一人を痛感した公園でのお弁当。他人を遠ざけたら自分も嫌いになった高校時代|私が一番つらかったとき
不登校経験のある本人やその保護者に「私が一番つらかったとき」をお聞きするインタビュー。
今回は、現在は大学の法学部に通う竹本新太さん(仮名)にお話をうかがいました。
不登校になったのは、高校時代。実は「忘れていたほど、つらかったこと」があったと話してくれました。
小学校中学校では問題なく通学
高校に入学後、だんだん学校に行かなくなる
高校2〜3年生のときは、ほとんど行かなくなる
卒業後2年間はアルバイトをしたり、家にいたり
あるきっかけで英語を勉強。英検準1級合格
大学進学を考える
会社員になって働きつつ合間に受験勉強
高校卒業後4年目、大学の法学部に合格
自分が学校に行かなくなるとは、思いもよらなかった
学校に行かなくなったのは、高校生のときでした。
小学校、中学校のときは学校が普通に楽しかったです。学校を欠席したこともなかったし、勉強の遅れも感じたことはなかったです。
高校で自分が学校に行かなくなるとは、全く予想ができなかったです。なぜ自分がそうなっているかがわからなかったから、とにかく「 困ったな」という感じでした。
最初は「疎外感」から
高校に入って何かいじめがあったりとかではなかったのですが、疎外感を感じていました。親密な友だちはおらず、みんなと挨拶するぐらい。
その挨拶するぐらいの関係性の人たちと、ずっと同じ空間にいる「無意味さ」みたいなものを感じていました。
一方で、僕の周りはお互い友だちになっていました。僕も一応は声をかけられるけど、ただ、そこにいるから声をかけられるだけ、みたいな……。
「友だちを作る力がない」と思っていた
単純に中学校時代の友だちが好きで、高校で友人ができたとしても彼らとの関係以上にはならないというあきらめの気持ちになっていたのかもしれません。
自分から歩み寄っていないのですから、友だちができなくて当たり前。自業自得ですよね。今となってはそれがわかるのですが。
小さい頃から仲良くしている友人がそのまま中学校で持ち上がって一緒に過ごしていたので、気がついたら友人がいたという状態。要は新しく友人を作ったことがなかったんです。自分は友だちを作る能力がないんだと思っていました。
ただ、大学に入ってからは友人ができたので、「やればできる」ことでしたね。一歩踏み出すことができなかったのだと思います。
モチベーションがわかない。頑張れない
そのころは、何に対してもモチベーションがわかない気持ちになっていました。
学校に行ったり行かなかったりしても、(出席日数などは足りていたので)進級はできていたし、定期テストを受けていればいいのだろうと。
授業が進んでいてもいなくても興味はなかったし、友だちがいるわけでもない。時間が経つのを、ただ待っていただけだったと思います。
もちろん、心のどこかでは本当は頑張ったほうがいいとは思っていましたが、なぜか頑張れない。心の中に泥のように溜まっていた澱(おり)があって、どうにも動かない。僕の高校3年間はずっとそんな感じでした。
頑張る理由が欲しかったです。
一番つらかったのは、一人で弁当を食べていたとき
学校をサボっても「大丈夫(=とりあえず進級はできた、自分としては問題ないと思えた)」だと考えるようになると、当然のように行かなくなります。
行ったり、行かなくなったりの日々でつらかったのが、学校に行ったときに一人で弁当を食べること。