不登校で入院させられた 解決策が「治療」だった80年代の不登校とは
#不登校#行き渋り
70年代から80年代にかけて、不登校の解決策は「治療」でした。そうした国や行政への批判から、オルタナティブスクールやフリースクールが設立されていきます。「不登校という問題」に長くかかわった中島浩籌(ひろかず)さんに当時を解説していただきました。(連載「今『不登校』を問うために」第3回)※写真は中島浩籌さん
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前回でも書きましたように、私はここ40年間、多くの「不登校」経験者と出会い、話し合ってきました。そこで感じたのは、いくつかの問いの絡み合いのなかで悩んでいる人が多いということです。「競争をあおる学校教育ってなんだろう?」、「男らしさ、女らしさを押しつける学校の人間関係って何?」などといった学校教育や社会・人間関係への問いと、「どうして自分だけが学校になじめないの?」といった自分自身への問いが重なりあい、考えこんでいるのです。
こういった問いに正解はありません。だからこそ悩んでしまうのです。 70年代後半から80年代においては、解決策として「治療」がとられていました。
【連載】今「不登校」を問うために
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