【追悼企画】山田五郎が説いた「生きづらさ」の正体
美術評論家、編集者として活躍した山田五郎さんが、2026年7月14日に亡くなりました。67歳でした。
私(不登校ジャーナリスト・石井しこう)が山田さんを取材したのは、2010年のことです。不登校の当事者・経験者の数人で、お話を伺いました。
取材のなかで山田さんは、「やりがい」や「自分探し」といった、一見すると前向きに思える言葉が、かえって若者を苦しめているのではないかと指摘されました。
今では広く語られるようになったテーマですが、当時はまだ、こうした問題に注目する人は多くありませんでした。言葉そのものの良し悪しだけでは捉えきれない、人の心の機微を見つめた発言だったことを、今でもよく覚えています。
それ以上に印象に残っているのが、取材後の原稿のやり取りです。
取材を終え、インタビュー記事をまとめた私は、山田さんご本人に原稿を確認していただきました。通常であれば、簡単な事実確認や部分的な修正だけで終わります。しかし、山田さんから戻ってきた原稿には、文体を中心に大幅な手が加えられていました。
もちろん、インタビューで語られていないことが書き足されていたわけではありません。山田さんの語り口や、その場で生まれた笑い、取材現場の空気までが伝わってくるような文章へと生まれ変わっていたのです。
当時の私は、取材を始めてから10年ほどがたち、どこかで「記事なんて、こんなものだ」と思い始めていました。記事の面白さや読みやすさには限界があると、知らず知らずのうちに決めつけていたのかもしれません。
山田さんの直した原稿を読んだとき、「記事は、まだまだこんなに面白くできるんだよ」と教えてもらったような気がしました。
山田さんがあの原稿を通して教えてくださったことは、その後も、私の取材と執筆のなかに残り続けています。
ここに、当時のインタビュー記事を再掲載します。
山田五郎さんのご冥福を、心よりお祈りいたします。
不登校ジャーナリスト・石井しこう
「やりがい」が若者を苦しめる呪いになっている
――山田さんはどんな少年時代を過ごしてましたか?
暗かったですね(笑)。あのころは暗いことがブームでしたから。
いまはみんなが前向きで明るいことがブームですが、思春期というのは今も昔もあんまり変わらないんじゃないでしょうか。思春期って、自分のなかがドロドロとしていて、ホントめんっどくさい状態になるでしょ。自分自身が一番めんどくさい存在になるから、何をしていてもめんどくさいことになる。思春期のたいがいの人は、そういう状態じゃないかなと思います。それとオレの場合は、小学生のときに東京から関西へ転校も影響したんだろうと思います
中学生のころは2年間ぐらいほぼ誰とも話さなかったし、高校でも話せたのは5人ぐらい。まあでも5人もいれば十分でしょ。うちの子たちを見ていると「友だちは多いほうがえらい」みたいなことを言ってんだけど、そんなの全然意味がない。一人でも二人でも安心できる人がいたほうがいいじゃないかって思うんです。
――いつごろから博学になったのでしょうか?
テレビで話しているようなことを知ったのは会社に入ってからです。それまでは、へんな美術とか、へんな音楽とか、ヘンなことはくわしかったけど(笑)。
会社では情報誌「ホットドッグ・プレス」(講談社)などの編集をしていましたが、同人誌じゃないんだから、自分の趣味ばっかり載せるわけにいかない。そうすると自分がたいして興味がないものでも一生懸命好きになるしかないんです。好きになることって客体的なことじゃなくて主体的なことだと思うんです。取材をしたり、記事を書いたり、そういうことも仕事だけど、一番大事なのは、なんでも本気で好きになるという姿勢。本腰を入れて好きになろうとすれば、それなりに楽しい部分が見つかる。それが仕事をして学んだことです。
――最近の山田さんでも「知って驚く」ってことはありますか?
けっこう多いんですよ、50歳を過ぎてなお(笑)。
この近所には精華寮という建物があります。精華寮はうっそうとした木々に囲まれた古い鉄筋の建物で、たぶん人は住んでないと思うんだけど、たまに謎の中国人が出入りして……、物騒な雰囲気なの(笑)。調べてみたら、1927年に日本国台湾総督府が建設した台湾人留学生用の宿舎だったんです。
戦後、台湾と中国に政治的な溝ができたため、日本にある中国と台湾双方の組合が精華寮の所有を主張しあっています。だから、正式な所有権がちゃんとはきまってないし、固定資産税などもいっさい払われてなかったんです。もっと言えば治外法権の区域ができちゃってた、ってことなんです。行政では何度も問題にされたらしんですが、「こんな身近に日本じゃないところがあるのか」と。
最近、朝日新聞の「山田五郎のワケあり!」というコーナーでいろんな物件を調べてます。すると明治維新、関東大震災、空襲、そういうどさくさに紛れて誰ものかわからなくなっい土地がだいぶあるみたいなんです。土地なんて、しっかり管理されていると思いきや、そうじゃないんですね。世の中、意外とテキトーなんですよ(笑)。
――不登校についてはどう思われていますか?
うーん、迷うな~。考えというか、気持ちとしては半分、半分かな。
気持ちの半分は、学校で訓練することも必要だな、と。学校の目的は辛抱の訓練をさせることだと思うんです。毎日、決められた時間に決められた場所に行き、人と同じことをする。その訓練が社会生活を営むうえで意味があるんじゃないか、と。
一方、残りの半分の気持ちとしては、その訓練って全員が受ける必要はないんじゃないか、と。だって勉強だけなら家でやればいいし、それ以外のことは、その人が必要だと思ったときに学べばいいことじゃないか、と。それに「毎日同じ時間に同じ場所へ」っていうのが、オレが一番ダメなことだから(笑)。
昔、予備校のアルバイトをしていたときも「朝○○時出社」というのがムリで、すっごい叱られたあげくにクビになっちゃった(笑)。あのときは、「明日はバイトだ」って思うだけで、前の晩から気が重くなって、どんどん気持ちが追いつめられちゃってました。オレ、追いつめられて、どうしようもなくなると寝ちゃうんだ(笑)。
学校は、工場と兵隊につなげるための社会システムですが、もうそれはいまの社会にはあってないんじゃないでしょうか。ただ、実際に自分や自分の子どもが不登校やひきこもりになったらどう感じるか、それはそのときじゃないとわからないと思います。
――私は「やりがいのある仕事」とか「自分探し」っていうメッセージがすごくキライです。
「やりがい」や「自分探し」、あと「自分らしくありたい」っていうメッセージは、若い人によっては、シャレにならんぐらいの脅迫観念になっていますね。だいたい「探す」っていうのは、なにを探すかがわかってるから見つかるわけであって、わかんないものを探しても見るかわけがないんです。
「やりがいがある仕事を見つけよう」というようなメッセージは、どこかに自分の希望を叶えてくれる仕事や状況があるかのような幻想を与えています。だからなのか、仕事を始めてすぐに「この仕事に向いてない」とか「もう辞めたい」という相談をたくさん受けてきました。相談を受けるたびに「これって恋愛相談と同じだな」と。
というのも「絶対に彼氏と別れる」とかって言いながら相談を持ちかけてきた人が、数日後にはラブラブに戻っていたりするでしょ。もう、まじめに聞くだけバカバカしい(笑)。仕事も同じで「絶対に辞める」って言ってた人が、急にイキイキ働きだすこともよくあります。
戦時中や戦後しばらくは、顔も見ずに結婚することがよくありました。いまの感覚からすればうまくいくはずがないと思うし、うまくいかない夫婦もありました。でも年を取ってからも仲のいい夫婦もたくさんいます。逆に、すごくラブラブでへんな結婚式を挙げたヤツにかぎってすぐに別れる(笑)。長く付き合っていれば、疑問を持つこともあるし「ほかの人ならば」と思うこともあります。仕事も同じです。「もっとやりがいを感じる仕事を」と考えるより、「こんなもんだろう」と思って、いまの仕事を楽しむ工夫をするほうがよっぽどいい。それと男性にかぎって言えば、いまでも長く会社に居続けたほうが得な仕組みになっています。
もちろん、どうしてもダメなときだってあります。でもそれは自分の想像外のことだと思うんです。頭で考えてるようなことは意外とガマンできるけど、思いがけないことが、ガマンできなかったりする。ある程度、仕事をしていれば、そのことがわかるようになるので「ダメなこと」がわかってから、具体的にその後のことを考えたほうがいいと思います。
つまるところ、そのとき楽しけりゃいいんです。さっきも言いましたが、楽しむこと、好きになることは客体的なものじゃなくて主体的なものです。工夫をして、いまの状況のなかで楽しめることを見つけていく。それが一番じゃないかと思っています。
――ありがとうございました。
2010年6月15日『不登校新聞』掲載分より



