「不登校の先が見えなくてつらい」 小6で不登校した私を支えた大人の対応【全文公開】

#不登校#行き渋り#通信制高校

 小学校6年で不登校し、「中学校へは行きません」と両親に宣言した富良野しおんさん。富良野さんにとって、不登校とは学校へ行かないままどう生きていくかを模索する時間だったと言います。富良野さんの半生や救いになったことなどについて、書いていただきました(※写真は富良野さんの支えになったミニチュアダックスフンド)。

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 私は学校が得意ではありませんでした。クラス内でグループができて、グループごとにもめごとが起こる環境が、苦手だったからです。とくに小学校高学年にもなると女の子どうしの関係はどんどん難しくなっていきます。

 小学6年生のころ、ある子に依存されるようになりました。別のグループの子と話していると「何話してたの?」とか「もう話さないでって言ったじゃん」と言われるようになったのです。

 その子の執着心は強く、学校にいるあいだは、いつ、どこで、誰と居ても、つねに見張られているような気がしました。そうして精神的に追い詰められるうち、体調が急激に悪くなり、夏休み明けに私は「うつの一歩手前」と診断されてしまいました。もうあの子たちのところには戻れないと感じた私は「中学校へは行かない」と両親に伝え、不登校を続けました。

 転機が訪れたのは、中学2年生の秋ごろ。すこしづつ体調が回復していた私は「学校じゃないところなら行けるかも」と、フリースクールに通い始めます。フリースクールで自分と同じ境遇の子たちと出会えたことは、私に「不登校でも生きていけるんだ」という確信をあたえてくれました。その後、通信制高校に進学し、今は出版社で働いています。

あのまま いっしょだったら

 自分の不登校をふり返ってみると、もう1つの道を選ばなくてよかったと、心から思っています。もう1つの道とは、小6で私をいじめたり、クラス内で対立をしたりしていた子たちと、その後もいっしょに時間をすごすという道です。もし、あのままあの子たちといっしょに居たら、流されて私も誰かをひどくいじめてしまっていたかもしれないし、もっとちがう人間になっていたかもしれません。きっとそれが一番不幸なことだったなと。彼女たちと時間や日常を共有しなかったことが、私にとってはとても大きなことだったと思います。

 また、不登校というのは「学校へ行けない」という、たんなる現象ではなく、人生に関わることだとあらためて思います。不登校当時、私は「もう誰かに思ってもないことを言わされたり、行動を制限されたりしながら生きていくのはイヤだ」と強く思っていました。小学6年生のときのように、他人に価値観を押しつけられたり、誰かの意見を軸にして行動したりすることに嫌気がさしていたのです。そして、同時に学校へ戻ることではなく「どうしたら学校へ行かずに生きていけるのか」を知りたいと思っていました。

 私のまわりに不登校を経験した人は居ませんでした。だからこそ、私には学校へ行かない生き方というのが、わからなかったのです。でも、どうしても自分は学校へは行きたくないし、行けない。その状況でどうやって生きていくのか、どういう人間になっていきたいのか、自分なりの「生きる」を必死に考えていたのが「不登校」という時期だったと思います。学校へ行ける方法よりも、学校へ行かないまま生きていくことを模索した時間のほうが圧倒的に長かったのです。そう思うと私にとっては、不登校は自分のこれからの人生を考える時間だったと思っています。

どんな私でも 喜んでくれた犬

 先が見えず悩んでつらかった時期、私の支えになっていたのは、当時飼っていたミニチュアダックスフンド。学校へ行っている私でも、学校へ行っていない私でも、彼にとってはおなじでした。だから学校へ行けずに落ち込みながら家に帰ってきたときでも、すごく喜んでくれるのです。そんなふうに接してくれる存在は当時、彼しかいなかったので、私の心の支えになりました。

富良野さんの支えになったミニチュアダックスフンド

 それから、私を1人の人として扱ってくれる大人の存在も支えになりました。学校の先生には、どうしても「不登校の富良野さん」という見方をされ、どこか腫れ物にさわるようだったり、最初からこの子は問題を抱えている生徒、と見下されていると感じることもありました。でも幼いころからお世話になっていた学童の先生は、私の状況に関係なく向き合ってくれました。認めてくれるだけではなく「それはちがうと思うよ」と怒られたこともあります。趣味として通っていた、フラダンス教室の人たちもふつうに接してくれました。

 「不登校の富良野しおん」という視点を持たない人と早めに出会えたことは、ありがたいことでした。それは、不登校というフィルターを通さず接してくれる人が近くにいることで、私自身も「不登校の私」から抜け出すことができたからです。「不登校は自分自身ではない。一部であって、全部ではない」と、自分のなかで思える1つのきっかけになってくれました。そういう人たちの存在は、自分を手放さずにいられるお守りみたいなものだったと思います。

(初出:不登校新聞601号(2023年5月1日発行)。掲載内容は初出当時のものであり、法律・制度・データなどは最新ではない場合があります)

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