原因不明の体調不良から不登校。苦しんだことと息子のその後【全文公開】

#不登校#行き渋り#不登校の親

 愛知県にお住まいの小倉裕子さんにインタビューした。小倉さんの息子さんは中学1年から不登校。学校や考え方のちがう夫とどう向き合ったか、何が支えになったのかなどをお話しいただいた。インタビュアーは同じ愛知県在住で、自身も中学2年から不登校を経験した鬼頭信さん(写真はイメージ画像です)。

* * *

――息子さんが中1で不登校されたということですが、どういうきっかけでしたか?

 中学1年生の1学期時点からすでに中学校になじめなかったようです。自然が大好きな子で、小学校のときは毎日のように友だちと山や川に遊びに行っていました。けれど中学生になったらみんなが外遊びをパッタリ辞めてしまって、塾へ行きだしたんです。

 というのも、私たちが住んでいた地域はニュータウンとして開発された地域で、学力志向が強かったんです。よい大学へ行くことを目指す家庭のほうが多かったと思います。PTAの方からは、「中学1年生で英検の4級くらいはできていないと」なんて言われてしまうほどで、塾へ行かない中学生はかなりめずらしかったんです。

 息子は友だちを遊びに誘うと、「そんなことやってたらだめだよ」と言われてしまって。そのため、自分も塾へ行かなきゃいけないと思ったようです。しかし、実際に塾へ行くと、自分と合わなかったようで、結局行かなくなりました。息子が言うには、塾の先生はバイトの大学生だし、教える内容はテストの点を取るためだけの勉強で、つまらなかったそうです。

夏休み明け、体調不良に

 夏休み中も「学校へ行きたくない」と言っていた息子は、夏休みが終わる数日前には顔から笑顔が消えてしまいました。

 今思えば、学校が始まることに相当プレッシャーを感じていたんだと思います。それでもガマンして登校していると、体調がどんどん悪くなっていきました。朝トイレから出てこなくなったり、帯状疱疹が出たり、血圧もすごく上がったので、とにかく病院に連れて行きました。かかりつけの小児科や、耳鼻科へ行き、精密検査もやりました。先生たちは「こういう症状は、ストレスからきていることが多い」とおっしゃっていました。

 そんな息子が学校へ行かなくなったのは、中1の11月の半ばでした。

 息子はその日、給食当番でした。当日に、前の当番から給食係が使う白衣をもらったんです。そのため、そのまま洗濯していない白衣で配膳をしていたら、みんなに「汚い」と言われたそうです。そこで息子はキレちゃって、給食で使うスプーンを投げてしまって。そして、「もうやってられない」と、今までにたまりにたまったものが爆発しちゃったそうです。その日以来、学校へ行かなくなりました。

学校は何も教えてくれず

 その後、私は息子とは反対に、学校に通うようになりました。給食でのトラブルの原因はなんだったのか、学校の雰囲気はどうだったのかなど、担任やほかの先生に話を聞きに行くことにしたんです。しかし、結局、学校は何も教えてくれませんでした。

 しだいに、私自身が学校に通ううちに、「なんだかこの学校、ヘンだな」と思うようになりました。テスト前には、「点数が取れるように事前に範囲を教えるから、テストだけ受けに来ればいいよ」と担任が言うんです。テストのためだけに学校へ行くってなんかおかしいな、と。

 学力志向の強い地域性だったからかもしれませんが、勉強ができる子どもたちは塾で勉強しているので、先生は学校の授業では、真剣にやらずに流してるだけみたいな、そういう雰囲気もだんだんわかってきたんです。学校からは息子が登校するよう強く勧められることもありましたが、私としては、息子が学校へ行きたくなくなる気持ちも、なんだかわかるような気がしていました。

 一方で主人は「学校へ行けないなんて甘えじゃないか、根性が足りないんじゃないか」と言っていました。一般論しか頭にない人なんです。だから私は、「お父さんは社会に出ているから人を見る目があるでしょ。私より社会人経験があるんだから、一度学校へ行って先生たちを見てきてよ」と言って主人を学校に連れて行ったんです。学校には子どもの今後のことを相談したいと言い、校長先生、学年主任、担任の先生に会わせ、主人と話をさせました。 

 帰ったあとにどうだったか聞くと「あれは一般社会だったら社会人としてだめだな」と。誰一人責任を負うような発言をしないと。そこで、学校へは無理に行かなくてもいい、と夫婦で対応が一致したんです。

――なるほど。不登校中の息子さんのようすはどうでしたか?

 息子は家から一歩も出なくなってしまいました。「みんなが学校へ行っているのに、自分が出るわけにはいかない」と言って。2カ月くらい部屋に閉じこもっていました。

 私は、息子が自殺してしまわないか心配でたまらなくて夜中にこっそり部屋をのぞいて、ちゃんと生きてるかなって生活音を確認していました。ようすを見ていると、昼夜逆転をして夜中までゲームして、昼まで寝ている生活をしていました。それでも食事だけは部屋から出てきて食べていました。

 息子にどう接したらよいのか、私はわからなくなっていたので、いろんな人に聞きました。そのなかでうちの町内に不登校の子をもつ親が2人もいらっしゃって。その方に「どうしたらいいかわからないので教えてください」と声をかけました。そうしたら、不登校の子どもを持つお母さんたちでお話をしよう、ということになって、数人の方が集まって、経験談を教えてくださいました。

 同じ体験をした先輩お母さんたちの話は、どんな本よりも役に立ちました。とくに「これがよかった」という話ではなく、「これだけは言わないほうがいい」「こういうことはしちゃダメ」といった失敗からくる教訓のほうが参考になりました。

先輩お母さんが私の心の支えに

 当時、私にとって何が一番つらかったかというと、それは「自分の子育てが悪かったんじゃないか」という思いでした。しかしそんなふうに悩んでいるときにも、先輩のお母さんたちに「子育てというのはみんな初めてなんだから、子育てに一生懸命な時点で、失敗したとかまちがえたとかはないんだよ」と言われたのが今も心に残っています。

 私がじょじょにラクになっていく一方で、息子のほうは、自分はダメな人間じゃないかって、ドーンと落ち込んでいたみたいです。「僕なんか生きていてもしょうがない」「学校にも行けない、みんなと同じことができない、ダメな人間だ」と言い出したので、これはヤバいなと感じました。

 私は先輩お母さんたちのアドバイスを参考に、息子の小さいころのアルバムをいっしょに見ながら、「このときのいちご狩り、楽しかったね」「これ、お習字の先生にほめられた、そのときの作品だよね」とか、そういう思い出を話しました。「すごく楽しかったね」と。あなたがどれだけみんなから愛されてたか、この家のなかでどれだけ必要な存在かということをたくさん伝えました。

――心が沈んだときにそんな対応をしてもらえらすごくうれしいですね。ほかにも先輩お母さんからのアドバイスを受けたことによる気づきはありましたか?

 息子のよさに気づけるようになりました。あるとき、息子とゲームの話をしていて、ゲームの攻略本を見せてもらったんです。あれってすごく細かく書かれていますよね。私は見ても何がなんだかわからなかったです。

 あれを読んで、自分のゲームを攻略するために必要な箇所を読み取れるってすごいな、この子には自分に必要な情報をちゃんと見つけるだけの力があるんだな、と思いました。私の持っていない能力をいっぱい持っているんだなと。そうしたら、「大丈夫だ。生きていける」と思ったんです。

 その後、息子が高校へ行く時期になりました。先輩お母さんたちから勉強させてもらっていたので、高卒認定など、高校へ行かなくても大学に行ける方法があることは知っていました。通信制高校など、通わなくても高卒資格を取れる方法もあるし、勉強方法もいくらでもあるなって思って、あんまり気にはしなかったです。

進路の選択肢に「何もしない」を

 息子には「義務教育が終わるけど、高校はどうしますか?」と、行きたいか行きたくないかを聞きました。高校も、商業や工業などいろいろあるので、自分で選べるんだよと伝えました。息子の返事は、「そんなことは考えていないのでわかりません」でした。私は息子の意見をすんなり受けいれられました。

 なぜなら、先輩お母さんたちと話していて、つねづね言い合っていたことがありました。それは中学を卒業したらそのまま高校へ行かなきゃいけないんじゃなくて、進路の1つに「何もしない」という選択肢を入れる、ということです。

――現在、息子さんは何をされているんですか?

 今は愛知県をはなれて中学校の教員をしています。なかなかブラックな職場だと聞いていますが、がんばって働いているようです。

 教員になるまでに息子は「自分探し」と言って大工、喫茶店、道路工事の旗振り、マグロ漁港の仲買見習い、フリースクールの手伝いなど、仕事を転々としていました。私としては不安ではありましたが、本人が納得して決めたことなら、どんな仕事をしていても自立できるだろうと信じて本人にまかせました。相談には乗りましたが、よけいなお節介をしないようにつとめました。今では家を出て10年ほどになりますが、たくましく一人暮らしでがんばっている息子には安心し、誇らしく思っています。

今は親の会を

 私はというと、お母さんたちとの集まりがきっかけで、親の会の世話人をしています。参加者は若いお母さん方が大半で、昔と変わらないような悩みを抱えている方が多いように思います。

 親の会をやるなかで1つ大事にしていることがあります。「子どもの成人年齢は30歳。それまでは長い研修期間」だと考えるということです。
 不登校をすると学校へ行かなかったり、社会のレールからはずれる時期があると思います。なので、社会に出る成人になるのは30歳だと思えば、親の気持ちに余裕ができるんです。そもそも、私もそうだったけど、20歳のころなんて何も知らなかったですしね。

――ありがとうございました。(聞き手・鬼頭信)

(初出:不登校新聞563号(2021年10月1日発行)。掲載内容は初出当時のものであり、法律・制度・データなどは最新ではない場合があります)

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