「なんとかなると知っていた」娘の不登校に母があわてなかった理由
若者への支援に長く携わってきた臨床心理士・鈴木晶子さんは、昨年、娘さんの不登校を経験した。支援者でありながら不登校当事者の母となった鈴木さんは、不登校はなんとかなると思ったものの、小学生を1人で留守番させられない、という共働き世帯特有の悩みもあったという。支援者と当事者の母という2つの視点を経験して見えてきたものについて、お話しいただいた(※写真は鈴木晶子さん)。
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――鈴木さんは、不登校当事者のお母さんであると同時に、長年にわたってひきこもりや不登校などの支援をされてきた支援者でもあるのですね。
そうですね。小学3年生の娘が去年から学校へ行かなくなり、今はフリースクールに通っています。「行きたくない」と言われたときに思ったのは、「学校へ行かなくても、人生はなんとかなるよ」ということ。学生時代から支援の現場にいて、たくさんの方がひきこもりや不登校を経て社会へ出ていくところを見てきたので、「なんとかなる」ということだけはわかっていたんです。
私が初めて支援の世界に入ったのは、大学院生のときです。大学入試を目指しているひきこもりの男性のご自宅を2年にわたって訪問しました。年齢も近く、家庭教師兼話し相手という感じでしたね。
その後は、横浜市の青少年相談センターで行なわれていた20代のひきこもりの方々の居場所活動に参加しました。日ごろひきこもっている若者たちが週に1回集まって、いっしょにご飯をつくったりしながらすごすのです。ここでは、相談に行っても変わらなかった方々が、温かな居場所を通して変わっていく姿を目の当たりにしました。これまでで一番楽しかった仕事です。
できないことは聞いてみる
その後も若者の就労支援や高校に「校内居場所カフェ」をつくる活動など、さまざまな活動に関わってきました。そのなかで学んだのは、できないことは抱え込まず、ほかの分野の人に聞いてみるということ。支援の世界は縦割りであることが多いのですが、隣の分野の人がノウハウをもっている、というのはよくあることなんですよ。当時、そうした動き方を学んだおかげで、今では「越境の達人」と呼ばれています(笑)。
2017年には夫のアメリカ赴任が決まって、当時3歳だった娘を連れて渡米しました。貧困層への食糧支援に携わったことで、現地の「草の根」の強さを体験できたのは貴重な経験だったと思います。
2020年に帰国して、今は川崎市にある認定NPO法人「フリースペースたまりば」で困窮家庭への食の支援や居場所づくり、相談支援を担当するなど、いくつかの活動を続けています。
――帰国したときは保育園の年長だった娘さんが、小学2年生から不登校だとうかがいました。
2年生の4月、教員不足ということで、娘のクラスは担任が決まらなかったんです。担任が決まるまで臨時の先生が入ってくれたのですが、じっと座っていられない子や感情や行動のコントロールが難しい子などが何人かいて、新学期早々、いわゆる学級崩壊状態になってしまいました。