『暗殺教室』作者の松井優征さんに聞く 弱いまま、逃げながら、どう生きるか【全文公開】
大ヒット漫画『暗殺教室』の作者で知られる漫画家・松井優征さん。現在は鎌倉幕府滅亡後の動乱のなか、「戦って死ぬ」とは反対の「逃げて生きる」ことを選んだ主人公を描いた『逃げ上手の若君』を連載中だ。松井さんに「弱いままでどう生きていくか、逃げながらどう生きていくか」を聞いたのは、不登校経験者のコミュニティ「不登校ラボ」メンバーの古川寛太さん。激務のなか、メールでのインタビューにお答えいただいた松井さんが語る「逃げる」ことの意味とは(※画像は『逃げ上手の若君』1巻表紙©松井優征/集英社)。
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――この度は取材を受けていただき、ありがとうございます。週刊連載中というご多忙のなか、なぜ私たちの取材を受けていただけたのでしょうか?
自分自身が学校生活から社会生活まで生きづらいと思う場面が多々あり、どこかで同じ思いをしている若い人たちのヒントになればと思い、受けさせていただきました。考え方ひとつ、生きる場所、人付き合いの選び方など一つ変えるだけで格段に気が楽に楽しくなることもあります。
――『不登校新聞』という名称(※)のためか、取材をお願いする際に身構えられてしまうこともあります。『不登校新聞』の取材依頼があった際、どう感じられましたか?(※初出媒体の名称です)
一目見てどういう媒体かわかるので、とてもいいと思います。売名目的や、暴利をむさぼる団体に思う人はいないでしょう(笑)。大仰な言葉、強そうな言葉、綺麗で格好いい言葉で飾り立てる相手より、ずっと信頼できると思います。
また、名前やコンセプトを一目見て、どういう読み方、どういう接し方をしたらいいかわかりやすい、というのは、漫画をつくるうえでも大事なことだと思います。
――松井さんの子ども・学生時代のことから聞かせてください。どのような子どもで、どのような学生時代をすごされてきたのでしょうか。
声が小さく、アドリブでパッと言葉が出てこないタイプなので、やはり子どものころはいじめられていました。みなと笑いのツボがちがったり、みなが楽しいと思うことを楽しめなかったり、教科書に書いてある通りのことを答えられなかったり。
もちろん友だちとすごす時間で楽しいものもいっぱいありましたが、メインは1人で遊ぶのが一番好きな子でした。歳をとるにつれ、いくつか人との摩擦を減らすやり方を憶えましたが、根本的には1人が好きなのは今も変わりません。
延々と思い悩むことが多かった
――私自身、不登校を機に、自分の居場所を失う経験をしました。松井さんは子ども時代に、うまくいかなかったことや、自分の弱さやダメさを自覚せざるを得ないような出来事はありましたか?
もともと非常にネガティブな人間なので、ふつうの人がすぐに忘れてしまうようなことで延々思い悩んだりはよくありました。人間関係においてはより顕著で、「答え方をまちがえた」「恥ずかしいことを言ってしまった」などは、いまだに思い出したりします。
――そうした経験は、『暗殺教室』のストーリーなど、松井さんが描く漫画に影響を与えているのでしょうか?
もちろん影響しています。「こいつだったら何をしてもいい」と思ったらどこまででも残酷になれる人、「こいつさえ我慢してくれていたらすべては丸く収まる」という犠牲を強いる人など、こちら側から見ているからこそ見える人の顔がたくさんあり、漏らさず観察するようにしていました。
自分への観察もしていて「自分だって一歩まちがえばいじめる側に行くかもしれない」という恐怖感など、人の心理を学ぶうえでとても大事な場だったと思います。余談ですがおすすめしたい教科は歴史で、人はどういうときに誰を攻撃する、という心理がよく学べ、人付き合いでの心理分析の補強になります。
――そもそも、なぜ漫画家になろうと思われたのでしょうか。非常に厳しい世界に飛び込むということには相当な勇気が必要だったのではないでしょうか?
家が音楽一家でそういう職業に抵抗がなかったこともありますが、一番はサラリーマンになる才能がなかったことです。自分から見ればサラリーマンのほうがずっと超能力者だと思います。空気を読み、人に合わせ、日常的な忍耐に耐え、安定してミスをしないことは自分にはとてもできないでしょう。もちろん漫画家を職業にするというのはギャンブルにもほどがあるので、全員におすすめはできませんが、ネットが発達した現在では、趣味で発表するだけでも人生を楽しく彩ってくれると思います。
――現在連載中の『逃げ上手の若君』は、実力はないが逃げることだけはうまい主人公の物語です。「逃げること」をテーマにしたのはなぜなのでしょうか?
「面白さ」とは「ギャップ」だとよく言われます。みなが戦うのが当たり前の歴史漫画のなかで1つだけ逃げる武将の漫画があれば、それはギャップになり、面白さにつながります。どんなジャンルでも、みなと同じことをしていてはギャップという面白さが生まれません。
みながホームランを狙うなら自分はバントを、みなが羊羹をつくるなら自分は漬物を、など、どこかに「逆張り」できるチャンスがないかといつも探しています。僕は人に合わせることができないゆえに生きづらいですが、裏を返せば人とちがうことしかできないということであり、それは「ギャップ」を生み出す原動力となっています。
――著書『ひらめき教室「弱者」のための仕事論』のなかで『暗殺教室』にふれて「暗殺は弱いなりに力を発揮できる方法」と語られています。「弱いなりに生きる」ことについてはどうお考えですか?
「自分には才能がない」というのが僕の生きるうえの基本戦略です。悲しいことに努力の才能すらありません。(反復練習するのも苦手なので絵がなかなか上手くならない)。
でも、才能弱者が才能強者に勝つ戦略を考えることはとても楽しいです。モーターボートで戦艦を沈めるにはどうしたらいいか。下手な絵でも皆の目を惹きつけるにはどういう見せ方にしたらいいか。
みなさんが生きていくうちにわかると思いますが、才能強者ほど隙があり、歩みが鈍る人が多いです。小中高で才能と自信にあふれていた人が、同窓会で会ってみると見る影もない、などもざらにあります。
強者たちの隙を突き、強者たちが選ばなかったルートを開発して追い抜き、先を行く。それが読み通りに成功したときはこのうえない快感です。どのジャンルも、分析してみればびっくりするほど多岐にわたる弱者戦略があり、それはおおよそ誰にでも実行可能な戦略です。ぜひ試してみてください。
戦う瞬間は
――『ひらめき教室「弱者」のための仕事論』では「25歳ごろまでに鼻をへし折られる経験が必要だ。壁に当たって自分のレベルに気づけるし、痛い目にあってこそ次が見える」ともおっしゃっています。戦うことを避けることができない局面とは、どのようなときでしょうか?
人生のどこかでは「お金を稼ぐためには何をするべきか」を考え、そのための努力をしなければならないときが来ます。不可能な事情がないかぎりは、「一生ずっと働かない」という選択は正しいとは言えません。
逆に言えば、その瞬間さえ見極め、その瞬間さえ戦うことができればいいと思います。それは戦い続けるということとはちがいます。一生死ぬほど戦い続けなければその職場にいられないというのであれば、すくなくとも僕にはその職場は向いていないので、選ばないように見極めます。
――戦わなければいけないとき、どのように戦えばよいのでしょうか?
戦う意志さえ手放さなければ、それは戦っていることになります。「またやってやる」と思いながら逃走し、潜伏することは、何ら悪いことではありません。
戦い方としては、とにかく退路と回復場所を確保しておくこと。仕事でたとえるなら、趣味の時間をしっかり取ること、有休を堂々と目いっぱい使うこと、医者に診断書を取ってあらかじめ自分のウィークポイントを上司に伝えておくことなど。僕自身の経験から言えば、とにかく空き時間は人と会わないこと。ストレスの大半は人と接することから来るので、それを最低限に減らす。できれば周囲の人にもそれを言って理解してもらう。退路と回復を確保しておけばおくほど、HPを保て、結果として戦える回数も増え、すこしずつ強靭になっていくはずです。職業上ほとんど誰とも会わなくてよく、キャリアを積んで人に媚びる必要もなくなった今の僕は、ほぼHPが減りません。
――最後に、弱いことに悩み、すぐに逃げ出してしまいたくなる気持ちを抱えたまま、今この瞬間を苦しみながら生きている子どもたちにメッセージをお願いします。
「逃げる」ということについて考えるとき、僕はいつもワクワクします。戦いを避けたい、ダメージを避けたい、楽して勝ちたい、裏をかいて勝ちたい。そんな逃げの発想を突き詰めると、いつのまにか相手を倒す攻めの発想に転じていたりします。逃げて一人になっているあいだにすべきこと、それは悲嘆でも絶望でもなく、分析です。自分を分析し相手を分析することは、逃げているときにこそできる、人生でもっとも貴重な時間です。自分にできること、相手のつけいる隙をよく見極め、来るべき「ここぞ」の戦いへの準備をしてください。心の一番奥底での闘志だけは絶対に捨てないでください。そうすれば、それ以外のすべてを逃げに費やしたとしても、楽しく人生を戦えると思います。
――ありがとうございました。(聞き手・古川寛太、茂手木涼岳)
【プロフィール】松井優征(まつい・ゆうせい)
1979年、埼玉県生まれ。2005年、週刊少年ジャンプにて『魔人探偵脳噛ネウロ』(全23巻)で連載開始。2012年より同誌にて連載を開始した『暗殺教室』(全21巻)はテレビアニメ化、実写映画化されるなど大きな人気を博す。2021年より同誌にて『逃げ上手の若君』を連載中。漫画のほかに、デザイナー・佐藤オオキ氏との対談本『ひらめき教室「弱者」のための仕事論』(集英社)がある。
(初出:不登校新聞605号(2023/7/1発行)。掲載内容は初出時のものであり、法律・制度・データなどは最新ではない場合があります)