不登校の同級生に「学校へ来たほうがいい」と言った日
1981年度に生まれた私こと不登校オンライン編集部の生野は、小学校4年生になるとき、親の仕事の都合で転居・転校をした。そして4年後、中学校2年生になるタイミングで、再び同じ地域に戻ってきた。1994年のことである。
転入した中学校には、小学校時代の同級生が大勢いた。私がいない間に転校した人もいれば、別の小学校から進学してきた人もいた。
今回の話に劇的な「オチ」はない。ただ、不登校オンラインの編集者である私が、不登校と初めて向き合った出来事としてお伝えする。
目次
転入先のクラスにいた「学校に来ない子」
中学校2年の始まりと同時に私が転入したクラスには、不登校の男子がいた。仮にAくんとする。
Aくんは、私が転入する前から学校を休みがちだった。私とは別の小学校の出身で、顔も名前も知らない相手だった。
当時、私や周囲がAくんのことをどのような言葉で認識していたのかは、もう覚えていない。時代的には、「登校拒否」だったかもしれない。「不登校」という言葉は、少なくとも私は聞いたことがなかった。
Aくんは、まったく登校しないわけではなかった。月に1回か数か月に1回か、そのくらいの頻度で学校へ来ていた記憶がある。
Aくんがなぜ学校へ来なかったのか、私は今でも知らない。
漏れ聞く話では、怪我や病気が理由ではないようだった。家族と外出していることもあるらしかった。
Aくんと学校がどのように連絡を取っていたのかも知らない。学校の外で交流していた友人がいたのかどうかも知らない。
たまに登校したAくんは、今で言えば「陽キャ」と呼ばれるような運動部の男子たちと話していた記憶がある。Aくんも、もともとはそういうグループにいた人だったのかもしれない。
面倒な役を押し付けられる形で学級委員に
話変わって、中学2年の後期、私は学級委員になった。
私から立候補したわけではない。立候補した人や、私のようにクラスメイトからの推薦で候補となった人たちの中から、投票で選ばれた。
断言するが、人望があったからではない。人気者だったわけでもなく、転校のブランクがあり部活動もしていなかった私は、多くのクラスメイトとお互いによく知らない関係だった。
小学校時代の同級生はいたものの、4年間離れていた私の「今」を知る人は、ほとんどいなかった。
成績だけはそれなりによかったことから、「面倒な役を押しつけるのにちょうどいい」と思われたのだろう。
私自身も、「面倒だな」と思いながら、拒否するほどではなかったので結果を受け入れた。
義務感からの電話。「学校、なんで来ないの?」
ある日、担任が言った。
「明日の○○について、Aくんに電話で連絡してくれる人はいる?」
こういうことは、ときどきあった。
普段は誰が手を挙げていたのか覚えていない。Aくんと話していた陽キャたちだったのかもしれないし、別の人だったのかもしれない。ただ、その日は誰も手を挙げなかった。
私はAくんと知り合いですらなかった。それでも、「誰もやらないなら、学級委員の自分がやるべきなのではないか」という義務感で手を挙げた。
そして、家に電話をかけた。
「あの、同じクラスの生野です。明日は…」
用件そのものは無事に伝えられた。実際には方言のタメ口である。
そして私は、こう聞いた。
「学校、なんで来ないの?」
今思えば、顔も名前も知らない相手からそんなことを聞かれて、気分がよかったはずがない。Aくんは、はっきりとは答えなかった。
私は続けて言った。
「学校、来たほうがいいよ。」
悪意はなかった。当時の私は、「学校には行くべきだ」と本気で信じていた――というよりも、それ以外の価値観を知らなかったからだ。
するとAくんは、一言だけ返した。
「なんで?」
私は答えられなかった。頭の中では、「学校には来るべきだから」と思っていた。でも、「なぜ来るべきなのか」と聞かれると、何も答えられなかった。曖昧に言葉を濁し、そのまま電話を切った。
あの電話は、誰のためだったのだろう
その後も、私とAくんはまともに話すことはなかった。3年生ではクラスも別になり、中学卒業後のことも知らない。
今振り返れば、私は自分の義務感を満たすために電話をし、Aくんに嫌な思いをさせただけだった可能性が高い。Aくんの気持ちを知らない以上断言はできないが、ほぼ確実にそうだろう。
「クラスメイトが電話をかける」という方法について、担任にも事情はあったのだと思う。
ただ、知り合いですらないクラスメイトが電話をする流れで、「何を話すとよいか」「何を話さないほうがよいか」といった共有もなかった。
当時は、それでも「電話をすること自体に意味がある」と考えられていたのかもしれない。
「クラスメイトがあなたを気にかけている。」
「だから学校へ来たほうがいい。」
担任だけではない。当時の学校全体に、そして私自身にも、そんな価値観があったのだと思う。
あの日の私はどうするべきであったか
約30年が経った今、Aくんは、私のことなど忘れているかもしれない。あるいは、「知らない人から嫌なことを言われた出来事」として覚えているかもしれない。
当時の地域や学校の空気を考えると、私以外にもAくんに同じような言葉をかけた大人や子どもは少なくなかったはずで、私もその一人だった。
Aくんには、本当に申し訳ないことをしたと思っている。ただしこの思いも、よく言われる「今さら謝られても」に過ぎないことも理解している。
今でもたまに、あの日の私はどうするべきであったかを考える。
まず、そもそも手を挙げなくてよかったのだ。
不要な義務感から、知り合いでもない相手に「デリカシーのない電話」をかけるべきではなかった。
仮に学級委員の役目として電話をすることになっても、「なんで学校に来ないの」「来たほうがいいよ」とは絶対に言わない。自分でもよく分かっていないアドバイスをする必要はなかった。
では、何を話せばよかったのだろうか。
大人になった私が、あの日の二人にかけたい言葉
そもそも、私はAくんのことを何も知らなかったのだ。
Aくんが学校に行かないことを自分でどう受け止めていたのか。
学校やクラスメイトからの連絡をどう感じていたのか。
苦しかったのか、気にしていなかったのか、それとも別の思いがあったのか。
私は何も知らなかった。
そう考えると、知り合いでもなく、不登校についての知見もない中学2年生の私に、言えることなど何もなかったのだと思う。
もちろん、世の中には、こうしたきっかけで良好な関係が生まれることもあるだろう。でも、少なくとも私とAくんは、そうではなかった。
だから、あの電話は、そして私とAくんの会話は、なかったほうがよかったのだろう。
ただ、それは中学2年生だった私の話である。
不登校に苦しむ子どもや保護者と数多く出会ってきた今の私なら、当時のAくんにまず伝えたいことがある。
「学校は、行かなくてもいい。
担任やクラスメイトと話したくないなら、無理に話さなくてもいい。
もし今が苦しいとしても、将来が不安でも、味方になる人は必ずいる。
だから、どうか一人で抱え込まず、安心して話せる人を見つけてほしい。」



