問題は不登校ではなく通学偏重主義 荻上チキ
今号は評論家・荻上チキさんのインタビューを掲載する。本欄では不登校・学校制度・ひきこもりなどについて荻上さんの考えをうかがった。
問題は不登校ではなく学校制度
――不登校について、どうお考えでしょうか?
僕の身近には不登校当事者が多いし、僕自身、小学校から中学校のあいだ、いじめにあったり、仮病を使ったりして、学校をちょくちょく休んでいたんです。そういう経験もあり、問題意識を持って取り組んでいます。
まず前提として、不登校になる人にはそれぞれの事情が個別にあるのですから、そういった個別の児童に対しても平等に教育の機会が確保されなければならないと思っています。ただ、いまこの国は、「通学中心主義」になっていて、通学以外の形で教育機会を提供するということが弱いんです。教育機会確保法が成立して、夜間中学やフリースクールも重要だ、というふうになりましたが、これまではずっと見落とされてきました。
通学偏重主義からの脱却を
これまでの行政の支援というのは、いわば「通学支援」なんです。実際はそれぞれの学校で、「無理して学校に行かなくてもいいよ」と現場の職員が言ってくれるところもあったり、発達障害などの当事者に対して必要な支援をしていこう、という場も少なくはありません。ですが、行政の態度としては、あくまでも通学をサポートする、という態度になっています。
憲法上は、教育機会の確保の手段はなにも学校にかぎられているわけではありません。親には学校に行かせる義務があるのではなくて、教育を受けさせる義務があるんですね。しかし、この国の教育は通学による学校教育というものに著しくかたよっています。その結果、クラスという集団の中の一人になって、黒板に向かって45分間ノートをとり、休み時間は同世代の友だちとわちゃわちゃする、という「あのスタイル」にミスマッチな児童というのが想定されないまま、教育制度が進んできてしまったわけです。ほかにも通信教育とか放送教育とかいろいろな形があるんですが、あくまで「サブ」ですよね。平等に選択肢が用意されていないのが現状です。その状況をまずは是正しなくてはいけないと思います。
学校に行かない その先の提示を
加えて言うと、いじめ自殺問題などが起きると、有識者が「学校へ行かなくていいよ」「逃げてもいいんだよ」と発言することがあります。僕はこの発言には半分は賛成なんですが、半分は同意できないんです。
まず前提として、保護者や支援者がそういったことを言うのはとても大切だと思います。子どもが抱えこんでしまっている「学校に行かなくては」という言葉の呪いのようなものを解消してあげることはとても重要ですから。
ただ、メディアや行政の側までが「学校へ行かなくていいよ」とだけ発言するのは問題です。というのは、行かなくなった時点で自己責任になってしまうからです。不登校になると、ハンディキャップを背負うことになります。履歴書の空白ができるし、学歴も学校に行っていた人よりも落ちる傾向がある。「行かなくていいよ」と言ってしまうと、学校が対処すべき学業や進路のことまで、家庭や自分の力だけでなんとかしないといけなくなってしまう。だから、大人は「行かなくていいよ」だけでは足りない。もう一歩踏みこんで、「行かなくてもこっちがあるよ」ということを提示しなければならないんです。それはフリースクールだったり、夜間中学だったり、通信教育だったり、ホームスクーリングだったりしますが、そうしたいろんなオプションを検討する必要があるし、いまはもうそういう段階にきています。
一応、政府も、第二次安倍内閣になってから、不登校支援を言いだしましたね。そういう機運が高まっているというのは悪くはないですが、もっと早く、30年くらい前からそうした議論が行なわれてほしかったです。
学校自体がストレスに
――そもそも学校自体が、たいへん息苦しい場所になっていると思います。
最近、「学校ストレス」という言葉をつかって、学校のなかで発生するさまざまなリスクを言語化する動きが出てきています。考えてみれば、同じ年に同じ地域に生まれたという理由だけで、まったく価値観も親の職業もちがう人たちが30人、毎日集められる。そんな生活を9年間は最低続けなくてはいけない、というのは、すごいことです。
大人なら、「この人ちょっと無理だな」と思ったら離れる、ということができるわけです。かんたんではないですが、会社を辞めるとか引っ越すとか、縁を切ることは可能です。