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「私は『不登校した』のではない。『不登校が起きた』のだ」 経験者が抱く不登校をめぐる表現への違和感

「学校へ行こうとしたときだけ、体が動かなくなった」。詩人・フリーライターの喜久井伸哉さんは、自身の不登校は「心」のあり方では語れないと確信しています。自身の不登校について30年近く思索を続けてきた喜久井さんが、イップスと不登校の類似性について考察します。(連載「『不登校』30年目の結論」第5回・写真は喜久井伸哉さん)

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喜久井伸哉

喜久井伸哉(きくい・しんや)

1987年東京都生まれ。詩人・フリーライター。喜久井ヤシン名義での著書に『ぼくはまなざしで自分を研いだ』。ほか共著に『いまこそ語ろう、それぞれのひきこもり』がある。

* * *

私は、自分の意志で「不登校」になったわけではない。「不登校」だったのは、登校しようとしたときに、自分の体が「どうしても思い通りに動かない」状態になったせいだ。そのため、「私は不登校した」という言い方はしたくない。「〇〇した」と言うと、意図的な行為であるかのようなニュアンスになるためだ。吃音の当事者が「私は吃音した」と言ったり、イップスの当事者が「私はイップスした」と言ったりしないことと同様だ。語るとすれば、「吃音が起きた」「イップスが起きた」になるだろう。私も同じ語法で、「不登校が起きた」と言いたい。この点を具体的に伝えるために、イップスについて説明する。

あのイチローもイップスに翻弄された

イップスは、「いつ、誰に、なぜ起きるのか」が、専門家にも解明できていない。一応、「緊張や不安などの、心理的な要因が関わっている」といった説明はある。しかし、おおぜいのアスリートの中で、「メンタルが弱い」とされる選手だけに起きるとはかぎらず、イップスのメカニズムは「心理的な要因」だけでは説明がつかない。

元メジャーリーガーのイチロー選手にも、イップスがあった。

【連載】『不登校』30年目の結論
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