことでよく父親から怒られていたので、息子のなかで学校に対するネガティブなイメージがふくらんでいたんだと思います。
苦しむ息子 無理矢理学校へ
入学してから息子は日ごとにストレスが重なり、小1の7月にはすごく荒れていました。「学校へ行かないといけないなら包丁で刺して死ぬ」と言って包丁を出そうとしたりして……。その後息子には精神科を受診させ、不安を抑える薬を飲んでもらうようにしました。しばらくすると落ち着いてきたので、薬の効果が出たのかと思いました。でも実際は、学校の夏休みが近づいてきたから落ち着いたのだと思います。
9月になって2学期が始まると、息子はまた学校へ行きたくないと言いました。今度は「頭が痛い」と言ってふとんから出ようとしませんでした。でも私は休ませることはしなくて。息子は学校が合わないのだとわかっていたんですが、当初は先生に配慮してもらって、学校に居られるようにすることばかりを考えていました。
一方で息子は、「ママのほしいものを買ってあげるから、お願いだから休ませて」と言っていました。どうしても行きたくなかったのだと思います。それでも私は息子を学校へ連れて行きました。
私はフルタイムで働いていて、自分が仕事へ行くためにどうしても息子に学校へ行ってほしかったんです。とくに当時は新規プロジェクトの中心メンバーに任命されたこともあり、仕事に穴をあけたくない思いが強くありました。
私は息子をお菓子で釣って外へ連れ出し、手を引いて歩かせ、学校前に着くと電信柱にしがみつく息子の手をはがし、担任の先生に引き渡していました。でも、そうやってムリに背中を押すのは長く続きません。2学期の途中から息子は休むようになりました。
――その後はどうされたのでしょうか?
仕事を休むわけにはいかないですし、かといってまだ幼い、しかも不安定な状態にある息子を家に1人で置いておくわけにもいきません。近くで自営業を営む夫の両親に預けることにしました。
もともと息子は学校から帰ったらそこへ寄るのが日課でした。しかし小1の終わりにはそれもイヤがるようになって。理由は言いませんでしたが、たぶん居づらかったのではないかと思います。夫の両親は孫の不登校を受けいれられず、夫に「不登校の子の面倒は見たくない」とこぼしていました。息子は快く思われていない空気を感じたのかもしれません。
夫も、不登校に理解がありませんでした。夫は親の自営業のもとで働いていて、日中は息子といっしょにいたのですが、何かと息子に学校へ行くよう仕向けていたんです。「3学期になっても行かないなら、飼い犬を人にあげてしまうぞ」とおどすこともありました。実際、息子は3学期には学校へ行かされました。息子にとって父親と祖父母は安心できる相手ではありませんでした。だからイヤがったのだと思います。
私ももう義父母に息子を預けたくありませんでした。でも私のなかにはまだ仕事への思いがあり……。今度は自分の両親を頼りました。息子が小2になってからは、父と母に交代で来てもらうようにしました。幸い私の両親は、息子に登校刺激はしないでくれました。学校へ行かないことを気にするより、息子の不安をやわらげることを考えてくれたんです。
しかし私の母は同時に、子どもを預けてまで仕事を続ける私に疑問を抱いていました。その思いは息子の不安定さを見るにつけ高まっていったそうで、息子が小2になった6月、母は私に「このままじゃダメだよ!」と言い放ちました。
その言葉が頭にガツンと来ました。私もうすうす「仕事ばかりで息子にちゃんと向き合わなくていいのか」と感じていたんです。核心を突かれて、私はやっと息子に向き合う覚悟が決まりました。
――具体的にはどうされたのですか?
仕事を辞めようとしました。でも職場に了承してもらえなくて。泣きながら辞めさせてほしいと訴えているのに、上司も同僚も誰一人「わかった」と言ってくれないんです。その代わり職場の人は私にある提案をしました。それは、「辞める覚悟があるなら、使える制度をめいっぱい使ってから辞めたらどうか」ということでした。私はすぐにでも辞めたかったんですが、ひとまず制度を使って休ませてもらおうと思い直しました。
私が使おうと思った制度は「介護休暇」でした。不登校の子どもに介護休暇が使えることを、私はHSC(Highly Sensitive Child とても敏感な子ども)の親の会で聞いて知っていたんです。ただこれは自己申告だけで申請できません。医師の診断書が必要です。その診断書を得るのがまたたいへんでした。
息子は不登校になってから外出ができなくなっていました。当然、診断書のために病院へ行くこともできません。私は訪問診療をしてもらえないかと何カ所か問い合わせてみましたが、小学生ではダメなどと言われて叶いませんでした。そうなったら本人を説得するしかありません。いっしょにすごすために介護休暇を取りたい、そのために医者にかかる必要がある、とていねいに説明しました。息子は最初、「イヤだ」の一点張りでした。説得には2週間ぐらいかかったと思います。時間はかかりましたが、なんとか家から一番近い病院へ行き、小2の8月から介護休暇を取ることができました。
初めは不安も
期間は会社独自の制度により半年、延長申請をしてもう半年、計1年間取得しました。初めのうちは、息子は外へ出られず、母子分離不安から私にも「出ちゃダメ」と言ったので、親子でほぼ家にいました。
完全に閉じこもることがないようにと週2日働くようにしていましたが、そのころ息子はトイレにも1人で行けない状態で、長時間トイレを我慢することがないよう出勤日の半日は在宅勤務にするか、父母に来てもらいました。仕事以外で外へ出られるのは、自宅の屋上で洗濯物を干すときぐらいでした。空を見上げて干していると、「このまま空に吸い込まれて消えたい」とよく思いました。ずっと家にいると母子ともに社会から取り残されたようでつらかったんです。
息子に変化 ほっこりする
一方で、息子は私が家にいるのをとても喜んで、精神的に安定しました。そのころは夫と別居していたので、より安心できたのだと思います。私自身が、息子への関わり方に気をつけたのもよかったのかもしれません。息子のゲームざんまいを受けいれ、いっさい小言を言わないようにし、子どもだからと侮らずに話を聞くようにしました。
医師・田中茂樹氏の著作『子どもを信じること』にあった「アイスクリーム療法」も取りいれてみました。冷凍庫に満杯になるくらいアイスクリームを入れておき、子どもがいつでも何個でも食べていいようにするというものです。わが家では子どもだけでなく、私も好きに食べていいことにしました。
そしたら息子が、私がソファーで寝そべってアイスを食べているのを見て、「ほっこりする」と言ってくれたんですよね(笑)。それまで息子は「死ぬ」だの「殺してくれ」だの不穏な言葉ばかり吐いていましたが、いっしょにゆっくりとすごすようになってからはそうした発言はしなくなりました。
半年経ってからは、すこしチャレンジもしてみました。息子の興味のあるものを買いに行こうと、外出を促してみたんです。息子はお菓子や果物などほしいものを選んで買えるのが楽しみになり、フードをかぶれば週3回、夜に外へ出られるようになりました。
留守番もすこしずつ慣れてもらいました。息子が小3になって休暇があけるとき、いきなり私がフルタイム勤務で長く家を空けるのはよくないと思い、時間休を使って定時より2時間早く帰るようにしました。そして慣れてきたら2時間を1時間に、1時間を30分にと使う時間を減らし、息子が小4のとき私はフルタイムで職場復帰できました。
仕事は辞める気でいましたが、考えれば考えるほど今の仕事が楽しいという思いが出てきて、結局続けています。息子も「辞めなくていいよ。老後が心配だし続けなよ」と言っているので、今は自分の心にしたがってやれるところまでやろうと考えています。
一歩を踏み出す きっかけ探して
――今、息子さんはどんなようすですか?
マイペースに自分の時間を満喫しています。ユーチューブの動画を見ながらゲームをするという二刀流をこなして楽しそうです(笑)。私としては、そろそろフリースクールなどに通って家族以外の人とふれあってもらいたいのですが、息子はまだ踏み出せないみたいで。
息子が小4になった昨年、夫と離婚して引っ越しました。今の家の近くにはいくつか息子が通えそうなところがあり、見学してみたのですが、息子は行かないと拒否。まだ「そのとき」じゃないのだろうと、それからはムリにすすめることはしていません。
でもやっぱり、息子にはこれから人とつながってほしいです。信頼できる大人や趣味を共有できる友だちを見つけて、楽しみを深めながら生きてもらいたいんです。今はすこしでも人とつながる体験ができたらと、不登校新聞社の親専用オンラインコミュニティサービス「親コミュ」で話題になっていたことを息子に伝えています。
息子はその話に興味を持てば思ったことやアイデアを教えてくれたりします。間接的な関わりですが、今はこれが息子が一歩踏み出すきっかけになるのではないかと、地道に取り組んでいるところです。
――ありがとうございました。(聞き手・編集/本間友美、イラスト/今じんこ)
(初出:不登校新聞607号(2023/8/1発行)。掲載内容は初出時のものであり、法律・制度・データなどは最新ではない場合があります)