学校へ行かない息子を信じて待てなかった理由

#不登校#行き渋り#不登校の親

「不登校の自分を受けいれてくれた。優しく接してくれ、葛藤がないように見えた」と息子は思っているようだ。今はよい関係、自然体で付き合えるので、よい記憶しか残っていないのではないかと思う。親が「信じて待てる」ようになったのだと思ってくれているのかもしれないが「信じて待つ」というのは、それほどかんたんなことではなかった。

 息子は中学2年から学校へ行けなくなった。私自身、息子と関係する先生や学校に対する不信感が強かったので、学校へ行かないことに反対はしなかった。一方で、家にいる息子とどう接したらよいのかわからなくなっていた。家にずっといると社会に出るきっかけもなくなってしまい、よくないことだとも思っていた。少しでもヒントがほしいと思い、不登校の親の会に参加した。「何気ない世間話、あたたかい食事をいっしょに食べるなど、特別なことではなく『日常生活』をするとよい」と言われ、とにかく実践してみた。

待てなかった

 不登校が始まってから1年、暴力やひどい幼児返りも収まり、不安定な状態から抜けられるかというころ、高校進学がチラついてきた。「定時制や通信制の資料だけでも集めるから」と言う担任の助言もあり、ついに居間のテーブルに高校の資料を置いた。あとから思うと、子どもが高校へ行きたいと言ったわけではないのに、私の都合でやってしまった。「待てなかった」のだ。

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