
【連載最終回】これが私の、「『不登校』30年目の結論」。
#不登校#行き渋り
「大人たちの対応は、私を深く傷つけた」。詩人・フリーライターの喜久井伸哉さんは、「不登校」は子どもの「悪い状態」でもなければ、「心の問題」でもないと訴えます。喜久井さんが今、大人たちに切望することとは? 自身の不登校経験を質実な筆致で綴る異色の連載、いよいよ最終回です!(連載「『不登校』30年目の結論」第8回・写真は喜久井伸哉さん)
私は小学校2年生のころから、「学校に通学する行為」がすくなくなった。「よい子」だったはずの私は、いきなり「問題児」になった。
親や教師は「原因」を問いつめ、「不登校」を「治そう」とした。カウンセリングにも連れて行かれたが、「心の問題は何か」という見方をされ、とくに状況が「改善」することはなかった。
今思い返してみても、私の「心」に、治すべきものがあったとは思えない。大人たちの対応のなかには、私を傷つけるものさえあった。
大人たちは、どのような対応をしたら良かったのだろうか? また、今現在の多くの「不登校」の子に、大人たちは何をすべきなのだろうか?
世の中で言われている親や教師へのアドバイスの大半が、私には的外れなものに思える。子どもの「心」の話が中心で、「体」の観点が欠けているためだ。私は「不登校」の専門書よりも、むしろほかの分野の本が参考になると思う。
一例を挙げると、堅田利明・菊池良和編著『吃音のある子どもと家族の支援——保護者の声に寄り添い、学ぶ 暮らしから社会へつなげるために』(学苑社、2020年)だ。対象は「吃音の子」だが、一部を読み替えることで、「不登校の子」へのベストな対応策として読むことができる。
とくに印象的だったのは、以下の3点だ。
【連載】『不登校』30年目の結論
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