ノンフィクション作家 吉岡忍さんに聞く

 今回のインタビューはノンフィクション作家の吉岡忍さん。酒鬼薔薇事件をはじめ、昨今の取材から子ども・若者が置かれている状況をどう見られているかをお聞きした。
 

――酒鬼薔薇事件(注)についてどう思われたでしょうか?

 酒鬼薔薇事件の彼は学校でも家のなかでも反抗的ではなく、まったくおとなしい子でした。お母さんは、気持ちの上下幅が大きい人で、彼自身、適応するのが大変だったと思います。その反発を内向させて、彼は自分のなかにさまざまなキャラクターを生み出すようになりました。
 
 そもそも「酒鬼薔薇」自体が彼がつくりだしたキャラクターですし、ほかにもグロテスクな女の子や凶暴な犬などさまざまなキャラクターが彼のなかにいます。このキャラクターを生むこと自体は、さほど特異なことではありません。すべての創造の原点は、現実の誇張であり、矮小です。すべての芸術家が頭のなかのイマジネーションを表現と結びつけるわけです。ところが彼の場合、攻撃的なイマジネーションがストレートに現実に向かってしまいました。それは彼自身の周囲の環境が表現のほうに向かうような文化的・知的な豊かさを持っていなかったことも理由の一つです。その後、彼は自分のつくったキャラクターに乗りうつるようにして犯行に及びました。
 
 この事件の最初の契機は小学生のころです。彼は人間の皮を剥いだような気味の悪い粘土細工をつくりました。非常に抽象的な表現だったので、教師もわからなかったんでしょうね。「こんなものをつくっちゃいけない」と本人に注意し、親にも注意しました。それ以降、彼は自分の内部にあるイメージを外に出さないようになります。そして、前述したように見かけはものすごくおとなしい子になっていった。とっても不幸なことでしたね。
 

――大人が葛藤やイマジネーションに付き合う環境がなかったと?

 残念ながらいまの学校教育は、国語、数学、社会など、いろんなことを教えますが、すべてテクニカルな教えだけです。社会のなかで自分がどんな存在なのか、もっと言えば自分が存在しなくても社会が存在することを教えません。いつまでも「あなた次第」「世界の中心はきみだ」というメッセージばかり送っています。だから、いい学校、安定した就職、快適な生活をするために「勉強してがんばりなさい」と。物を知ることのすべてが打算的になります。そんなものは教育でもなんでもない、と僕は思うんです。
 

 歴史を切断した社会

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