「この程度で虐待?」の前に考えたいこと——阿部前監督の一件で見えた子どものSOSと親の限界
プロ野球・巨人の阿部慎之助前監督が、18歳の長女への暴行容疑で現行犯逮捕され、その後釈放・辞任した一件をめぐり、SNS上では長女への批判も起きています。報道によれば、長女は父親から暴行を受けた状況についてAIに相談し、その後、児童相談所に連絡したといいます。児童相談所から警察に通報が入り、阿部前監督は現行犯逮捕されました。
一方で、阿部前監督の辞任会見では長女のコメントも読み上げられました。そこでは「殴る、蹴るなどといった事実はございませんでした」「警察が来て一番驚いているのは自分自身」「父とはすでに仲直りをしております」といった思いが語られています。
こうした経緯から「大げさだ」「家庭のことを外に持ち出すべきではなかった」「AIに相談したからこうなった」との批判の声もあります。
子どもがSOSを出したことは責められない
しかし、まず確認すべきは「子どもが怖い」「どうしたらいいかわからない」と感じたとき、外部の大人や機関に相談すること自体は、決して責められるべきではない、ということです。児童虐待や子どもの権利に関わる事件に取り組んできた志賀野歩人(しが・のぶと)弁護士は、今回の件について、こう指摘しています。
「もちろん子どもが大人に相談したこと、子どもがSOSをしたことは絶対に保護されなければいけません」
たとえ、子どもの説明に不正確な部分があったとしても、それだけで「相談した子どもが悪い」とは言えません。志賀弁護士は、子どもが事実ではない被害申告をする場合でも、こう述べています。
「その背景にある子どもの悩み、困りごとがあるわけであり、そうした背景も含めて子どものSOSを受け止める必要があります」
子どもは混乱しているとき、自分の状況を正確に説明できるとは限りません。大人が最初にすべきことは、「なぜそんなことを言ったのか」と責めることではなく、「何に困っていたのか」を受け止めることです。
相談が本人の意図を超えることもある
一方で、今回の件は多くの人に不安を与えたでしょう。子どもから見れば、「相談したら親が警察に連れていかれるかもしれない」「自分の相談で、家族が壊れてしまうかもしれない」と感じても不思議ではありません。志賀弁護士も、「今回のケースを、どこまで一般化できるかは慎重に考える必要があります」としたうえで、子どもが親からの被害を周囲に開示した結果、本人の意図とは違う事態に至ることは「決して珍しいことではありません」と指摘しています。
もちろん、子どもの命や安全を守るために、本人の意向にかかわらず保護が必要なケースはあります。警察や児童相談所の介入を一概に否定することはできません。ただし、そのときに子ども本人の意思が置き去りにされてよいわけではありません。何が起きるのか、どのような対応が考えられるのかを説明し、本人の意向を聞くことが必要です。問題は「相談するな」ではありません。
仲直りしても、暴力がなかったことにはならない
また、長女が「父とはすでに仲直りしている」と説明していることも尊重されるべきです。家族の修復を外部の人間が妨げることがあってはなりません。しかし、親子が仲直りしたからといって、家庭内で起きた暴力がなかったことになるわけではありません。今回の阿部前監督の行為について、志賀弁護士は、こう述べています。
「今回の阿部監督の行為は間違いなく児童虐待防止法上の虐待行為です(長女が『児童』ではない点はおいておきます)し、暴行罪に該当する行為です」
さらに、指導のためという目的でも「なんら虐待を正当化しません」と。一方で、虐待は特別な親だけの問題ではなく、すべての親の近くにある問題だとも指摘しています。
「大切なのは、『虐待』は許されないという大前提とともに、『虐待』は決して特別なことではなく、自分たちのすぐ近くにある問題であり、すべての親が自分も『虐待親』かもしれないという意識をもって考えることだと思います」(志賀弁護士)
子どもも親も、追い詰められない社会へ
子どものSOSを責めないこと。家庭内の暴力を曖昧にしないこと。そして、親も限界に達する前に助けを求められる社会をつくること。この三つは矛盾しません。今回の件で、もっとも避けなければならないのは、いま親との関係に苦しんでいる子どもが、「相談したら親の人生を壊してしまう」「家庭のことを外に言ってはいけない」と思い込むことです。
子どもは相談していいのです。怖いと感じたら、助けを求めていいのです。その結果、家族に大きな影響が出たとしても、その責任を子ども一人に背負わせてはいけません。同時に、相談を受けた大人や機関は、子どもに何が起きるのかを説明し、本人の意向を聞き、置き去りにしない対応をする必要があります。家庭内の暴力をあいまいにせず、親も限界に達する前に助けを求められる社会をつくること。阿部前監督の一件から考えるべきなのは、そこではないでしょうか。
文・石井しこう(不登校ジャーナリスト)



