自分の「隠れ発達障害」が40歳目前で発覚 不登校新聞代表にもあった「差別意識」【全文公開】
1年ほど前、40歳を目前にして自分が「大人の発達障害」だと発覚しました。発達障害は脳の特性の1つですが、その生きづらさゆえに不登校になる人もいます。また、私のように長いあいだ、自分の特性がわからなかった「隠れ発達障害」の人も多いでしょう。なぜか学校に合わない。それを解明する手段の1つに発達障害の診断はなりえます。今回は取材だけではわからなかった、診断を受けるなかで感じたことをお伝えしたいと思います。
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まず、そもそも発達障害とは何かを説明します。発達障害とは生まれつきの特性で「できること」と「できないこと」の能力に差が生じ、日常生活や仕事に困難をきたす障害のことを言います。発達障害は3種類に大別されます。ADHD(注意欠如・多動症)、ASD(自閉スペクトラム症)、LD(限局性学習症/学習障害)の3種類です(上記イメージ図参照)。代表的な症状を紹介すると、ADHDは「不注意」「落ち着きがない」など。ASDは、「周囲とのコミュニケーションが苦手」「こだわりが強い・変化が苦手」など。LDは知的発達の遅れがないにもかかわらず、読み書きや計算が苦手など。3種類のうち「これだけが当てはまる」という人は、ほとんどいません。障害の程度や出方は人それぞれちがうので、苦手なことも個々にちがいます。また、発達障害かそうでないかのちがいについても、あいまいな部分が多く、発達障害の「グレーゾーン」で悩んでいる方もいます。
新幹線に乗って コートを忘れる
以前から「私はADHDではないか」と思っていました。というのも、子どものころから忘れ物が多く、顕著なのは傘。雨の日、出かけて帰って来るあいだに傘を失くしてしまうのは、ほぼ毎度のこと。未使用のまま電車に傘を置き忘れたこともあります。ほかにもスマホや財布の忘れ物もたびたびありますし、新幹線のなかにコートを置き忘れて震えながら帰ったことも何度かあります。人からもらった本革の名刺入れをなくしてひどく怒られたこともありました。「気が散りやすい」という特性のせいか、日程調整をしくじってダブルブッキングもよくやらかします。
コロナ禍でストレス爆発
そんな私が診断を受けたきっかけは忘れ物ではなく、「洗濯機と乾燥機の音」が原因でした。コロナ禍でストレスがたまったせいか、突然ある日、洗濯機の音を聞くと耐えられないほどにイライラし、ときに大声を上げてしまうことがありました。これはマズイと思い、メンタルクリニックへ行きました。診察を重ねるうちに状況は改善していきましたが、洗濯機の音が気になることについては、医師から「発達障害ゆえの聴覚過敏かもしれない」という指摘を受けました。
驚きました。うっすらと発達障害の可能性を疑っていたものの、いざ、「かもしれない」と言われるとやはりショックだったからです。しかし、この機会に事実を知りたいと思い、検査を受けました。
モヤッとする 知能検査
検査は成育歴などを聞かれるヒアリングと、暗算や積み木問題などのテスト(知能検査)をしました。テストは臨床心理士と1対1で、問題用紙に書き込む形式ではなく、問題を口頭で聞かれ、口頭で答えます。このテストですが、受けているとすごくモヤッとします。どの問題に答えても、それが正解か不正解か教えてくれないからです。達成感もなく、言いようのない不安感に包まれます。身近な人がテストを受けていたら、終了後は気晴らしに話し相手になってあげてください。
結果待ちで緊張
初診から診断に至るまで、もっともつらかったのは「結果待ち」の時間でした。テストを受けてから診断が出るまでの数週間です。診断が下りる直前、すごく悩んだからです。正直に言いますと、もしも発達障害だとわかったら、いっしょに働く人はどう思うだろうか、と。「障害を持った人と働くのはたいへん」「代表は『ふつう』であってほしい」、そんなふうに思われないだろうか。かなり怖かったのが本音です。しかし、そんな恐怖心こそ差別意識の裏返しです。「発達障害の人と働くのはたいへんそう」「ふつうがいい」と私が思っていたから怖いのだ、と。自分に対してとても残念な気持ちになりました。
告知の日 感じた安堵
そんな私が診断を受けてどうだったのかと言えば、「よかった」でした。診断を受ける日は、とても緊張しました。いつもの病院へ行き、いつもの先生に会って、いただいた診断結果の書類を見る。でも、なんだか、ぜんぜんわからないのです。数字やコメントもいっぱい書いてあるけど、先生が何を言いたいのか。診察も後半になってきて、ようやく「ああ、私はADHDなんだ」とわかってきました。自分のこととなると緊張感や邪念がうずまいて、よく話が聞けなかったのです。しかし、説明を聞けば聞くほど安心してきました。これまでの忘れ物の多さや不注意などの失敗は「自分がポンコツだから」と卑屈に思っていましたが、ちがうのだ、と。診断が下りて改善したことはありませんが、気が晴れたのは事実です。
周囲の理解 やはりうれしく
その後、診断結果を周囲がこころよく受け取ってくれたのもありがたいことでした。前述したように、周囲にどう思われるかを私は気にしていましたが、不登校新聞社の社員はこころよく事態を受けいれてくれました。「何も苦労したことはなかったです」と言ってくれた人もいました。
診断を受けてわかったのは、発達障害だと知ることは「自分のトリセツ(取扱説明書)」を得ることかもしれません。もちろん「あなたは発達障害です」と告げられるのは、すくなからずショックを受けます。「何年も受けいれられなかった」という当事者の声も聞いてきました。それでも生きづらさの解消は「自分自身を正しく捉えることから」とも言われています。もし「私もADHDかも」と思う方がいましたら、上図の「代表的な症例」をご覧ください。こちらはチェックリストにもなっています。読んでもらい困っていたら医療機関にご相談ください。
発達障害 その偏見は
一方で、本人の特徴をすべて「発達障害」とくくってしまうことにも抵抗があります。発達障害の名前はひとり歩きしている感もありますし、偏見につながることもあります。実際、私も差別意識を持っていました。ただし、一定の知識は持っておく必要があり、困っていたりすれば受診してみるのもいいかもしれません。また、子どもが発達障害の疑いがあれば、いっそのこと親子で検査を受けてもいいかもしれません。
一点だけご注意ください。他人に「あなたには問題があるから発達障害の検査を受けなさい」と言うのはおやめください。そう指摘する人が発達障害について学び、理解を深めて、本人との関係を考え直すべきです。くり返しになりますが診断はレッテルを貼るためのものではありません。
最後に周囲の方にお願いしたい工夫がありますので、私の例をお伝えします。私はよく鍵を持たずに家を出てしまいます。そこで妻は鍵を目立つキーホルダーとともに玄関に吊るしてくれました(写真上参照)。これで鍵の忘れ物は劇的に減りました。支援や発達障害と難しい言葉を並べましたが、本人の目線になって考えれば、ちょっとしたことで本人は大助かりです。身近な人には当事者目線での支援を。ぜひお願いいたします。(代表・石井志昂)
【プロフィール】石井志昂(いしい・しこう)
1982年生まれ。中学校受験やいじめなどを理由に中学2年生から不登校。同年、フリースクールへ入会。19歳からNPO法人全国不登校新聞社に入社し不登校当事者や識者など400人以上に取材。現在は代表理事。著書に『フリースクールを考えたら最初に読む本』(主婦の友社)など。
(初出:不登校新聞594号(2023年1月15日発行)。掲載内容は初出当時のものであり、法律・制度・データなどは最新ではない場合があります)