4年間のブランクを経て、東京理科大に合格。不登校、中退でも特別視されないキズキ共育塾で、安心して勉強できた

#不登校#行き渋り#大学受験

不登校オンラインを運営する株式会社キズキでは、不登校のお子さんのための完全個別指導塾「キズキ共育塾」も運営しています。この記事では、キズキ共育塾の卒業生の体験談を紹介します。

卒業生プロフィール
新井優斗さん
■卒業校舎:池袋校
■生年月:2000年7月
■キズキ共育塾入会:2022年9月
■キズキ共育塾卒業:2023年3月
■進学先:東京理科大学 創域理工学部数理科学科(2025年度現在、3年生)
■他の合格校:芝浦工業大学、豊田工業大学

「不登校になってから、何もできないまま時間だけが過ぎていく」——そんな不安や焦りを抱えていませんか?新井優斗さんも、同じように立ち止まっていました。

しかし、不登校や中退でも特別視されない、安心して通えるキズキ共育塾に出会い、週1回の通塾から学習習慣を取り戻します。やがて模試では数学偏差値+10を達成し、東京理科大学をはじめ3大学に合格しました。

「安心できる居場所があること」——それが、人生を動かす最初の一歩。新井さんの逆転合格ストーリーは、きっとあなたの参考になるはずです。

目次

1.中学までは、順風満帆。高校は小学生の頃から憧れだった第一志望校に合格

中学時代までは、特に大きな悩みはありませんでした。部活は陸上部で1,500m走をやっていて、勉強も自信がありました。

高校は、小学生くらいの頃から憧れていた、地元で有名な県立高校に進学しました。

高校受験の勉強は、小学校6年生から通い始めた近所の集団塾で、週に4〜5回通って行っていました。

その塾はすごく厳しいところでしたね。「覚えてこいよ」的な授業で、覚えていないと怒られるんです。

ストレスはありましたが、「憧れの高校」に毎年何十人も合格している塾なので、その意味では信頼していました。

2.高校で、部活のメンバーと折り合いが悪く、不登校を経て高2で中退

入学できた「憧れの高校」でも、中学に続いて陸上部に入りました。でもそこで、中心人物的な人と、その周囲の人たちと、折り合いが悪かったんです。

「性格が合わなくて、馴染めなかった」という感じでしょうか。次第に部活を休みがちになりました。

そこから、中心人物たちは「休みがちな僕」が気に入らなくなり、さらにいっそう厳しい態度で接してくるようになりました。

「部活の人」とはいえ、学校にいたら、部活以外でも顔を合わせます。「厳しい態度で接してくる人が、日常的にそばにいる生活」が続いて、連鎖的に学校全体が嫌になりました。

1年生の冬に、学校を休み始めました。1度休むと、登校再開のハードルが高くなって、そのまま登校できなくなりました。

そして2年生の秋、高校を中退しました。

高校時代の友達との付き合いは、今は全くありません。でも、寂しいとか不便とかはないですね。

3.親からは最初は「学校に行け!」と言われたが、長い時間をかけて理解してくれるように

高校を休み始めたとき、両親は、最初は信じられなかったと思います。

最初は、学校への「休む」という電話を、母親にしてもらっていたんです。母親からは、電話をかけ終えるたびに、「なんで行かないの」と言われていました。

他にも衝突はありました。「学校行け!」みたいなことを強めに言われましたし、朝に無理やり起こそうとしてきて、僕は行きたくないから抵抗する、みたいなこともしょっちゅうでした。

思い返すと、親には負担をかけていたと思います。ただ、両親は、長い時間をかけて理解してくれるようになりました。

4.4年くらい、特に何もしない生活が続く。勉強は、たまに再開できても継続できない

高校を休み始めてからは、4年くらい、何もしない生活が続きました。バイトもせず、塾にも通い始めず、外出もほとんどしませんでした。深夜1時に寝て朝10時に起きていました。

ただ「全く何もしない」ということでもなく、高卒認定試験に合格して、大学受験を目指すつもりでした。

勉強は、それまで苦戦したことはありませんでしたし、高校を休み始めてからも毎日勉強し続けたいと思っていたんです。

でも、一人だと勉強を継続できませんでした。勉強を習慣化できず、高認には合格せず、つまり大学受験もできませんでした。

勉強を始める、一人では継続できなくてやめる、勉強できない期間が続いて焦りが大きくなって勉強を始める、というサイクルを3か月周期で繰り返していました。

同級生と顔を合わせるのが嫌で、家の外にはほとんど出ませんでした。高校が家からすごく近かったので、バッタリ会う可能性が高かったんです。

実際に、たまに外出したときに同級生と鉢合わせしそうになって、急いで引き返したこともあります。

5.20歳のとき、通信制高校に編入。単位取得は順調で、2年で卒業

4年ほどの「特には、何もしない生活」が過ぎた20歳のとき、両親と話して「高卒資格を取っておこう」となりました。「卒業しやすそう」ということで通信制高校に編入することにしました。

通信制高校は、いくつか調べた中で「信用できそうなところ」を選びました。見学にも行って、話をして、「ここならよさそうだな」と思って編入を決めました。

編入後は、月に2回・1回あたり半日くらい登校しました。

登校した日でも同級生たちとは全く話さず、友達もできませんでした。ただ、単位取得は順調で、2年間で卒業することができました。

6.高校の勉強はできても、大学受験の勉強はできないまま

「一人では勉強が継続できなかった」のに、通信制高校で単位を取得することはできました。自分でも「なんでだろう」と疑問に思っていました。

今思うと、当時は「中長期的な目標のための、自主的な勉強が苦手だった」ということなのかもしれません。

短期的な目的のためには、いい評価がほしい(いい評価がすぐに出る)から頑張れたんです。

短期的な目標とは、通信制高校では「単位取得のためのレポート」で、それまでの学校では授業や宿題などですね。

ただやはり、「中長期な目的である、大学受験」に向けての勉強は、通信制高校に編入してからも継続できないままでした。

7.不登校、中退でも特別視されない塾——それがキズキ共育塾だった

21歳のとき(通信制高校の編入2年目)には、受験勉強に身が入らない現状に焦りがありました。

そこで、「高校不登校、中退から大学受験を目指す生徒に理解のある塾」をネットで探して、キズキ共育塾を見つけて、資料請求をしました。

「普通の塾」では、自分の経歴を話すのが恥ずかしかったんですが、キズキ共育塾なら、自分のような人間でも悪目立ちしないんじゃないかと思ったんです。

8.キズキでは、僕の経歴は特別じゃなかった。ここなら安心して通えると思って入会

普通の塾なら、自分の経歴を話したら「えっ」となって、塾の人がフリーズするかもしれないと思っていました。

でも、キズキ共育塾では、最初の面談で、自分の経歴への特別なリアクションがありませんでした。

「ここでは、自分のような経歴の人が珍しくない。プレッシャーが少なく、安心して通える」と思い、入会を決めました。

親からは反対もなく、すんなりOKになりました。

9.キズキの授業は、わからないことがあっても叱責されないし、恥ずかしくない。だから、遠慮なく質問できる

初回の授業で印象に残っているのは、わからないところがあっても、叱責されることもないし、とても親切に教えてくれたことです。

そのおかげで、「わからないところを遠慮なく聞けるな」と思いました。

また、基本的には、オンライン授業は利用せずに、池袋校に通塾して授業を受けていました。

両親から「自宅以外で人と関われる場所を作ったほうがいい。視野が広がる」といったアドバイスがあったんです。

ほとんど外出していなかった僕は、最初のうちは電車で30分くらいかけて通うだけで、心も体もかなり疲れました。あと、池袋は人が多いことにもびっくりしましたね。ただ、だんだん慣れていきました。

最終的には、オンライン授業を利用したのは、ちょっとした体調不良か何かのときの、1〜2回だけでした。

10.週に1・2回通い、勉強する習慣がついて偏差値が一気に+10

キズキ共育塾では、最初は数学と英語を受講しました。

キズキ共育塾入会前にも、数学だけは抵抗が少なかったので、他の教科と比べれば勉強していました。

ただ、英語は全然勉強していなかったので、単語もかなり忘れていました。最初はだいぶ苦労しましたね。高1くらいの内容から学び直しました。

通信制高校と並行して、高認も受験しました。対策は自身で行って、結構すんなり合格できました。免除科目(※)もいくつかありました。(※編注:高卒認定試験では、高校で単位を取得している科目の受験が免除されることがあります)

キズキ共育塾に入会してからも、「受験勉強」という意味では、勉強への気持ちは変わらず、好きにはなれませんでした。

ただ、週に1回か2回、塾に行って勉強するという習慣がついたことで、成績が伸びていきました。具体的には、駿台の記述模試で、数学の偏差値が10上がりました。

ずっと自宅にいると、誰にも強制されることがないので勉強できません。週に1回だけでも、それまでと全く違いましたね。

受験勉強としては、「特別なこと」はせずに、スタンダードなことをやっていたと思います。例えば、数学は青チャートを利用していました。

11.講師は、受験情報だけでなく、志望校の就職先の傾向まで一緒に調べてくれた

元々は医学部に行きたいと思っていたんです。ただ、勉強をろくに続けていなかったので、今となっては現実的ではないなと思い、「数学について学ぶ学部」を志望することにしました。昔から数学が好きで得意だったからです。

小学校5年生のときに、僕よりも数学が得意なクラスメイトがいました。彼は、その年齢で高校生や大学生の数学を勉強していました。

僕は、その彼に習って、中学校の数学を勉強していたんです。高校受験のときも、数学は得点源でしたね。

実際に受験する大学については、キズキ共育塾の先生と相談しました。僕は結構「大学卒業後の就職」のことも気にしていたんです。

そうしたら、先生が大学ごとの就職先の傾向についていろいろ話してくれて、受験校を絞り込むことができました。

また、「『勉強したいことを学べる大学・学部』も大切だけど、『大学で勉強したいことを見つけること』も大事だよ、というアドバイスももらいました(それも検討した上で、数学を学ぶ大学・学部にしました)。

12.キズキは、宿題をやらなくても怒られない。でも、やるようになって精神が安定した

キズキ共育塾には、一番多いときには、週に3回分散して通っていました。英語と数学はずっと受講していました。

宿題は、最初のうちはやる気が出なかったので、取り組まないことが多かったんです。キズキ共育塾では、宿題をやらなくても怒られません。ただ、約束を破った感じがして申し訳なかったのでやるようになっていきました。

結果、勉強を全くやらない日が減ったことで、精神的に安定できました。

物理は、冬期講習の短期間だけ受講しました。講師は、教えるのがとても上手かったです。共通テスト直前の2週間で、手をつけていなかった分野の速習を手伝ってもらい、受験でも無事得点源にできました。

13.念願の東京理科大学に大逆転合格!

最終的には、東京理科大学と、芝浦工業大学と、豊田工業大学に合格しました。東京理科大は無理だと思っていたので、合格できてとても嬉しかったです。

東京理科大学は、受験科目が数学と英語だけで、かつ数学の配点が大きかったんです。

東京理科大学で数学を学ぶ学科には、数学科と数理科学科があります。

先に数学科を受験して不合格だったこともあって、数理科学科の合格はいっそう嬉しかったです。

そして実際に進学したのも、東京理科大学です。

14.「もう1浪」ではなく「進学」を——冷静な助言が人生を変えた

一連の大学合格後に、数学の講師に特にお世話になりました。

この年は、共通テストの結果が、思ったよりもよかったんです。なので、「もう1年浪人して、もっといい大学を目指したい」と相談したんです。

そうしたら、「絶対に、今年受かった大学に行った方がいいよ」と言われました。振り返るとこれは、僕の性格などを理解した、とても冷静なアドバイスでした。

共通テストの点がよかったのは嬉しかったですし、自信にもなりました。ただ、それだけで受験勉強をまた1年間継続するのは、僕にとっては厳しかったと思います。

1年浪人したからといって、合格する保証はありません。また、浪人したら、年齢がさらに1つ上がります。

「あのままさらに浪人していたら、自分はどうなっていたのか」と考えるとゾッとします。

15.理科大で数学を学ぶ——仲間と切磋琢磨して広がる視野

大学では、数学について学んでいます。

1・2年生では、極限・微積分、線形代数・行列などを、高校までよりももっと詳しく学びます。大学数学の抽象的なことを学ぶために重要となる基礎の部分です。

特に数学と他の学部を分ける要素になるのは「集合と位相」という分野です。微積分なども関係する、抽象的な数学の対象を扱う上で大事になる分野です。

授業以外に、「数学研究会」という部活…というかサークルというか自主ゼミというか…でも、学んでいます。大学数学の授業では扱わない分野の数学の本を、みんなで回し読みをして研究する会です。勉強を、先輩が見てくれるんです。自分が気づいていなかった視点での学びを得られます。

「受験勉強」を嫌いだった僕は今、数学の楽しさに目覚めました。将来的には、大学院に進学して数学の研究をしたいと考えてます。

16.大学ではぼっちを懸念していたが、友達は大勢できた。自分の経歴に「嫌なこと」を言ってくる人はいない

大学では、数学の勉強を通じて友達が増えてきています。日常的にやり取りする友達は、10人を超えています。

入学前は、「こんな年齢と経歴の自分は、ずっとぼっちなんじゃないか」と心配していたんですが、そんなことはありませんでした。意外と周りは気にしないんですよね。

…実は、年齢や経歴について、周りに話すつもりはなかったんです。でもあるとき、学生証に書かれてる生年月日を見られて、話すことになりました。ただ、それをネタに「嫌なこと」を言ってくる人はいません。だからこその友達なのかなと思います。

とはいえ、大学では、自分よりも年上の同期はあまりいません。今でも、年齢や経歴は「積極的に、自分のことを話すこと」をためらう理由にもなっています。なので、もっと早く塾を探していればよかったなと後悔することは、正直ありますね。

17.キズキ共育塾は、安心できる場所。安心が、脱却への第一歩

キズキ共育塾のおかげで、僕はいま大学に通えています。
キズキ共育塾は、僕にとって、安心できる場所でした。安心が一番です。

キズキ共育塾では、できていないことがあっても怒られません。
キズキ共育塾では、特殊な経歴でも悪目立ちしません。

普通の塾だったら、経歴について変な目で見られたり、実際には周りは気にしていなくても自分の方で気にしたりで、通えなくなっていたのではないかと思います。

そして今僕は、キズキ共育塾の講師として働いています。まさか自分が教える立場になるとは想像していませんでした。

18.少しでも「変わりたい」と思うなら、無料面談だけでも利用してみては

少しでも変わりたいと思ったら、キズキ共育塾の無料面談だけでも利用してみるといいと思います。

不登校や学校中退を経験した人は、人との繋がりが薄くなりがちです。周りの状況が見えないと、不安が増幅されていくと思います。

そういうとき、家族だけでなく、社会との繋がりを持つというのが大事です。

キズキ共育塾に来ることは、その第一歩として最適なんじゃないかと思います。

キズキ共育塾は、一人ひとりに合わせた授業をしてくれます。できることが、少しずつ増えていきます。自信も少しずつついてきて、不安もなくなっていきます。

「校舎に通えるか」が通えるか不安な人は、オンライン授業を試してみるといいかもしれません。

19.親が見捨てることなく応援してくれたおかげ

両親には、負担をかけたと思います。でも、僕の大学受験をずっと応援してくれていました。

高校に通えなくなった時期から大学に入るまで、もっと言えば今でも、僕を見捨てることなく、家に居させてくれているのはすごくありがたいことだと思います。

僕のことを理解をしてくれずにずっと責め続けるような感じだったら、勉強もできなかったでしょうし、大学にも行けていなかったと思います。

今の自分があるのは、キズキ共育塾と両親のおかげです。

※画像は全てイメージです。
※初出:2025年12月4日キズキ共育塾ウェブサイト

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