「限界ギリギリの自尊心」保つためだけに自己啓発本を手に取った16歳のあのころ【全文公開】
不登校を機に、それまで大好きだった小説ではなく、啓発本を手にして読むようになったという不登校経験者の古川寛太さん。「何の解決にもならない現実逃避」と頭ではわかっていたと語る古川さんが求めた「目先の安定」とは。
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もし自分が10歳だったら、図書館や書店に着くなり真っ先に児童書や小説のコーナーへ向かっていただろう。お気にいりシリーズの最新刊が発売されたかチェックしに行っているはずだ。
16歳になった自分がそれらのブースを素通りしたのは、けっして飽きたからではない。学校へ行かず、家にも居づらく、平日の昼間から書店へと吸い込まれた俺は、店舗のはじにある「自己啓発」と書かれたスペースに立っていた。
それしかできることがない。コントロールもできない不甲斐ない自分を律するために、崇高なマインドを身につけるしかないと感じていた。
ギリギリの自尊心 保つためだけに
それと同時に、他者の啓発本を読む程度で何か進んだ気になることがただの現実逃避であることもよくわかっていた。こんなものは何の解決にもならない。ギリギリの自尊心を保つためだけに、問題を先送りするためだけに手に取るドクターカーネギーの言葉は、数秒間だけ響いた気がして、瞬きを一度すればもう忘れていた。内容の分別以前に、めくってきたページを支える右手の重量のみが達成感だった。こんなふうに生きていけばいいことを俺は同級生とちがって知っている、そう感じることでなんとか踏みとどまっていた。やっぱり、それしかできなかったのである。
一方、小説がまったく読めなくなってしまった。小説にかぎらず、アニメや映画など、フィクションの世界へ入り込めない。架空の話を取りいれる脳のキャパシティがなくなってしまったからと推測している。これには参った。「娯楽」として持っていた読書が、救いを求めて情報を得る「ツール」へと変わってしまったのだ。小学生のころから、楽しさとともに手を取りあってきた物語たちを俺は拒絶してしまった。「そんなことより」と、思ってしまった。
つらいなら空想の世界に浸ればよかったし、学術書の1冊や2冊読んでおけば、また今見える世界もちがっていたかもしれない。今となっては何とでも言えるが、当時は本当に目先の安定しか身体が受けつけてくれなかった。「明日から変わる方法」、「自己肯定感の高め方」、「一流の人がしている行動」。1冊ずつ棚から取り出しては読み、また棚に戻すをくり返していると、外は暗くなっていた。それでもまだ、棚に並んだ背表紙をなぞる。書店の隅で背中を丸めて「幸せになる方法」というタイトルの本を読んでいる彼は、きっとすぐには幸せになれない。(つづく)
(初出:不登校新聞626号(2024年5月15日発行)。掲載内容は初出当時のものであり、法律・制度・データなどは最新ではない場合があります)
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