「推し活」で世界が広がった! 中3で「学校に行かない」と決めた私が通信制高校を選んだ理由
「もう学校へは行かない」。小学校のときのいじめをきっかけに社交的な性格を封印したさゆりさん(仮名)は、中学3年生の秋、とうとう限界を迎えます。その後、不登校の時期のさゆりさんを支えたのは、「推し」の存在でした。推しに導かれるように通信制高校へ進学したというさゆりさんに、当時の経緯、そして大人として今の思いを書いていただきました。
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私は、物心がついた頃から、モデルさんや女優さんが大好きで、大人になった今でも、休日は「推し」のグッズを買いに行ったり、SNSで推しを眺めたりなど、絶賛「推し活」中だ。
最近では、過度な推し活によって、中高生たちが数十万円の大金を推しにつぎ込み借金を抱えてしまう、などの問題がニュースで取り上げられるようになった。
一方で私は、推し活のおかげで自分の世界を広げることができたし、ドン底にいたときに光を見出すこともできた。そして、大人になった今でも、推し活をしているときの自分が1番自分らしく感じられると思えるほどに、推し活は私にとって、なくてはならない大切な時間になっている。
どうしてここまで私が推し活に救われ、自分らしくいられると思うのか。
それは、不登校だった頃に私が学校の外で経験してきたことが大きく関係しているのではないか、と気づいた。そこで今回は「不登校だった私と推し活」について、書いていこうと思う。
「いじめられない私」を演じる日々
まず先に、私が不登校になるまでの経緯をざっくり書くと、私は小学5年生のときに、同じクラスの男子数名からバイ菌扱いをされるなどの言葉によるいじめを受けた。そのいじめによる深い心の傷から、加害者と離れて、「いじめられない私」になって新しくやり直すために、中学は家から少し遠い学区外の公立中学に進学した。
しかし、自分が想像していた以上に、いじめによる傷は深く、同級生が何気なく私に話しかけてきたときも、「どうせこの人も裏で私のことをネタにしているんだろうな」と思い込み、なかなか心を開くことができなかった。
そして私は次第に「目立ったらまた目をつけられていじめられる。とにかく目立たないようにしなきゃ」と、元々の社交的だった性格を学校では封印し、感情をなるべく出さず、おとなしくて口数の少ないキャラを演じるようになった。
自分を押し殺しながらの中学校生活だったため、私はつねに緊張状態で、心も体も明らかに疲弊していた。そのことに自分でも気づいていながらも「やり直すと決めたんだから」と自分に言い聞かせ、自分を削りながら中学3年の夏まで何とか通い続けた。
そんな生活が続くわけもなく、中3の夏休み明け、私は過度なストレスから帯状疱疹になってしまった。「行かなきゃいけないのに。やり直すって決めたのに」。強く思いながらも、体が痛くて歩くこともできない。家で療養することしかできなかった。
「やり直そうと細心の注意をはらって必死に頑張ってきたのに、結局ダメだった」。くやしさから自分を責めてばかりで、挙句の果てには本気で自殺をすることも考えるほど、精神的にも身体的にもかなり追い詰められていた。
しかしそんなとき、唯一、私の命をなんとかつなぎ止めていたものがある。そう、それが推し活だった。