不登校やひきこもりを経験した芸能人30人を紹介~出典リンクつき〜

#不登校#行き渋り#有名人#芸能人

お子さんが不登校やひきこもりの状態にあると、お子さんの今とこれからについて、そして保護者としてどう子どもに接するべきかについて、お悩みや疑問が尽きないかもしれません。

さて、テレビやネットで活躍する芸能人、有名人などの方々にも、不登校やひきこもりを経験し、現在の道にたどり着いた方もたくさんいらっしゃいます。

この記事では、不登校やひきこもりを経験し、現在は芸能界などで活躍する著名人とその言葉を、ご本人の著書やインタビューなどの出典リンクとともに紹介します(※公的な定義での「不登校」や「ひきこもり」に当てはまらない可能性もあります)

出典からの引用は、あえて短めにとどめています。出典元の書籍、インタビュー、動画などをご覧いただくことで、お子さんの不登校についての示唆が得られるかもしれません。ぜひ、ご覧ください。

※この記事は随時更新予定です。

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編集

不登校オンライン編集部

1.大森元貴さん(Mrs. GREEN APPLE)

人気ロックバンドMrs. GREEN APPLEのボーカル・ギターを務める大森元貴(おおもり・もとき)さんも、中学時代は不登校だったとインタビューなどで語っています。

ラジオ番組では折にふれてその体験を語り、同じように苦しむリスナーを励ましています。

僕もやっぱり不登校経験あるんで、1回休んじゃうとさあ、段々行き辛くなっちゃうよね 

教室じゃない別室とかでさ、勉強する日もあったりおれはした訳

わたしは自信を持ちたいんだよねって思ってる内は絶対!大丈夫だから

自分に自信付けて、行動しちゃった人が勝ちだから本当に!

■出典紹介:
Mrs. GREEN APPLE、主題歌を務める映画『ラーゲリより愛を込めて』が上映中。新曲「Soranji」について大森元貴が語る(音楽と人)
『生徒の今』自分を変えたい!生徒へエール!!(SCHOOL OF LOCK)

2.齋藤飛鳥さん(元乃木坂46)

乃木坂46の元メンバーで、現在は俳優として活躍中の齋藤飛鳥(さいとう・あすか)さん。インタビューにて、小学校高学年での不登校について述べています。

暴力を振るわれるようなとてつもないいじめに遭ったわけではありません。本当に些細なものですが、チクチクした言葉や目線、態度が気になってしまって。それに対して自分の力ではどうすることもできず。そこから逃げることが一番自分を守れることだと思い、学校から逃げました

(インタビューの地の文で)小学校高学年の頃には不登校になる

■出典紹介:
自分のいる環境が合わないなら逃げていい――齋藤飛鳥が学生生活で見つけた「大切な場所」 #今つらいあなたへ(Yahoo!ニュース)

3.あいみょんさん(シンガーソングライター)

シンガーソングライターとして人気を博しているあいみょんさんも、Webメディアでの取材で高校時代に不登校だったことを語っています。

学校に行っても保健室にばかりいる。「出席日数が足りません」と家に電話がかかってくる。クラスメイトは首をかしげる。だって、別にいじめがあるわけじゃないのに。
なんとなく、教室にいない子。それが、あいみょんだった

勉強に意味が見いだせず、友人関係にも悩む中で欠席や保健室登校が増えました。

(友達が)減って、しゃべることが無くなって、高校の時はどっちかっていうと暗かったと思います。それで一回高校を辞めてるので

その後別の高校に編入するもそれまでの友達とのつながりもなくなり、孤独を感じていたといいます。

一人になってみてほんまに一番大事な友達が誰かも分かりましたし、すごい良い期間やったんやなって思いますよ。「当たり前に周りに人がいる」と思ってたらあかんなというか。さみしい時もそれは人間なので、喜怒哀楽を毎日爆発させながら生きてるなって思います

■出典紹介:
「友だち」ってどこまでが「友だち」なの?高校をやめてわかったこと (BuzzFeed Japan) 
あいみょん 23歳 「一人」の期間が教えてくれたこと(YouTube)

4.指原莉乃さん(元AKB48・HKT48)

逆転力 ~ピンチを待て~

逆転力 ~ピンチを待て~

元AKB48・HKT48の指原莉乃(さしはら・りの)さんもいじめがきっかけで不登校になりました。

著書『逆転力 ~ピンチを待て~』では、不登校になったきっかけについてこう語っています。

中学2年の頃、軽いイジメにあいました。体育会系の女子のグループから、意味もなく笑われたり、私に聞こえるように悪口を言われたり、わざと無視されたり。
中学3年になってからは、どんどんエスカレートして。ある日、家のポストに「もう学校に来ないでください」という手紙が入っていたんです。
手紙までくれるなんて、よっぽど私のことが嫌いなんだなあと思いました。
もう面倒くさいな。と思っちゃいました。もう疲れちゃったな、と。
学校に行くのがイヤになって、不登校になりました

そんなときネットの世界と出会い、「世界って学校だけじゃない。大分(※おおいた。指原さんの地元)だけじゃない」と思えたことで気持ちが楽になり、誰も自分のことを知らない東京に行ってアイドルになるという夢に挑む原動力になったといいます。

今自分のいる場所が苦しかったり、生きづらかったりしたら、別の世界に移っちゃえばいい。そこにずっとはいられないとしても、こことは別の場所が自分にはあるんだって思えれば、気持ちがラクになる

■出典紹介:
逆転力 ~ピンチを待て~(講談社)

5.あのさん(タレント、歌手)

歌手やタレントとして活躍する、あのさん。学生時代はいじめにあい、別室登校を余儀なくされていました。高校もすぐに退学し、ひきこもっていたといいます。

(引きこもりだった時期について)ぼくは、学生時代ですね。いじめがあったんで結構。そのいじめが、軽いいじりとかじゃなくて、ハードだったので。

不登校だったんで、なにもしてなかったです。 ずっと部屋にいました。集団でいるのが「無理だな」って思って、高校に入ってすぐに学校を辞めてしまったんです。ずっと、周りとは馴染めなかったですね。自分の部屋ぐらいしか居場所はありませんでした。 ただ、このままじゃどんどんダメになっていくなと思ってバイトを始めたんです

ただ、普通に生きられる社会性と居場所が欲しかった。 学校に行ってなかったから、どこか学校以外の場所をなんでもいいから見つけなきゃって思ったんです。それで、軽い気持ちでスーパーのレジ打ちのバイトを始めました

その後居場所を求めてSNSで募集していたアイドルグループ「ゆるめるモ!」のメンバーに応募したことをきっかけに芸能界で活躍することになります。

アイドルとしての活動を始めてからも、人と関わることが苦手だと感じることもあったそうですが、新たな居場所についてこう語っています。

探してばかりいるんじゃなくて、もしかしたら自分で居場所って作れるかもしれないって少しだけ思えるようになりました。まだ、そんなに強い言葉では言えないけれど、そんな居場所をこれからはひとつひとつ作っていきたいなって思っています

■出典紹介:
あのちゃん、「哲学」や「いじめ」について語る。[まなびノート](NHK)
人気アイドルあのちゃん(ゆるめるモ!)インタビュー 「社会の中で生きられない。ぼくが見つける居場所」(フロムエーしよ!!)

6.中川翔子さん(タレント、歌手)

死ぬんじゃねーぞ!!いじめられている君はゼッタイ悪くない

死ぬんじゃねーぞ!!いじめられている君はゼッタイ悪くない

タレントとして活躍する中川翔子(なかがわ・しょうこ)さんは、著書『死ぬんじゃねーぞ!!いじめられている君はゼッタイ悪くない』でいじめにあい不登校になったことを綴っています。

当初は気丈に振る舞い、一人で耐えていましたが、教員にも裏切られたことがきっかけになり、不登校になりました。

いちばんわたしがやりたくなかったことは、人前で泣いたり、いじめに屈して学校を休んだりすることでした。
でも、卒業まであとわずかという時期に、これがきっかけで、わたしは一切学校に行かなくなってしまいました

十七歳のころ、「もういやだ!」「もう死ぬ」というスイッチが入ってしまったことがありました。そのときは、いじめられた記憶のフラッシュバックに加えて、ほかにもいろいろ嫌なことが重なって、死ぬこと以外考えられない状態になっていたのだと思います

中学卒業後も苦しい日々が続いた中川さんですが、ずっとこのままでは嫌だ、との思いから芸能活動に挑戦、現在の活躍につながっています。

当時の原動力について、いじめに悩む子どもたちにメッセージを送っています。

いまいじめで苦しんでいる子どもたちには、「悩む時間は未来の夢の種を見つけるさなぎの時間」だと思ってほしいんです。これをやっていれば、これを聴いていれば、これを見ていれば、これをしているときは「いじめのつらさ」を考えないでいられるっていう時間を、なるべく増やしてみてほしい。わたしにとってはそれが、ゲームや漫画、絵を描くこと、音楽を聴くことでした

■出典紹介:
死ぬんじゃねーぞ!!いじめられている君はゼッタイ悪くない(文藝春秋)

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7.藤田ニコルさん(モデル)

 
 
 
 
 
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藤田ニコル(@2525nicole2)がシェアした投稿

モデルの藤田ニコルさんは、自身のインスタグラムで、不登校の経験について触れています。

私は中学は不登校気味で学校に溶け込めず
いじめにあったり残念ながら楽しいって
思えない中学生活でした。

でも高校に行ってみたら同じ悩みを抱えてる人、
だったり同じ趣味を持つ人だったり少しどこか
似てるような子たちがいて、自然と学校っていう
場所に魔法にかけられたように溶け込んでいました。

■出典紹介:
2525nicole2(Instagram)

8.佐倉綾音さん(声優)

「僕のヒーローアカデミア」の麗日お茶子、「【推しの子】」の鮫島アビ子などを演じている、声優の佐倉綾音(さくら・あやね)さん。不登校の経験があることを、様々な媒体で話しています。

ここでは、TBSラジオによる公式のトーク書き起こしを紹介します。不登校だった時代にラジオや安住紳一郎さんに救われたと話しています(詳細はリンク先をご覧ください)。

私、もう既にいろんな場所で話しているので明るいトーンでしゃべっていきたいんですけれども。不登校だったんですよね。

しかも、かなり筋金入りの。小学校高学年の頃から学校に行かなくなり。で、中学校はほぼ丸々、あまり登校できず。で、そのあたりで仕事を始めることができて、少し社会に対して前向きになった時期だったので、高校は頑張って行っていたんですけれども。高校も「ここまで休んだらもう卒業できないよ」っていうギリギリのラインを攻めて。「あと1遅刻したら卒業できません」っていうところまで攻めて、休んで。

■出典紹介:
おすすめPodcast・佐倉綾音の日曜天国「不登校時代に安住紳一郎からもらった勇気」(TBSラジオ)

9.キンタロー。さん(お笑い芸人)

AKB48の前田敦子さんのモノマネでブレイクを果たしたお笑い芸人のキンタロー。さんも、中学生の頃、不登校を経験しました。

仲良くしていたグループのメンバーからある日仲間外れにされたことがきっかけだったそうです。

最初は体がだるいとか頭が痛いとかそんなことから始まりました。1日休んでは登校し、また休んで。少しずつ休む日が増えて、親には「休みすぎだ」と言われたけれど、部活動にもそのグループの友人がいたから逃げ場がなかった。1週間くらい休んでしまうようになると、ずっと泣いたり、ぐるぐると考えこんでしまったりしました

インタビューの中では、その当時お笑い番組や雑誌、熱中していたトールペインティングが小さな逃げ場となっていたこと、いつもと変わらず明るく接してくれた母に支えられたことなどに触れています。

学校だけが人生ではありません。生きてさえいればいつか新たな方向性が出てくる。もし中学生だったら、高校生になればリセットできる。学校以外の場所で好きなことを見つけたら、そこで友達ができる。命を絶つという間違った選択さえしなければ、それでいいと思います

■出典紹介:
「楽しかったのは1学期だけ」キンタロー。さんが中学時代を語る理由(Withnews)

10.山之内すずさん(タレント、俳優)

モデルやタレント、俳優として活躍する山之内すず(やまのうち・すず)さんは、自らの育った環境のことを「母子家庭の末っ子で、家庭環境がやや複雑」だったと言います。

中学時代までは明るい自分を演じ、頑張っていたそうですが、家庭の事情で志望校ではない高校に進学することに。必要なお金は自身のアルバイトで賄うなど頑張っていましたが、ある日限界を迎えます。

1年生の2学期を迎える頃、ついに抑えていた感情が爆発してしまいました。「自分は恵まれていない」「自分は幸せになれない」。考えが頭から消えず、学校にも大好きだったバイトにも行けなくなってしまったのです。夜も眠れず、家にもいたくないので公園など屋外でずっと過ごしていました

その後、カットモデルをはじめ、SNSで発信活動を行ったことをきっかけに上京し、芸能活動を始めることになりました。

インタビューではその日々を振り返りこう語っています。

当時は、将来に希望が持てず、「明日なんか知らんし。ただ今日を生きるだけでいっぱいいっぱい」という気持ちを抱えていました。でも、乗り越えられたからこそ、大人になってからの今が楽しいですし、自分でも幸せをつかめるのだと信じられるようになったのです。「過去のつらかった自分、よく頑張った。生きていてくれてありがとう!」と感謝しています。

■出典紹介:
家庭環境に悩み、どん底の10代経験した山之内すずさん「生きてりゃ何とかなる」…STOP自殺 #しんどい君へ(読売新聞オンライン)

11.有村藍里さん(タレント、俳優)

女優の有村架純さんの姉でタレントとして活躍する有村藍里(ありむら・あいり)さん。ファッション誌のインタビューで中学時代不登校であったことを明かしています。

有村さんは幼い頃から人見知りに悩んでいました。中学入学後、上下関係の厳しい部活に入ったことや友人作りのタイミングを逃したことから学校にいづらくなったそうです。

「学校に行きたくないな……」と自然に思うようになり、中学1年生の夏をすぎたあたりから、朝は登校するふりをしてしばらくどこかで時間を潰し、家族が外出したタイミングを見計らって自宅に戻り、そのまま家で一日過ごす……というような生活を繰り返すようになったんです。
もちろん、まったく行かないと親にもバレてしまうと思ったので、週に1回くらいは学校に行くようにはしていました

そんなとき、家族の温かい言葉に救われたといいます。

母はいつも私に、 「あなたが笑顔で過ごせるならなんでもいい」と言ってくれています。当時から変わらずその言葉を私にかけ続けてくれるので、救われたこともありました

いつも明るい家族と過ごすことで、人見知りも改善していったといいます。

■出典紹介:
有村藍里「不登校になったあの頃…私が芸能界に入るまで」【連載第1回】 (with online)

12.千原ジュニアさん(お笑い芸人)

14歳

14歳

お笑い芸人の千原ジュニア(ちはら・ジュニア)さん。進学した中学校になじめず、不登校になり、自宅でもひきこもり生活を送っていました。

そのきっかけは「学校に行って、教室に入って、そこに座っている自分に対しての違和感」とだったといいます。

時々学校に行く。そうすると強烈な違和感を感じるから、行くのをやめて家にいる。でも、家にいても安心できるわけじゃない。どこにいても「ここじゃない」という感覚があって。学校よりは家、家の中なら自分の部屋……少しでも違和感の少ないほうに移動するうちに、自分の部屋でずっとテレビを見て、用事があれば外出する、みたいな生活になりました

中高一貫の学校だったため、高校はそのまま内部進学したものの、間もなく中退します。

そして兄のせいじさんが一緒にコンビを組もうと誘ってくれたことをきっかけに、自身が輝けるフィールドを見つけることになりました。

著書の『14歳』には部屋に閉じこもっていた苦しい胸の内や、周囲の大人への思い綴られています(※『14歳』は自伝的小説ですので、事実とは異なる可能性があります)。

お母さん。僕が僕のために走るべきレース場を見つけるまでもう少し待ってください。
お父さん。僕が僕のために進むべき道を見つけ出すまでもう少し我慢してください。
僕は今、それを一生懸命探しているところなんです。
僕は今、そのレース場に立った時に速く走れるように準備をしているところなんです

■出典紹介:
千原ジュニアさんが語る「14歳の僕は、学校に行かないことにした」(サンキュ!)
14歳(講談社)

13.伊集院光さん(タレント)

タレントの伊集院光(いじゅういん・ひかる)さんは、様々なメディアで、自身の不登校経験について語っています。

NHKのインタビューでは、次のように伝えています。

子ども時代の僕はわりと頻繁に不登校になる子だったので、家にいてNHK教育テレビをやたらと見ていました。(略)そうすると、例えば2年生のときに4年生向けの番組を見ることもあるので、久しぶりに学校へ行って授業を受けても「これもう知っている」と思ったりして、完全に教育が分断されませんでした。学校に行かないと学びが全部止まってしまうという恐怖がなかったのは、教育テレビのおかげで、めちゃくちゃためになったと思っています。

■出典紹介:
伊集院 光|スペシャルインタビュー(NHK)

14.大東駿介さん(モデル・俳優)

モデルで俳優の大東駿介(だいとう・しゅんすけ)さんは、複雑な家庭環境から学校に行けなくなったことをテレビ番組やインタビューなどで語っています。

小学生の頃に両親が離婚。中学生になると母親は自宅に帰らなくなったといいます。その後1年ほど、大東さんは1人で生活。インタビューでは、食べるのにも事欠く当時の生活について語っています。

中学校は弁当が必要でしたが、母がいなくなってから持っていけなくなりました。昼食の時間を家に帰ってきて過ごしたり、先生から菓子パンをもらったりしました。先生の気持ちは本当にありがたかったのですが、気を使わせるのがしんどくなって、中2の途中から学校にも行かなくなりました

翌年叔母に引き取られ学校にも復帰、進学を果たしますが、自分の価値を見失い、死がよぎったこともあったといいます。そのような中で俳優への夢が大東さんを支えていました。

昔から映画が好きで、色々な人生を演じられる俳優という仕事に憧れていました。当時は、「自分の人生を生きなくて済む仕事」という感覚でしたが、その夢は僕を前向きにさせました。しんどい経験も、演技の役に立つと考えることができました

つらい経験もばねに、俳優の夢を叶えた大東さん。生きづらさを抱える子どもたちにメッセージを送っています。

死にたいくらい、つらくても、人には可能性が満ちあふれていると思います。どんどん新しい世界に出て、自分の居心地のいい場所を見つけてほしい

■出典紹介:
中学生で親に捨てられた大東駿介さん、救いは俳優になる夢「乗り越えた先の人生は楽しい」…STOP自殺 #しんどい君へ(読売新聞オンライン)

15.吉木りささん(タレント、歌手)

タレントの吉木りさ(よしき・りさ)さん。ご自身のブログで、中学時代の不登校について述べています。

(中学生の頃は)根暗な不登校少女真っ只中でした。笑

中学3年の頃には完全浮いてて
いつも一人行動。
学校に行けば保健室登校したりカウンセラー室に逃げてました。

吉木さんは、「今つらいいなぁ~と思っている」方に向けて、次のように述べています。

とりあえず外に出て
誰かに気持ちをぶちまけるのが1番だと思います。

■出典紹介:
吉木が中学の思春期の頃は(吉木りさオフィシャルブログ 「吉木日和」)

16.蒼井翔太さん(声優、歌手、俳優)

声優・歌手・舞台俳優として活躍する蒼井翔太(あおい・しょうた)さん。小中学生の頃に不登校を経験したことを自身のブログやインタビューで明かしています。

自分のこの声と、この見た目、この性格のせいでいじめにあい 小学校3年生から学校に行けなくなった。
小学校卒業までトータルで出席日数1ヶ月も無かったかもしれない。
中学も新学期は頑張って行ってみようと家から一歩でながらも2日もつづかない。
高校も当時やっていたテニスのスポーツ推薦で入っただけで、学校に行けない人間でした

自分の声が嫌いで喋ることも嫌。人生をあきらめたいとさえ思ったときに支えになったのは、理解のある両親とゲームやアニメ、アニソンでした。かつては嫌いだった「声」の仕事をしながら蒼井さんは不登校の日々をこう振り返ります。

生きていれば、何か行動を起こす、何かを始める勇気やきっかけ、理由は絶対にやってくるんだ。
何があっても一緒に生きていこう

■出典紹介:
Animelo Summer Live2019 〜STORY〜(蒼井翔太オフィシャルブログ『BLUE FEATHER』)

17.はるな愛さん(タレント)

「ミスインターナショナルクイーン2009(※)」で世界1位になった、タレントのはるな愛(はるな・あい)さん。中学生のときに、不登校を経験しています。

※「タイ王国パタヤ市にあるTIFFANY’S SHOWが主催する、世界最大規模のトランスウーマンたちによるビューティーコンテストの世界大会」のこと(参考:ミスインターナショナルクイーン 日本大会公式ページ

(インタビューの地の文で)中学でいじめにあい、不登校に。

そんなとき、知り合いがニューハーフのショーパブに連れて行ってくれたんです。きらびやかな舞台を見て、ああ、これだと思い、そこで働き始めました。

不登校についてではありませんが、LGBTQ「かもしれない」お子さんの保護者さんに向けて、はるなさんは次のようなメッセージを伝えています。

ご自分のお子さんがLGBTQかもしれないと気づいたら、話を聞いてあげてほしい。子どもは親を悲しませたくなくて話せないかもしれない。でも、優しく手を広げて、何度でも話を聞いて。そして、その子がしたいことを認め、選択できるよう、環境を整えてほしい。

別のインタビューでは、次のように述べています。

学校という狭い『箱』にとどまる必要はない。嫌なことがあったら他の場所に動いて。本当の世界はずっと広いよ

■出典紹介:
はるな愛さん「身近な人がLGBTQでも、何もしなくていいんです。普通に接すればいい」 (STORY [ストーリィ] オフィシャルサイト)
はるな愛さん「学校という狭い箱にとどまる必要はない」…STOP自殺 #しんどい君へ(読売新聞オンライン)

18.川田裕美さん(フリーアナウンサー)

フリーアナウンサーの川田裕美(かわた・ひろみ)さんも、高校時代は不登校でした。

小中学校の時は成績優秀な優等生で、必死の勉強の甲斐あって高校受験では地元の進学校に合格します。しかしそこで燃え尽きて、進学した高校では勉強についていけず、人間関係でも思い悩んだといいます。

高校2年の2学期から、週に1日は学校に行けない日が出てきました。休んだら、ますます授業についていけなくなるとわかっていました。でも、学校から逃げたくて、夜までカラオケなどで遊びました。翌朝は起きられず、昼まで寝ている日が増え、2日連続で休むこともありました

次第に学校に行けなくなり、進級が危ぶまれたことも。

ぎりぎり高3に進級しましたが、さらに休みがちになりました。学校に行っても、ますます周囲と壁を作るようになりました。「勉強ができない私に、誰も近寄りたくないんじゃないか」と思っていました

その後大学受験に向けて一念発起。周囲と比べるのではなく自分のペースで勉強し、国立大学への合格を果たしたと言います。

インタビューでは、弱い自分を認めることの大切さについて語っています。

今、成績などで苦しむ皆さんは、無理しすぎないで、できない自分も認めてあげてください。誰だって弱い部分があり、できないことがあるのは当たり前です。弱い自分を恥じて隠さなくていい。完璧な人間なんていません。弱さを見せて離れていく人はいないし、逆にたくさんの人が助けてくれます。それに気付いてほしいです

■出典紹介:
高校受験で燃え尽きた川田裕美さん、父の言葉で気がついた「1人じゃない」…STOP自殺 #しんどい君へ (読売新聞オンライン)

19.栗原類さん(モデル)

発達障害の僕が 輝ける場所を みつけられた理由

発達障害の僕が 輝ける場所を みつけられた理由

モデル・タレント・役者の栗原類(くりはら・るい)さん。5歳で渡米して5年生で日本に帰国しました。自伝『発達障害の僕が 輝ける場所を みつけられた理由』にて、中1のときの不登校について述べています。

僕は学校で軽い脅しをかけられていました。小学校時代にはそんな事はなくはじめての体験。それが衝撃的に怖かったせいか、2週間ほど登校拒否になってしまいました。

■出典紹介:
発達障害の僕が 輝ける場所を みつけられた理由(KADOKAWA)

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20.Fukase(深瀬慧)さん(SEKAI NO OWARI)

ROCKIN’ON JAPAN 2012年8月号

ROCKIN’ON JAPAN 2012年8月号

人気バンド、SEKAI NO OWARIのボーカルFukase(深瀬慧、ふかせ・さとし)さん。不登校や中退、心の病気に苦しんだといいます。

ROCKIN’ON JAPAN 2012年8月号』のインタビューで、次のように話しています。

登校拒否。なんだけど引き篭もりではないんですよ。外に出て散歩したりとか。本当になんかかぶれてたっていうか。ほんとに純粋に「なんでこんな天気いいのに学校なんか行かなきゃいけないんだ」と思うから、学校行かないで。でも昼休みに給食だけ食べに行ったりとか。でも髪の毛金髪だから、そのまま家に戻されちゃったりとかね

また、別のインタビューでは次のように話しています。

元々、僕は中学校にあんまり行ってなくて、高校も1年で中退して。で、アメリカンスクールに1年間通った後に2年間の予定でNYに留学するんですけど、まあちょっと、精神的な不安定もあったのか、パニックになって帰ってきちゃって。そこで精神病院に入院して……もう学歴も、得意なことも何にもない、そんな状態で自分に残ったものは、病気と、強い薬と、出られない――閉鎖された病棟っていう

その際に「もう自分は人生の終わりだ」と思ったことが後にバンド名にも由来しているそうです。その後、一念発起し予備校に通い進学を目指しましたが挫折し、音楽の道を歩みました。

自身の経験を振り返りこう語っています。

もう怖いものがなくなったっていうのがあって。一回終わっちゃってる、って思ってるんで、人生が。いまさら怖がるものもないし、守るものもいまのところ別にないわ、っていう状態から始めたんで、そういった強さっていうものはものすごくあると思うんですよ¥

勇気を出して、嫌なら逃げろって言いたい。逃げることはとても勇気がいることだし、すごくかっこ悪いと思うかもしれない。でも僕の場合、自分が先に進むためにその場から離れる必要があったこともたくさんありました。逃げるということは、必ずしもネガティブではないと思うんです

■出典紹介:
ROCKIN’ON JAPAN 2012年8月号(ロッキング・オン・ホールディングス)
INTERVIEW(1)――病気と、強い薬と、閉鎖された病棟(TOWER RECORDS)
「SEKAI NO OWARI」4年間の変化とは? 3人のおじさんがSaoriちゃんの子を… (AERA with Kid’s)

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21.小林直己さん(EXILE)

EXILEや三代目J SOUL BROTHERS from EXILE TRIBEのパフォーマーとして活躍している小林直己(こばやし・なおき、NAOKI)さんは、中学の頃から自分について思い悩み、高校では半年間学校に行けなかったといいます。

高校生になって、半年ほど学校に行かなかった時期があります。シンガー・ソングライターになりたくて、学校を辞めて音楽の道に進もうと思っていました

つらい日々を支えたのは音楽、そして兄の助言で街に出かけてみたこと。それによって学校だけではない世界を知り、将来への道が開けたのだそうです。

実際に外に出てみて景色が変わりました。それまでは高校が全てのように思っていましたが、音楽の専門学校がたくさんあって、体験入学もできる。行きたい学校もあったのですが、母から「シンガー・ソングライターを目指すなら、一般の高校生の気持ちも分かったほうがいい」と言われ、高校に戻ることにしました

インタビューではその経験を踏まえメッセージを送っています。

一歩踏み出して外に出てほしい。景色が変われば、自分の存在を受け止めてくれる場所があるかもしれない。居心地のいい場所は、自分でつかめるはずです

■出典紹介:
不登校だった三代目JSB・小林直己さんに兄「家にいるな、渋谷に行け」…STOP自殺 #しんどい君へ(読売新聞オンライン)
「#しんどい 君へ」 小林直己さんからメッセージ (読売新聞オンライン)

22.なだぎ武さん(お笑い芸人)

サナギ

サナギ

お笑い芸人や俳優として活躍されているなだぎ武(なだぎ・たけし)さん。不登校は経験していませんが、ひきこもりを経験しています。

なだぎさんは、元々人と関わることが苦手だったことに加え、中学時代は太っていたことを理由に凄惨ないじめにあっていました。

学校に行くと上履きが無いのは可愛いもので、お昼休みにお弁当を開けた途端、砂を放り込まれたこともあった。そっとお弁当箱を閉め、水場でひたすら水を飲み続けていた私に、イジメ軍団から追い討ちの水爆弾攻撃。小さな風船の中に水を入れ、ターゲットめがけて投げつける攻撃です

いじめはエスカレートし、暴力を受けたり、担任の教師からも体型を揶揄する替え歌を歌われるようになったと言います。

義務教育の間は、との思いで必死に学校に通っていましたが、高校には進学せず就職。しかし仕事もほどなくして退職し、3年間ひきこもり生活を送ります。

昼間はほとんど動かず腹痛で倒れ込み、部屋でじっとして過ごす。夜中になると部屋から抜け出し、買い込んだ食料を胃袋に放り込む。直ぐに体中がムズムズするような感覚に陥り、下剤を服用。暗く音のない部屋で一人、家族との会話もなく、そんな日々を過ごしていた

部屋からも出ず、ご飯も食べられなくなったなだぎさんですが、読書や一人旅などからさまざまな気付きを得て、お笑い芸人の道を歩み始めます。インタビューでは同じように苦しむ子どもたちにこう語りかけています。

ひきこもっていたとしても、好きなこともあるだろうし、趣味もあるだろうし、そうでなくても、なんか気になることもあると思うので。「ここに、この時代に、自分が生きた」という証を何かまき散らしてみるといい。人は意味があるから生まれてきているんであって、やっぱり、「あきらめるのはもったいないな」っていうのは思いますね

■出典紹介:
サナギ(ワニブックスオフィシャルサイト)
元ひきこもり芸人・なだぎ武氏インタビュー【前編】(不登校オンライン)
元ひきこもり芸人・なだぎ武氏インタビュー【後編】(不登校オンライン)

23.宮本亜門さん(演出家)

演出家の宮本亜門さんは、高校生のときに不登校、ひきこもりを経験しています。

インタビューでは、次のように話しています。

そもそも幼稚園から集団生活が苦手でした。学校へ行かなくなったのは高校2年生からで、ずっと苦しんでいました。次の人生があったとしても、学校には戻りたくないですね

約1年間、ひきこもったわけです。当時は本当につらかった。「学校へ行ってほしい」という両親や周囲の気持ちもわかるけど、行けない。そのうち、学校が怖くなり、同世代の眼が怖くなり、街を歩いただけでぞっとしてくる

■出典紹介:
宮本亜門 生まれ変わっても学校へ戻らない(不登校オンライン)

24.金原ひとみさん(作家)

2004年、20歳のときに『蛇にピアス』で芥川賞を受賞した、作家の金原ひとみ(かねはら・ひとみ)さん。幼稚園の頃から、「学校」というものが苦手でした。

〝子どもなのに、子どもが嫌いでした〟。 幼稚園の頃から休みがちで、小学4年の時には全く学校に行かなくなりました。いじめられていたわけでもなく、友達もいましたが、毎日同じ時間に同じ場所に行き、同じ人間と一緒にいることが苦しかったんですね。

小学6年のとき、父親の仕事の都合でサンフランシスコに移住し、1年後に帰国しました。

1年で帰国し中学に入学するも不登校は変わらず。父は私に何か熱中するものを残したかったのでしょう。中2の頃、担当する小説創作ゼミに私を参加させました。本格的に小説を書き始めたのはこの頃です。

学校に行くのがつらい方に向けては、次のように述べています。

学校に行くのがつらかったり、集団生活になじめなかったりしているならば、とにかく自分が息のしやすい場所を大切にしてほしいと思います。

■出典紹介:
【何かに夢中になることで自分の心の居場所を作る】金原ひとみさんの不登校克服(STORY [ストーリィ] オフィシャルサイト)
つらいことに直面したら、ごまかし続けていくのもいい…金原ひとみさん STOP自殺 #しんどい君へ(読売新聞オンライン)

25.山田ルイ53世さん(髭男爵)

ヒキコモリ漂流記

ヒキコモリ漂流記

「ルネッサーンス!!」のギャグで一世を風靡した、お笑いコンビ・髭男爵の山田ルイ53世さん。著書『ヒキコモリ漂流記』で、自身の不登校・引きこもりの経験を語っています。

中学受験に合格して、六甲学院中学校に通っていた山田さん。

朝5時に起きての長距離通学の負担。
友達との経済格差。
それを埋めるための猛勉強、睡眠不足。

そうした環境もありつつ、中学2年生のときに、山田さんは「ウンコを漏らしたこと」をきっかけに、不登校、そして6年間のひきこもりの生活に入っていきます。

中学二年の夏休み。(略)六年間という引きこもりの大記録に向かって、まさに僕が「助走」を始めたころ。あの時は、まさか自分が二十歳まで引きこもるなんて思ってもみなかった

山田さんは、そうした経験のことを、インタビューで次のように語っています。

僕的には、ひきこもっていた6年間は、ほんまに無駄やと、人生をドブに捨てたと思ってるんですよ。(略)無駄でええやんと。なんのプラスにもならない、ゼロの部分が人生にあってもええやんと

■出典紹介:
ヒキコモリ漂流記(マガジンハウス)
元ひきこもり芸人 山田ルイ53世氏インタビュー【第4回】(キズキ共育塾)

26.ゆうたろうさん(俳優)

ゆうたろうさん

ゆうたろうさん

多くの若者から支持を集める俳優・ゆうたろうさん。「学校へ行く意味がわからなくなった」ことで、不登校になりました。

中学1年生のなかばから学校へ行く意味がわからなくなり、不登校になりました。入学当初から、クラスになじめないと置いていかれるような空気感があったので、男子数人とグループ行動をしていたんです。ですが、移動教室や休憩時間など、つねにみんなで行動しなければいけなくて、なんとなくしんどさを感じるようになりました。

■出典紹介:
中1で不登校になった僕。母の「好きにしなさい」の言葉が救いに【全文公開】(不登校オンライン)

27.世古口凌さん(俳優)

『機界戦隊ゼンカイジャー』のステイシー役などで知られる、俳優の世古口凌さん。

インタビューで、不登校の経験があること、学校に行く理由がわからなかったことを明かしています。

僕は不登校の時期があったんですよ。親の都合で転勤を重ねていて、ある時「もう学校に行きたくない」って、なっちゃったんです。友達を作るのも嫌で、「学校に行く意味が分からない、勉強を何のためにするか意味が分からない、何故ならいずれ命も尽きてしまうから」って。

小学生のころ、学校に行く理由が分からなくて、ランドセルを5回ほど捨てました(笑)。学校に行かないで、地区センターに行って一人で漫画を読んでいたこともありました

■出典紹介:
世古口 凌 インタビュー(日本コロムビア)
世古口凌 孤独な学生時代を救ってくれた映画の世界(日経xwoman)

28.森絵都さん(作家)

森絵都さん

森絵都さん

「中学校は私にとって戦場でした」と語るのは、作家・森絵都(もり・えと)さん。(著書に、『カラフル』『DIVE!!』『風に舞いあがるビニールシート』『架空の球を追う』『アーモンド入りチョコレートのワルツ』など)

10代に向けた小説を数多く発表してきた森さんも、不登校を経験していました。

中学校は私にとって「戦場」でした。学校全体が荒れていて、校内でタバコを吸うことはあたりまえ。先輩がガラスを割っていたり、グラウンドをバイクでグルグル走り回っていたり、もうやりたい放題(笑)。いじめも多く、集団でのいじめやグループどうしの対立など揉めごとが絶えず、巻き込まれないように、どうにか生き延びようと必死でした。それでも巻き込まれてしまうこともあり、戦いの日々が嫌になって、だんだん学校へ行かなくなりました。

■出典紹介:
「私も不登校経験者でした」作家・森絵都がいま不登校をしている子どもに伝えたいこと(不登校オンライン)

29.清野桃々姫さん(BEYOOOOONDS)

ハロー!プロジェクトのアイドルグループ「BEYOOOOONDS」のメンバー・清野桃々姫(きよの・ももひめ)さん。自身のブログにて、不登校の経験を記しています。

私自身も別にぜんぜん上手くいってたわけではないし笑
ふつうに中学時代不登校だった時期もありました

とんとん拍子に楽しい状況にいない方に向けて、次のようなメッセージを発しています。

BEYOOOOONDSを見てる時だけは、全部やな事れて欲しいし、忘れさせられるようにがんばるし、
純粋に自分の中の子供な部分とかをだしてほしい!!!
全部受け止められる容量があります!!!

■出典紹介:
みんなに伝えたい(՞ . .՞) 清野桃々姫(BEYOOOOONDS 雨ノ森 川海オフィシャルブログ)

30.鈴木貴雄さん(UNISON SQUARE GARDEN)

鈴木貴雄さん

鈴木貴雄さん

バンドUNISON SQUARE GARDEN( ユニゾン・スクエア・ガーデン)のドラマー・鈴木貴雄(すずき・たかお)さん。YouTubeチャンネルにてPACAO(パカオ)名義でゲーム実況者としても活躍中です。

自身の家庭や不登校について、次のように語ります。

両親はいつも大声でケンカしていて、兄弟仲も悪い。そんな家族だったので、学校にも家にも居場所がなかったんです

塾が終わったあとに、親からもらった食事代で友だちとゲームセンターに入り浸るようになったんです。家と学校に居場所がなくなって、それ以外の場に居場所を求めていたんだと思います。だからゲームセンターで友人や店長さんとコミュニケーションしたり、一人でゲームに没頭することが 自分にとって大事な居場所でした。それ以来、学校へ行ったり行かなかったりをくり返すようになって、高校3年生のころはほとんど行かなくなっていました。

■出典紹介:
小学生からの受験ストレスが18歳で爆発したドラマーの苦悩〜UNISON SQUARE GARDEN・鈴木貴雄さん(PACAOさん)インタビュー(不登校オンライン)

不登校の相談先

お子さんの不登校、子育て、親子関係、進路などについて相談できるところはたくさんあります。下記の記事をぜひご覧ください。

最後に〜ぜひサポート団体にご相談ください〜

以上、不登校やひきこもり経験のある芸能人・有名人と、その出典を紹介しました。参考となったなら幸いです。

不登校やひきこもりのとらえ方は人それぞれです。しかし確実に言えることは、「不登校やひきこもりについてサポートを行う人たちがたくさんいる」ということです。

保護者だけ、家庭だけでお悩みを抱え込まず、ぜひ積極的にサポート団体に相談してみてください。

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