「どんな経験でも自分の武器になる」ライトノベル『キノの旅』作者が若者に伝えたいこと【全文公開】
旅人「キノ」がさまざまな国を巡る『キノの旅 the Beautiful World』(以下『キノの旅』)をはじめ、数多くの小説で若者からの支持を集める小説家・時雨沢恵一さんにインタビューした。「どんな経験も作品づくりの武器になる」と語る時雨沢さんに、自身の体験や若い人へのメッセージなどをうかがった(写真・時雨沢恵一さん、撮影・矢部朱希子)。
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――学生のころ、ほかの人と話が合わなくて浮いていたとうかがいました。
たしかに浮いていましたね(笑)。いい意味でも悪い意味でも、ちょっと人と考え方がずれていたんだと思います。わりと空気が読めなくて、他人の気持ちを気にせずに思ったことをすぐ口に出していたんだと思います。「何言ってるの」、「なんでそんな考えになるの」と、友だちからも学校の先生からも、親からも言われていました。
また、空想癖があって空想や妄想が始まると、ほかのことがまったく気にならなくなって、話しかけられても答えられなかったということもよくありました。
でも私自身は人とちがうことをつらいとは思っていませんでした。「みんなと同じ考えじゃなくてもいいじゃん」と。
人と同じでは 勝てない世界
――不登校経験のある人のなかには「自分はふつうになりたかった」という思いを持っている方も大勢います。
私は「ふつうになりたい」と考えたことはあまりないですね。自分は自分でいいじゃんと思っています。もちろん悩んでいる人にとっては重要なことなので、「ふつうになりたい」という思いを否定するつもりはまったくありません。ただ、人に迷惑をかけたり犯罪をしないかぎりは、自分なりの考えを持つのはすごくいいことだと思います。小説家みたいにクリエイティブな場に居るとなおさらです。人と同じことをやっても勝てないわけですから。
小説家という職業はどんなことを書いてもいいんです。最終的には編集さんというチェックが入りますから、安心してどんなヘンな話でも書いていい。もしクリエイティブな仕事に就きたいと思っている人がいたら、ちょっとヘンな自分の世界を持っていることは、とてもいいことです。
私も、子どものころから人とちがった考え方だったから、人が「不思議だな」と思うような話を書けたんじゃないかと思います。人とずれている、浮いているというのは結果的にはよかったわけです。
――就職活動で挫折をされたとのことですよね。
そうなんです。高校を卒業したあと、アメリカの大学へ行って、その後、日本に帰ってきてから就活をしたんですが、まあしんどくて。かたっぱしから会社に落ちまくって、結局、実家で1年くらい、ほぼひきこもりのような生活をしていました。親からは働けという圧もあるし、せめてバイトをしなきゃと思ったんですが、バイトの面接も落ちるようなありさまで。そのころは自分のなかで一番つらい時期でした。
どん底まで落ち込んで、それで「小説でも書いてみるか。うまくいけば当たるかもしれない」と、めちゃくちゃ甘い考えで、それまで書いたことがない小説を書き上げて賞に応募したんですよ。1999年のころです。このとき書いたお話は『キノの旅 第1巻』のなかにある「平和な国」というお話です。『キノの旅』全編のなかでも、そうとうにエグイ話(笑)。この話自体は、大学生のときにオチだけ思いついていたんです。当時書いていた日記にアイデアを残していて、もし将来自分がクリエイターになれたら書きたいなと、ずっと温めていたお話でした。
『キノの旅』は最終的には受賞はしなかったのですが、電撃文庫編集部の拾い上げで書籍刊行してくれることとなり、2000年にデビューできました。
なんだか不思議な気持ちでした。もともと小説家になりたいという夢をばくぜんと持ってはいたのですが、まずは仕事を見つけてからだ、と思っていたんですよ。
ある程度食っていけるだけのお金を稼いでからじゃないと、いきなり小説家なんて大博打は打てないと思って。でも大前提だったはずの就職ができなくて、じゃあ小説からいってみたら、うまくいったんですね。ふり返ると、すごい危ない橋を渡ってきました。どこかで失敗したらここにはいない。あまりおすすめできない生き方ですね(笑)。
――時雨沢さんの作品には自分の過去の経験を踏まえたような出来事も入っているんですか?
意識していれているわけではないんですが、それでも絶対に入っていると思います。アメリカへ行ったときにたくさんカルチャーショックを受けました。子どものころからモデルガンが好きだったのですが、アメリカでは射撃場などで本物の銃が撃てる。日本では絶対できないことがふつうにできてしまうんです。世界がちがうってこういうことなんだと思いました。
そしてアメリカに3年住んで日本に帰ってくると、またカルチャーショックを受けるんです。リバースカルチャーショックと言うのですが、日本はアメリカとこんなにちがうんだ、という逆向きのおどろきがありました。街のサイズが小さいとか、人々の背が低めだとか、髪の毛が黒いとか。これもまた、おもしろい体験でした。
経験がなければ 書けなかった
『キノの旅』は私が異世界に放り込まれた経験がないと書けなかったんじゃないかなと思います。オートバイが大好きで乗りまわして旅をしていたこととか、射撃場で銃を撃ったこと、そうした経験が全部ミックスされて、自分のなかから出てきたものが作品になるのです。
もちろん、自分の経験だけでなく、ほかの作品に影響を受けた部分も大きいです。僕は『銀河鉄道999』や『ニルスの不思議な旅』が大好きでした。『銀河鉄道999』は構造的に『キノの旅』とまったくいっしょなんです。主人公の鉄郎はいろんな星を訪ねて、そこのようすを見て何かを感じたりして、最終的には出ていきます。キノも同じです。ただちがうのは、鉄郎は旅をしながら成長しますが、キノはあまり成長しない。さまざまな国を傍観者として見て、出て行くだけなのですけれどね。
表現って、汚い言い方をすれば嘔吐みたいなものだと思っています。それまで自分が摂取してきたいろいろな人の作品や自分自身の経験が、おなかのなかで混ざり合ってオエッと出てくる。ピザしか食べてこなかった人はピザしか出てこないわけです。だからたくさんの作品と出会い、たくさんの経験をした人は、クリエイティブの世界ではとっても強いんですよ。
――どうしてキノは傍観者の位置にとどまるのですか?
やっぱり主人公がガツンと正義を語るというお話は、私としてはどうもしっくりこなかったんです。子どものころから正しいことを押しつけられて、それに反発していたからだと思います。
キノは明らかに凄惨な、現在の価値観では許せないようなことが行なわれていても、すぐに怒ったりせず、まず「どうしてこういうことが行なわれているのか」と相手に理由を聞きます。何が正しいか正しくないか、しっかり咀嚼するまでは分からない、という立場です。キノや私たちから見たらありえないようなことでも、その「国」のなかでは正しい場合がある。だから安易に断罪はできないのです。
それに『キノの旅』は心理描写もすくないですね。心理描写をいれるということは、その人の気持ちを作者が代弁することです。でも「このときどう考えた」と書くよりも、「このときは何を考えているんだろう?」と読者に思わせたほうが『キノの旅』という作品には合っていると思うんですよ。
逃げていい
――最後に、若者たちに向けて伝えたいことはありますか?
悩んでも考えても答えが見つからないときってあると思います。そんなときは、答えを先延ばしにしちゃいましょう。生きているかぎり時間はあるので、悩んで先延ばしにしたとしても、どこかで新しい答えが見つかることもあるんですよ。私は大学を卒業したのが遅かったし就職したのも遅くて、人より数テンポ遅れて生きてきましたが、それでもここまでなんとか来られました。
それから、つらい場所からは逃げていい。つらい場所にずっととどまる必要はないです。キノにはモトラド(二輪車)のエルメスという逃げる道具があったから、生まれた国から逃げました。みなさんも逃げていい。逃げた先に何かあるかもしれないですしね。キノの場合も逃げた先で師匠という、助けてくれる大人と出会えるのです。
あとは、人生を楽しんでほしいです。今すごく困難なことがあっても、そんな「めっちゃたいへんな状況」を楽しむことができれば最高ですね。もちろんそれは簡単じゃないので、後からふり返って「あれはつらかったけど楽しかったな」と思うだけでもいいんですけど。クリエイターをやっていると過去のめちゃくちゃ悲しいことも、それがネタになったりします。あのときすごく悲しかったけれど、それをネタに書いてみたら、悲しかった経験が作品に変わるんです。
どんな経験も何かの役に立つのだと思います。だから絶望をしすぎないように。あと、自分で死を選ぶとか、自分をいじめちゃうような、やけは起こさないでほしい。やけを起こしそうになったらちょっと休んでみて。自分を大切にして、人生をおもいっきり楽しんでほしいです。
――ありがとうございました。(聞き手・杉田菜子、編集・茂手木りょうが)
【プロフィール】時雨沢恵一(しぐさわ・けいいち)
小説家。「第6回電撃ゲーム小説大賞(現・電撃小説大賞)」へ応募後、『キノの旅 the Beautiful World』(電撃文庫)にてデビュー。『キノの旅 the Beautiful World』、『一つの大陸の物語』シリーズ、『ソードアート・オンライン オルタナティブ ガンゲイル・オンライン』(いずれも電撃文庫)は、アニメ化もされ人気を博している。そのほかにも著作多数。TVアニメ『ルパン三世 PART5』の脚本なども手掛ける。
(初出:不登校新聞 626号(2024年5月15日発行)。掲載内容は初出当時のものであり、法律・制度・データなどは最新ではない場合があります)