在籍生徒の8割が不登校経験者という学校の校長が語る「これからの学校」【全文公開】
不登校は問題行動ではなく、子どもが今の学校教育のどこに問題があるかを知らしめてくれる問題提起行動である――。そう語るのは、立花高等学校(福岡県福岡市)の校長・齋藤眞人さん。同校の在校生の8割が不登校経験者だという。文科省の専門家会議の委員も務める齋藤さんは、不登校に関する調査のあり方に疑問を呈する。長年、学校現場の第一線で不登校経験のある子どもたちに寄り添い続け、専門家会議でも数々の問題提起をしてきた齋藤さんは、不登校が24万人を超えた現状をどう見ているか。また、今の学校教育に足りないものとは何か。お話をうかがった。
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――文部科学省の調査により、不登校が24万人を超えました。また、不登校の要因を見ると、半数が「無気力、不安」とされています。齋藤さんの所感からお聞かせください。
不登校が増えるであろうことは多くの方が予想されていたことでもあり、私としては淡々と受けとめています。ただし、潜在的な数を含めれば、不登校の子どもはもっと多いと考えていますので、24万人という数字はあくまで氷山の一角というのが私の認識です。
「無気力」については、これだけで2時間~3時間は話せますね(笑)。私は「無気力」という項目があること自体、おかしな話だと思います。不登校を子どものせいにしてしまっているわけですから。
子どもはなぜ「無気力」になっているのか。大人の想像力や分析力の奥行きというものが、この言葉からはまったく見えてきません。仮に「無気力」という項目をなくしたとき、どうなるでしょうか。大人にとって使い勝手のよい言葉になってしまっていることに怒りさえおぼえます。子どもが勝手に「無気力」になるのではありません。背景にはかならず学校側に問われるべき問題があるはずですから、調査において不要な項目だと考えています。
もうすこしお話しすると、不登校は「児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査」のなかで統計が取られています。文部科学省みずから「不登校は問題行動ではない」としつつも、いじめや暴力など、問題行動と位置づけられるカテゴリーの調査の一環として不登校をカウントしていることにも疑問を感じています。
そもそも、不登校は「問題行動」ではなく、「問題提起行動」であると捉えるべきです。今の学校教育のどこに問題があるかを知らしめてくれている行動であり、ある意味でありがたいことです。
笑顔がしんどい ときもあるんだ
――「不登校に関する調査研究協力者会議」(以下、協力者会議)にて、当初の報告書案のなかにあった「誰一人取り残さない学校づくり」という表現をめぐり、「子どもを傷つけてしまうかもしれない」と発言されていました。
そのときのことは今もありありとおぼえています。ものすごく勇気のいる発言でした。なぜなら、「誰一人取り残さない」というのは、前提としてまちがっていないからです。私の発言は見方によって「取り残してもよいのではないか」とも受け取られかねない破壊力のあるものだったと思いますが、その根底にあるのは、ある生徒の発言です。
私が校長を務める立花高等学校の6階には生徒がデザインした展望ラウンジがあり、円卓のほかに1人用の席も設けています。その理由について、デザインしてくれた生徒がこう言ったんです。「先生、円卓ばかりだといつも友だちと笑顔で話してなきゃいけないもんね。笑顔がしんどいときもあるったい」と。大人だってひとりになりたいときがあるじゃないですか。それは子どもも同じです。子ども自身がそれを望んだとき、孤独にすごせる時間と場所があることは非常に重要です。
しかし、孤立はちがいます。子どもが助けを必要としているのに、頼れる相手がいないという事態は絶対に避けなければいけません。ただし、そのプロセスにおいて、孤独まで否定されてしまっては、子どもの居場所はさらになくなってしまうのです。
大人はえてして、孤独と孤立を混同してしまいます。そして、よかれとの思いから「誰一人取り残さない」と言います。しかし、子どもから見たらどうか。「私は今、一人にしてほしい」と考えている子どもにとって、学校教育がつねに追いかけてくるような状況は恐怖に似た感覚さえおぼえるのではないかと危惧しているんです。そして、ちょっと立ち止まりたくてもそれが許されない動きのなかに、子どもが放り込まれるようなことがあってはなりません。
協力者会議では、子どもが望んでいないにもかかわらず、無理やり手を引っ張り、何かしらのかたちで学校教育に戻すべきではないということを指摘したかったんです。
それがどこまで伝わったかは定かではありませんが、最終の報告書では「誰一人取り残されない学校づくり」と、文言がすこし変わっていましたね。
在籍者の8割 不登校経験者
――立花高等学校を受験する子どもたちのなかには不登校経験者も多い、とうかがいました。
現在、在籍している生徒のおよそ8割が不登校経験者です。なかには、中学時代の評定が空欄だった子どももいます。1日も授業を受けたことがないので、評定をつけてもらえなかったのです。そういう子どもが意を決して本校の受験に臨みます。いざ、入試の日。本校に来る坂の途中で、嘔吐してしまう子どもがいます。その背中を他校の制服を着た受験生がさすってあげるんです。この国はわずか14年~15年しか生きていない子どもをここまで追い込んでしまっている。なぜ、そこまで苦しまないといけないのでしょうか。
そして、試験開始の合図とともに、子どもは答案に名前を一斉に書きます。それを見た私はすぐさま、保護者控室へ向かいます。「試験が始まりました。お子さん方は一生懸命名前を書いていましたよ」と私が告げると、親御さんはハンカチを出し、一様に涙を流されます。
なぜ、こんな話をするのかというと、立花高等学校は福岡県でこう呼ばれています。「名前さえ書けば受かる高校」と。必死の思いで入試に臨む子どもと親御さんの姿を見たら、不合格なんて出せません。しかし、本校は今、定員超過の状態です。東京や千葉からも入学願書が届きます。もはや、名前を書けば受かる高校ではなくなっているのです。合格発表の日は、不合格発表の日でもあります。本当に苦しくてたまりません。子どもと保護者がここまで苦しい思いをする根っこにあるのは同調圧力です。ありとあらゆる「あたりまえ」に子どもも大人もがんじがらめになっている。その「あたりまえ」を1つずつ破壊し、そこから脱却する必要があると痛感しています。
学校をもっとやわらかく
――フリースクールを開設したとうかがいました。
2022年5月に「フリースクールたちばな」を高校の敷地内に立ち上げました。たくさんのアイテムが置いてあるのですが、なかにはダーツボードも設置してあり、さながらダーツバーのような非常に雰囲気のよい空間になっていると思います。
中学校を卒業していれば、立花高校に在籍していなくても利用できます。本人が望めば、立花高校の授業や学校行事に参加することもできますが、出席や単位として認定されるわけではありません。
フリースクールを始めた理由は「自由闊達な学びのスタイルを発信したい」と考えたからです。学びと言っても、学校という枠組みにこだわる必要はなく、学ぶ意欲を持つ子どもが、まずは安心できる居場所をつくりたいと考えました。当初はセーフティーゾーンをつくるという認識でしたが、いざ始めて見ると、セーフティゾーンではなく、コンフォートゾーン(快適な空間)だということに気がつきました。子どものほか、本校の教職員も居心地よくすごしています。なかでも一番くつろいでいるのは私かもしれませんね(笑)。
学校関係者をはじめ、多くの方々がフリースクールも学校も見学に訪れるのですが、私たちが見てほしいのは運営のハウツーではなく、そこで醸成される、やわらかい雰囲気です。
協力者会議で何度も発言しましたが、学校がもっとやわらかくならないといけないと私は考えています。そのためには、学校内にコンフォートゾーンをつくり、広げていくことが重要です。そんなことをしては授業や生徒指導が崩壊すると危惧される学校関係者もいるかもしれませんが、ご覧いただければわかる通り、立花高校は学校としてきちんと機能しています。むしろ、本来教員も子どもも安心してすごせるはずの学校で、教員が子どもたちを上意下達で同調圧力にさらしてしまっている状態こそ危険ではないでしょうか。
――最後に、学校教育のこれからを考える際、何が必要だとお考えでしょうか?
2つあります。1つは「非常口」です。非常口があることは子どもにとって、安心感につながります。また、いざというときには非常口から逃げることができると思えることで、今を耐えることもできます。「非常口なんてつくったら、子どもが勝手に出て行って困る」と考える大人が、非常口のない空間をつくり、そこに子どもを押し込めている。その結果、多くの子どもがつらい思いをしているわけです。歯を食いしばって耐えるだけでなく、つらくなったら寄りかかることができる依存先や逃げ場がある。そうした安心感を学校教育のなかでつくり、大事にしていくべきと考えています。
もう一つは「自己決定」です。本校でもとても大事にしていることです。すこし規模の大きな話になりますが、先日お隣の熊本県熊本市で市長選がありました。投票率が30%に満たなかったそうです。熊本にかぎった話ではなく、全国的に投票率の低下が懸念されています。「みなさん、選挙へ行きましょう」の一言で、この状況が変わるとは思えません。なぜなら、今の学校教育において、子どもが自分で考え、自分で判断するという自己決定について学び、経験する機会が奪われているからです。
残念ながら、先生のコントロールが効く範囲内で子どもが決めごとをして、それで子どもの声を尊重して取りいれているという体裁を整えているのが実状です。子どもどうしが対話を重ね、ときに対立することをいとわない勇気を持つなかで、合意形成に向かっていく。そうした経験をしなければ、声の挙げ方さえわかりません。また、声を挙げたとしても、その声を尊重された経験のない子どもが大人になったとき、1票の重みなんて自覚できないのではないでしょうか。
自分で考えて、自分で判断するという自己決定、言い換えれば「自律」というものが、現在の学校教育では育ちづらいというのは大きな問題です。教師の号令ひとつで子どもをコントロールするような既存の学校文化とは正反対の取り組みを通じ、子どもの自己決定を大事にすることを意識しながら子どもと向き合っていかなければいけません。
ですから、不登校が何万人を超えた、要因がうんぬんという次元を超えて、学校のあり方そのものが今、問われています。不登校は問題行動ではなく、子どもからの問題提起行動であり、問題を突きつけられているのは学校であり、私たち大人なのではないか、私はそう考えています。
――ありがとうございました。(聞き手・小熊広宣)
立花高等学校の紹介
立花高等学校は、全日制・単位制の高校。1クラス30名以内という少人数制のほか、チーム担任制(3名一組で1週間交代で2クラスの担任をローテーションする)を導入するなど、子どもへのきめ細やかなサポートを大切にしている。また、福岡市近郊5カ所での学校外教室の開設や、校内でのサポート教室の設置など、独自の支援方法を先駆的に実践してきた。卒業生の就労支援を目的とした株式会社「パイルアップたちばな」を設立し、卒業生の就労・自立など幅広い支援を行なっている。
【連絡先】
(電話)092-606-2792
【プロフィール】齋藤眞人(さいとう・まさと)
1967年、宮崎県生まれ。公立中学校の教員を経て、2004年に学校法人立花学園立花高等学校の教頭として赴任。2006年から同校の校長を務める。文部科学省の「不登校に関する調査研究協力者会議」の委員。
(初出:不登校新聞593号(2023年1月1日発行)。掲載内容は初出当時のものであり、法律・制度・データなどは最新ではない場合があります)