「中学3年間はほぼ授業に出ていません」不登校経験者が夢中になれることを見つけたターニングポイント

 「行けないものはしょうがない。だったら好きなことをやろう」。現在、デジタルハリウッド大学で映像制作やデザインを学ぶ青木裕一郎さん(20歳・仮名)。小学5年生から不登校になり、中学3年間ほとんど授業に出ていないという青木さんが夢中になったのは、ロボット競技でした。世界大会にまで進むなかで学んできたことや、今ふり返ってみて思うことなど、ご本人とお母さんにお話をうかがいました。

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――小学校高学年のころから学校へ行かなくなったとうかがいました。当時のことを覚えていたら教えてください。

 本格的に行きたくないと思い始めたのは、小5のときでした。新しく担任になった年配の女の先生が威圧的で、いつも不機嫌な感じだったんです。ほかの子たちも先生がきらいだったんでしょうね。クラスも荒れていました。今でも覚えているのは、先生が入ってくると教室のなかがどんよりした紫色になるっていうのかな、色彩が一段階落ちるような感じがしたことです。

 小学5年生~小学6年生の期間は、行ったり行かなかったりでした。好きだった図工の時間だけ出たり、登校しても保健室にいたり。母も「行きたくないなら行かなくていい」と言ってくれていたと思います。僕は、その先生がイヤだっただけで、友だちがきらいだったわけではないんです。だから、行けるなら行きたいという気持ちはあったし、放課後の時間は友だちと遊ぶこともありました。

不登校なんて 関係ない場所へ

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