六本木高校刺傷事件から考える、心のケアの罠と真の寄り添い
10月30日、東京都港区の都立六本木高校の文化祭が行われるなかで事件は起きました。高校1年の女子生徒が同級生を刃物で刺し、殺人未遂容疑で逮捕。「殺した後に自分も死のうと考えた」「ネットで誹謗中傷されていた」という趣旨の加害者の供述は、社会の関心を集め、連日メディアやSNSで様々な意見が飛び交っています。
しかし、社会の目が「動機」や「背景」に集中する一方で、現場に取り残された子どもたちの「その後」の時間は長く続いていきます。
傷ついた子どもたちに対し、周囲の大人はどう向き合うべきなのか。9年間の不登校経験を持ち、2004年の佐世保小6女児同級生殺害事件の被害者の兄を描いた漫画『ひみつ―佐世保事件で妹を喪ったぼくの話―』(原作:川名壮志)の作者である棚園正一さんに話を聞いてきました。

「正解の対応」を探す大人たち
凄惨な事件が起きると、大人たちは「どうケアすべきか」という正解やマニュアルを急いで探そうとします。声をかけるべきか、そっとしておくべきか。棚園さんは、そこに大人が陥りがちな罠があると指摘します。
「心配になればなるほど、大人は『自分の対応』にばかり目が向いてしまいます。気を遣って腫れ物のように扱ってしまったり、『対処法』を決め込んでしまったりする。でも本当に大切なのは『その子自身がどういう気持ちでいるのか』を想像することではないでしょうか」
『ひみつ』の主人公である被害者の兄も、事件後に憔悴する父親を気遣って平静を装い続けた結果、高校進学後に限界を迎え、不登校になっています。大人が用意した「心のケア」の枠組みには収まらない、時間差で溢れ出す苦しみがあったからです。
テンプレの優しさが奪うもの
では、私たちはどう接すればいいのか。棚園さんは「一歩踏み込んで、その子がどういう気持ちなのかを考えること」の重要性を語る。
作中、主人公は大人たちから「つらいことがあったら話して」「無理しなくていいんだよ」と、優しくも定型的な言葉をかけられ、かえって孤独を深めていきます。それは「正しい対処法」であっても、当事者の心に寄り添うものではなかったからでしょう。
彼を救ったのは、同級生の「そのとき、キミはどうしていたの?」という、一人の人間としての彼を知ろうとする言葉でした。「かわいそうな遺族」というラベルを剥がし、当時の気持ちを想像して同じ目線に立とうとする姿勢こそが、凍りついた心を溶かしていきます。
憶測という名の二次被害
さらに現代において、傷ついた子どもたちを追い詰めるのがインターネット上の無責任な言葉です。
「憶測で語られること、一方的な決めつけをご家族が読んだらどう思うか。無責任な言葉が浴びせられるなかで、苦しみの沼に沈んでいってしまう人がいることも想像してほしい」(棚園さん)
事件をエンターテインメントのように消費するのではなく、当事者が抱える複雑な痛みに思いを馳せること。それこそが最悪の二次被害を防ぐ防波堤になります。
目の前にいる子どもの心へ
「不登校への向き合い方にも、全部に通じるものがある」と棚園さんは言いいます。学校へ行かせるための「解決策」を探る前に、まず「この子はいま、どんな気持ちなのか」に想像力を巡らせること。
六本木高校の生徒たちをはじめ、ショッキングな出来事に直面し、立ちすくんでいる子どもたちに必要なのは、大人の「完璧な対応マニュアル」ではありません。目の前にいる一人の人間の痛みを、もう一歩深く想像しようとする寄り添いです。れこそが、揺らぐ子どもたちの足元を支える安心基地となるはずだからです。



