不登校と中退を隠し続けた私が、自分の過去を公表できた転機

#不登校#行き渋り

不登校や高校中退の過去を隠し続けていた立沢さんが、自分の過去を公表できるようになった大きな転機。それは、中川翔子さんが主催したイベント「卒業式をもう一度」への参加でした。

多様な人たちと関わる中で「人間に正解はない」と気づき、ファンからの応援を原動力に自信を取り戻していきました。そして元々決めていた「25歳までの引退」という大きな決断と、看護の専門学校に通う現在の生活に迫ります。

 

立沢萌々瑚

過去を公表できた大きなきっかけ

芸能界デビュー後も、不登校や高校中退の過去は、隠していました。

公表できるようになったきっかけは、中川翔子さんが主催した「卒業式をもう一度(※)」というイベントへの参加がすごく大きかったです。

※編注:2025年3月に開催された、不登校や病気などで卒業式に参加できなかった人たちに向けた、タレントの中川翔子さんらが企画した「卒業式」のこと。立沢さんも参加されました。

(「卒業式をもう一度」に参加しようと思ったこと自体、)上京していろんな人と関わりながら、自信も身につけながら過ごすうちに、「人間に正解はないし、不登校も悪いことではないな」と思えるようになっていったんだと思います。

また、芸能のお仕事では、舞台に立つ機会もたくさんありました。舞台での「もしセリフを忘れたとしても舞台は続く」という経験を経て、思い切りがよくなった、ということもあると思いました。

芸能界引退と看護への新たな道

私自身芸能のお仕事をすごく楽しんでいましたし、ファンの方から応援していただいたことで「私は生きててよかったんだな」とすごく思えました。

ただ私は後ろ盾もない人間ですし、芸能界は不安定な世界です。安定した人生を送るために、元々「25歳まで」という期限を決めて活動していました。

関連記事

登録から30日間無料!ゲーム依存、昼夜逆転、勉強の話、子どもにしてもいいの…?疑問への「答え」が見つかるウェブメディア 不登校オンライン お試し購読はこちら