「このままでは死んでしまう」不登校の息子に送った9通の手紙
千葉県山武郡にあるNPO法人みんなの居場所ありのまま理事長の内田美穂さんにお話をうかがった。内田さんのお子さんが不登校になったのは中学2年生のとき。親子の会話がゼロというなか、内田さんはわが子に9通の手紙を書いた。不登校の子を持つ母としての本音や現在の取り組みに至る思いなど、お話しいただいた。
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――お子さんが不登校になった、いきさつからお聞かせください。
息子が不登校したのは中学2年生の3学期です。卓球部のエースとしてがんばっていた息子が肩を壊してしまったのを機に、息子のようすが少しずつ変わっていきました。朝になっても起きてこないし、ご飯も食べないし、何より顔に生気がない。それまで張りつめていたものがプツンと切れたようでした。
「このままでは息子は死んでしまう」と思い、私はとにかく病院へ連れて行こうとしました。病院で薬さえ飲めば、ちょっとずつ元気を取り戻すのではないかと思っていたんです。でも、息子は断固として拒否し続けました。
ある日、私と口論になった息子が過呼吸になったんです。「しめた」と思った私は救急車を呼んだわけですが、救急車で搬送される息子は「俺はふつうだ」「俺は病気じゃない」と泣きながら訴えていました。その姿はいまも脳裏に焼きついていて、本当に申し訳ないことをしたと後悔しています。
不登校から半年、手探りの毎日を
息子が不登校になり、最初の半年間は私にとってつらい毎日でした。心療内科をたずねても初診まで数カ月待ちと言われ、行政の相談機関に問い合わせても話は聞いてくれるけど、具体的なアドバイスをくれる人がいない。とにかくつらくて、孤独でした。