「母親としてできたことは」 2度の不登校を経験した息子が大学進学するまで【全文公開】
「あなたが死ぬなら私もいっしょに死ぬよ」。今までいちばんつらかったのは、不登校の息子が「死にたい」と泣いて訴えたときと語るのは、母親の坂上美雪さん(仮名)。そんな坂上さんの息子は4月から大学へ進学します。息子の不登校で悩み、葛藤し、自分を責め続けた坂上さんは、そのつらさをどうやって乗り切ってきたのか。そして、大学進学を自ら決めた息子に対し、どう接してきたのか。お話をうかがいました。
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――お子さんが不登校したいきさつからお聞かせください。
最初に息子が不登校になったのは、小学4年生の2学期でした。きっかけは、担任の対応です。息子のことばかり叱っていたようで、1学期のころから「学校へ行きたくない」と言っていました。ただ、「学校へ行くのがあたりまえ」と思い込んでいた私は、とくに理由も聞かず、学校へ行かせ続けてしまいました。
2学期になり、親が学校へ迎えに行くという避難訓練がありました。そのときの息子のことは今も忘れられません。顔色が真っ青だったんです。親の直感で「これはよくない」と思い、翌日から学校を休ませることにしました。「もう学校へ行かなくていい」と私が話すと、息子の表情は緩み、家でゆっくりすごすようになりました。
小学5年生になると担任も代わり、息子は遅刻しながらでも登校するようになりました。勉強もするようになったし、新しい友だちもできたようで、私としてもホッとしました。でも、その後の中学校で登校したのは最初の4日間だけ。卒業までほとんど学校へ行っていません。
同級生の一言 再び不登校に
――中学校で何があったのでしょうか?
同じ小学校から来ていた子が、息子の不登校について、みんなの前で言いふらしたそうなんです。「他校から来た子に自分の過去が知られてしまったら、みんな仲よくしてくれないんじゃないか」と、息子はひどくショックを受けていました。「学校へ行きたくない」と言うので、息子の意思を尊重しました。小学校の避難訓練のときの息子のことが脳裏をかすめ、極端に聞こえるかもしれませんが、「生きていてくれさえすればいい」と、思ったんです。
とはいえ、葛藤もありました。「学校へ行かなくていい」という私の気持ちにウソはありません。ただ、頭のどこかで「学校へ行ってくれたら……」という思いもあって、気持ちが揺らぐ瞬間が何度もありました。
そういうときは、市役所の家庭児童相談員の方に電話で相談に乗っていただいていましたね。10分でいいから、私の話を聞いてほしかったんです。そうすれば、その日は落ち着いてすごせるので、毎日のように電話していた時期もありました。
私の場合、たくさんの人に理解してほしいわけではないんです。誰か1人でいいから、信頼できる人に自分の気持ちを話し、受けとめてもらいたかった。相談員さんは私の話をただ聞いてくれました。その方がいなければ、今ごろどうなっていたか。感謝の気持ちでいっぱいですね。
――高校はどうされたのですか?
進路について、私のなかで決めていたことがありました。それは、息子自身に決断させるということです。高校へ行きたければ行けばいいし、中卒で働くという道もある。もちろん、このまま家に居るというのもあり。私がいくつかの選択肢を提示するなか、息子の決断は「高校は卒業しておきたい」というものでした。
通信制高校へ進学し、併設されているサポート校にも在籍したので学費は二重にかかります。うちはシングルマザーですし、私自身が精神疾患を抱えているので満足に働くことも難しい。ですから、金銭的にはたいへんでした。ただ、私はケチだったというのが幸いでして(笑)。ずっと貯金していましたし、自分のものを買わなければ、なんとかなるかな、と。
なぜこんなにつらい思いを
――今ふり返って、一番しんどかったときは?
そうですね、息子が中学2年生のときかな。夜中に「死んでしまいたい」と、大きな声で泣き出したんです。
私には息子を抱きしめることしかできませんでした。そして、私もいっしょに泣きました。「そうだよね、なんでこんなつらい思いをしなきゃいけないんだろうね。あなたが死ぬならお母さんもいっしょに死ぬよ」って。
しばらくして、落ち着いてきた息子が言ったんです。「ありがとう」って、一言だけ。息子は本当に死にたかったわけではなく、そう考えてしまうぐらい、つらいということを私にわかってほしかったのかもしれません。
でも、当時はそんなことを考える余裕はありませんでした。息子のことは信じていますが、「私が寝ているあいだに何かあったら」と考えてしまい、眠れない日もありました。
こういうとき、人は誰かのせいにしたくなるんでしょうね。「小学4年生のときの担任さえいなければ、中学時代のクラスメイトのあの一言さえなければ、こんなことにはならなかったのに。なんてことをしてくれるんだ、ふざけるな」と何度思ったことか。
そして、同時に私自身のことも責めました。息子が不登校になったのは、シングルマザーだったからなのかな、父親がいればどうなっていたのかなって。
でも、つらいことばかりではなかったんです。息子が不登校になったことで、いろいろ考えることが増えました。自分の性格や生き方を見つめ直したり、大げさに言えば人生観が変わったように思います。不登校は息子にとって、とてもつらかった出来事だと思います。でも、それを機に、さまざまなことを考える機会をもらえたという意味で、息子に感謝している部分もあるんです。
また、いつだったか、息子が「俺たち、親友だよな」って言ってくれたことがあるんです。その一言が何よりもうれしかったですね。親子喧嘩になると、息子はかならず「話し合おうぜ」って言うんです。「お母さんの今の一言にイラっとした」とか「その発言の裏にはこんな思いがあるんだね」など、おたがいが納得するまで、とことん話し合います。で、最終的には握手で仲直り。私は「ほら、親友だからさ、許してよ」って、息子の言葉につい甘えちゃうときもあるんですけど。なんていうか、息子のほうが私より精神年齢が上なんです。もしかしたら、私がだらしないぶん、「俺がしっかりしないと」って、息子は思っているかもしれませんね(笑)。
4月から大学生「勉強したい」
――息子さんの現在は?
4月から大学へ進学する予定です。高校を卒業した後のことについても、これまで同様、私は口をはさみませんでした。息子は、高校を卒業して働くか、進学するか、迷った結果、もうすこし勉強したいと思ったようです。
息子は大学のオープンキャンパスの情報などを自分で調べて、模擬授業を受けるなどしていました。ある大学の模擬授業がとてもおもしろかったようで、その大学を受験することにしました。入試の面接の際、偶然にも試験監督がその模擬授業を担当していた教授だったんですね。模擬授業の内容をおぼえていてくれた息子のことをとても喜んでくれたみたいで、息子にとっても貴重な経験になったようです。
――最後に、お子さんとの向き合い方で大事にしたことや、不登校の子を持つ親御さんに伝えたいことがあれば、お聞かせください。
息子が不登校して以来、心がけていたことが2つあります。1つは「否定しない」ということ。息子は昼夜逆転をしていた時期もありましたが、それを責めたり、叱ったりすることはしませんでした。また、親の会では「ゲームばかりで困った挙句、親がゲーム機本体を取り上げてしまった」なんて話も聞きましたが、私の場合は息子といっしょにゲームを楽しんでいました。「今の息子にとって、昼夜逆転もゲームも必要なんだ」と考えて、「否定しない」ということを大事にしていましたね。
もう1つは「信頼する」ということ。「私の子どもは大丈夫」って、息子を信じ続けました。そう思う根拠がとくにあるわけではありませんが、私が息子を信じ続けるなかで、息子とのあいだに親子としての信頼関係がすこしずつ築けていったように思います。
ふり返ってみると、息子に対して私が何か特別なことをしてあげたということはなかったように思うんです。たまに、夜中のファミレスで息子と食事をしたり、家でいっしょにゲームしたり。私がしたことって、それぐらいなんです。
ただ、息子にとっては、なんの変哲もないそうした時間が楽しかったのかなって思います。息子がいつも見ていたのは「なんで学校へ行かないのか」と眉間にシワを寄せた私ではなく、ファミレスで「おいしいね」って言いながらパフェを食べている私です。親が笑っている姿を見ることが、息子にとってもうれしかったのかなって。
ですから、「息子のためにこんなことをしてあげた」ということではなく、親子で楽しいと思えるささやかな時間を分かち合えることが、じつは大事なことだったんじゃないかって思います。
なかでも、私にとって一番の思い出は、真夜中の公園のブランコです。ファミレスの帰り道に誰もいない真っ暗な公園に立ち寄ってブランコに乗ったんです。勢いよくブランコをこぎ始めた息子が言ったんです。「うわー、楽しい。お母さん、見てよ。星も月もきれいじゃん」って。私は単純なので、それだけで次の日も1日中ハッピーだったんですよ(笑)。親にできることって、そういうことでいいんじゃないかな。
今の私に、わが子の不登校で悩まれている親御さんに伝えられることがあるとすれば「親の笑顔を増やしてほしい」ということ。それはきっと、お子さんにも伝わります。そのためにも、毎日がんばっている自分へのごほうびを大事にしてほしいですね。私はチーズケーキが好きなので、コンビニで買ってきては、コーヒーや紅茶を淹れて楽しんでいます。親自身の気持ちがしんどくなったり、眉間にシワが寄り始めたかなというときこそ、「私の時間」を大切にしていただけたらって思います。
――ありがとうございました。(聞き手・小熊広宣)
(初出:不登校新聞597号(2023年3月1日発行)。掲載内容は初出当時のものであり、法律・制度・データなどは最新ではない場合があります)