どこか条件で子どもを見ていた自分。「無条件で愛する」までの道は暗闇だった|私が一番つらかったとき

#ホームスクーリング#不登校#不登校の親#行き渋り

不登校体験の本人や保護者に「一番つらかったこと」をうかがうインタビュー。

今回は現在、中学2年生と小学4年生のお子さんと暮らすWingさんにお話を聞きました。二人のお子さんはともにオンラインスクールで授業を受けています。

転校などのさまざまな試みをした結果、学校に行かない選択をした子どもたち。Wingさんが家族とどう向き合ってきたか、うかがいました。

「不登校オンライン」では、不登校を経験されたご本人や保護者の方でインタビューの取材を受けてくださる方を募集しています。詳細はこちら

 

Wingさんとお子さんの経緯

第1子(現在、中1)
小1:学区内の小学校に入学
小2:担任とのやりとりでストレスを抱える。運動会でショックなことが起こる
   食欲不振になり学校を休むことに
小3:コロナ禍に。学校はオンライン授業を実施せず。6月〜9月くらいは父と登校
   国内のオンラインスクール→オンラインインターナショナルスクールへ
  (学校へ行ったり行かなかったりのなか、オンラインスクールは現在まで継続)
   10月〜学区外の小規模特認校に転校
小4:転校先の担任が原因で再び不登校に
小5:3学期から小規模特認校から別の学校へ転校
   毎日、1〜2時間だけ、親同伴なしで学校の授業を受ける
   WISC-Ⅳ(心理)テストを受ける
小6 :支援学級にて新学期をスタート
   担任の知識・経験不足で対応に難あり。再び不登校になる
中1:独学で音楽の才能を伸ばす
  (音楽配信サイトで楽曲リリースするなど)

第2子(現在、小4)
小1:第1子と同じ小学校へ入学(小規模特認校)
小2:3学期に体調不良を訴える
   3学期に転校(第1子と同じ学校へ)
   転校先の担任の態度にショックを受ける
小3:学校に行かない選択をし、オンラインスクール。担任は月に数回自宅へ訪問
小4:オンラインスクールがメイン。新しい担任は毎週自宅に訪問

 

ご飯を食べなくなり、痩せていった我が子

上の子が学校に行くのがつらくなったのは、小学校2年生のとき。元々はご飯をたくさん食べる子だったのに、 少しずつ食べなくなったときがありました。

病院にかかるところまではいかなかったのですが、みるみる痩せていきました。これはおかしいというので、学校を休ませたんです。

それが実は学校でのやりとりが影響していたのは、あとでわかったことでした。

実は大きなストレスを抱えていた

きっかけは、小学校2年生で新しい担任の先生から、1年生のうちに自分でやっていた自主学習のスタイルについて、「このやり方はダメ」と突きつけられたこと。

こだわりの強いタイプの子どもでしたが、理由もなく否定をされ、納得感もなく怒り沸騰です。

また、同じ先生が給食を完食できた子に渡す「ご褒美シール」も問題に。牛乳アレルギーのある娘は、給食を「完食」できません。

そのころは少しずつ牛乳を摂取できるようになっていましたが、飲み干すことは難しい状態です。すると、そのご褒美シールは絶対にもらえないわけです。

担任からは「一口でもいいから飲みなさい」と言われるけれど、飲めない。子どもとしては、理不尽さを感じながらも上下関係のある先生に抵抗ができなかったようです。

説明なしの対応でパニックに

また、運動会の日にある出来事が起こりました。

弁当持参の運動会だったのですが、子どもたちにおやつとして、クリームが入ったお菓子が配られました(事前のお知らせはありませんでした)。

子どもはそのお菓子をパッと見たときに、自分は食べられないとわかっているのに全員に配られることにショックを受けたのです。

結果、そのクリームは植物由来だったようですが、保護者にも本人にも何の説明もなく配られたことで、我が子はパニック。大泣きで暴れてしまい、その場から離れ、家に戻りました。

その運動会のあと、食欲不振になっていったのです。担任の先生とのやりとり、運動会での出来事などが重なって、大きなストレスになっていたのだと思います。

コロナ禍もあり、オンラインスクールへ

3年生になって夫と一緒に登校するようになっていきましたが、ちょうどコロナ禍になっていました。

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